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自我

エッセイ

「気づき」と「集中」を区別する|日常生活を瞑想化する技術

私はだいたい2年半ほど前から「生活すべてを瞑想的に過ごす」ということを実践しています。ただ最初のうちは、「どうやって瞑想を生活の中に持ち込んだらいいか」がよくわかりませんでした。それまでは時間を取って坐って瞑想していたのですが、日常生活の中...
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ブログ記事

本来の瞑想は「集中」ではなく「識別(ヴィヴェーカ)」である

瞑想の実践においては「識別」が非常に大事です。なお、ここで言う「識別」というのは、「『変化するもの』と『変化しないもの』を区別すること」を意味します。「変化するもの」とは、この世のあらゆる物や事象のことであり、「変化しないもの」とは、私たち...
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ブログ記事

思考も感情も波のようなもの|自我さえも本当のあなたではない

瞑想の実践をしていくと、観察力が磨かれていきます。自分の呼吸がどうなっているか。自分の姿勢がどうなっているか。内側でどんな思考や感情が起こっているか。そういったことに気づく力が高まるのです。そして、そんな風にあらゆることを観察し続けていくと...
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エッセイ

瞑想における二つの道|「人としての幸福」を追求する道と、「自我と世界」を解体する道

私は瞑想の実践には大きく分けて二つの方向性があると思っています。それは「人としての幸福を追求する道」と「悟りに至るための道」の二つです。今回の記事では、この二つの道について説明していこうと思います。◎「人としての幸福」を追求する道瞑想につい...
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エッセイ

瞑想をして何の意味があるのだろう?|「渇いた認識」の先にある「自由」と「幸福感」について

「瞑想をして何の意味があるのだろう?」そんな疑問に憑りつかれたことはありませんか?瞑想の実践が順調に進んでいくと、どこかの段階でこの問いに囚われるようになっていきます。そのような事態は、実際に内側が静かになってきて、特に努力しなくても思考し...
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Q&A

「自我」と「魂」の間で生じる綱引き|苦しみと向き合うことで、自動的に理想は放棄される

先ほど、読者の方とメールでやり取りをする中で、非常に重要な論点について触れたので、ブログでも共有しておこうと思います。このところは「身体論」の記事が多かったですが、今回は久々に「真理の探求」についての話です。そのメールでやり取りをした方は、...
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ブログ記事

「絶望」とは何か?「希望」にしがみつくことをやめた時、人は「絶望」を通じて生まれ変わる

「絶望」という言葉を聞くと、あなたはどんなイメージを持ちますか?「絶望に打ちひしがれる」なんていう表現もありますが、「絶望するのはとても苦しいことだ」と思っている人も多いのではないでしょうか?しかし、「絶望」というのは決して「悪いもの」では...
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ブログ記事

「我」が強いと探求はできないのか?探求を始めることができるのは「強固な自我」の持ち主だけ

私はいつも、「『自我』の言うことを信用してはいけない」とか、「探求の過程で『自我』は希薄化していく」とかいったことを書いています。こういった話を聞くと、人によっては「『自我』が強い人は探求に向いていないのかな?」と思うかもしれません。「自分...
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ブログ記事

「至福」と「エクスタシー」の違いは何か?「エクスタシー」という名の「悟りの一瞥」について

世の中では、「薬物を使用することによって、『悟り』と同じ精神状態を作り出すことができる」と言われることがあります。私自身はドラッグなどを使った経験はありませんが、「強烈な歓喜」のような激しい感情を味わうことで、一時的に解放感を感じることがで...
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ブログ記事

「倫理的」とはどういうことか?哲学者と探求者それぞれの「倫理」に関する向き合い方

かつて、池田晶子さんという哲学者がいました。もう亡くなられてしまったのですが、彼女は「哲学エッセイ」というジャンルを作った草分け的存在と言われています。そんな池田さんは、ある著書の中で「道徳」と「倫理」という言葉について、自分の中で明確に使...
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