「悟りとはどんな体験なのか?」「悟った人はどうなるのか?」といった疑問への答えを扱った記事をまとめています。
エッセイ 瞑想で人生が虚しくなる?「分離の感覚」が深まることで生じる虚無感の乗り越え方について
前回の記事で私は、「瞑想というのは分離の技術だ」と書きました。【前回の記事】瞑想とは「デタッチメント」の実践である|「分離の感覚」こそが、心を真に自由にするたとえば、瞑想を実践していると、思考と自分の間に「分離の感覚」が出てきます。自分が思...
エッセイ 瞑想とは「デタッチメント」の実践である|「分離の感覚」こそが、心を真に自由にする
瞑想の実践をすると「分離の感覚」が育っていきます。ここで言う「分離の感覚」とは、「自分は思考や感情、自我や身体とは別個の存在なのだ」という実感のことです。たとえば、瞑想を日々実践し続けている人は、「自分の思考を観察する」ということが徐々にで...
ブログ記事 「心を無にする」とはどういうことか?ヨーガや原始仏教で重視される「ニローダ」についての私見
ヨーガや原始仏教では「ニローダ」ということの重要性が説かれています。ちなみに、「ニローダ」は「心のはたらきの止滅」と訳されることもありますが、原義としては「統制」や「コントロール」といった意味の言葉のようです。今回は、この「ニローダ」につい...
エッセイ 「気づき」と「集中」を区別する|日常生活を瞑想化する技術
私はだいたい2年半ほど前から「生活すべてを瞑想的に過ごす」ということを実践しています。ただ最初のうちは、「どうやって瞑想を生活の中に持ち込んだらいいか」がよくわかりませんでした。それまでは時間を取って坐って瞑想していたのですが、日常生活の中...
ブログ記事 本来の瞑想は「集中」ではなく「識別(ヴィヴェーカ)」である
瞑想の実践においては「識別」が非常に大事です。なお、ここで言う「識別」というのは、「『変化するもの』と『変化しないもの』を区別すること」を意味します。「変化するもの」とは、この世のあらゆる物や事象のことであり、「変化しないもの」とは、私たち...
エッセイ 「わからないこと」はわからないままでいい|私が瞑想によって確かめることのできた3つのこと
私には「わからないこと」がたくさんあります。たとえば、「死後の生があるのかどうか」を私は知りません。「輪廻転生が本当にあるのか」も私は知りません。「神が実在するかどうか」も私には何とも言えないです。私に言えることは、「自我というのは虚構であ...
エッセイ 「自分は存在しない」という真理に触れて、自暴自棄になってしまう人々
瞑想の実践をしていくと、どこかの段階で「自分という実体はどこにもない」と気づきます。はっきりとした実体を持った「自己」というのは存在せず、「これこそが自分だ」という形で明確に提示できるものがないことに気づくのです。その結果、「今まで自分とい...
エッセイ それは「悟り」か、それとも「都合のよい妄想」か|主観的体験を科学的に検証する重要性について
瞑想の実践によって、実践者は「主観性」をひたすら掘っていくことになります。そこにおいては、「自分の主観的な体験」が重視されるのです。瞑想の実践は、あくまでも「主観性を深めることで人生を変えていく道」です。ただそれは、客観的な証明が難しいもの...
エッセイ 考えるほど「疑問」は増える|「真理」について考えず、「真理」をまずは体験する
私はこのブログで哲学的な話をすることがたまにありますが、それらの私の見解に、どれだけ哲学的な正当性や論理的な整合性があるかはよくわかりません。なぜなら、私は別に「哲学的な思惟」によって、これらの結論を導き出したわけではないからです。たとえば...
ブログ記事 思考も感情も波のようなもの|自我さえも本当のあなたではない
瞑想の実践をしていくと、観察力が磨かれていきます。自分の呼吸がどうなっているか。自分の姿勢がどうなっているか。内側でどんな思考や感情が起こっているか。そういったことに気づく力が高まるのです。そして、そんな風にあらゆることを観察し続けていくと...
