「表面的な知識」ではなく、深く本質を洞察する「智慧」について書いた記事をまとめています。
エッセイ 「わからないこと」はわからないままでいい|私が瞑想によって確かめることのできた3つのこと
私には「わからないこと」がたくさんあります。たとえば、「死後の生があるのかどうか」を私は知りません。「輪廻転生が本当にあるのか」も私は知りません。「神が実在するかどうか」も私には何とも言えないです。私に言えることは、「自我というのは虚構であ...
エッセイ 「自分は存在しない」という真理に触れて、自暴自棄になってしまう人々
瞑想の実践をしていくと、どこかの段階で「自分という実体はどこにもない」と気づきます。はっきりとした実体を持った「自己」というのは存在せず、「これこそが自分だ」という形で明確に提示できるものがないことに気づくのです。その結果、「今まで自分とい...
エッセイ 瞑想における二つの道|「人としての幸福」を追求する道と、「自我と世界」を解体する道
私は瞑想の実践には大きく分けて二つの方向性があると思っています。それは「人としての幸福を追求する道」と「悟りに至るための道」の二つです。今回の記事では、この二つの道について説明していこうと思います。◎「人としての幸福」を追求する道瞑想につい...
ブログ記事 【講話・第九回文字起こし】体験は「広さ」ではなく「深さ」が大事
今回も講話動画の文字起こしを掲載します。テーマは「体験の広さと深さ」についてです。世の中では、「広くいろんな経験をすることが大事だ」と言われることもありますが、私は「広さ」だけでなく、「深さ」も大事だと思っています。今回は、そんな「体験の深...
ブログ記事 【ライブ配信・第二回】「安心している人」を不安にし、「不安な人」を安心させる
第二回のライブ配信をおこないました。私は表現活動をする時に、「情報」ではなく「感覚」を伝えようと思っています。頭に「情報」を入れてほしいのではなく、心で「安らぎ」を感じてほしいのです。また、これはそれほど強く意図しているわけでもないのですが...
エッセイ 「神話」の継承|「道徳」や「律法」の起源について
昨日、少し考えたことがあるので記事にしておこうと思います。それは、私たちの「道徳」と「律法」の起源についてです。最初に断っておきますが、これは一種の「神話」です。学術的な裏付けがあるわけではなく、私が勝手に「こうだったんじゃないか」と思って...
エッセイ 瞑想とは、自己を「寺院」とした「祈り」である|「存在」によって生かされる時、人は「自身の天命」を知る
最近は言わなくなっていましたが、私は一時期、「瞑想」のことを「祈り」と表現していたことがありました。もともと、この表現は、カビールという北インドの神秘家から借りていたものです。カビールは「織工しょっこう」という職業の人で、いわゆる機織はたお...
ブログ記事 【新刊書を書き始めました】「心のまま」に生きる「仏の智」の表現
今さっき、新しい本を書き始めました。当初は、「現成公案・解説本」を書き終わったら、保留になっていた「断章集・第四弾」の続きを書こうと思っていたのですが、実際に書き始めてみたら、まるで筆が進みませんでした。理由は二つあります。一つは、「断章集...
エッセイ 【新作の進捗報告】古今東西の哲人たちとの「答え合わせ」|「賢さの形」はみんな似ている
現在執筆中の「現成公案・解説本」が第四章まで書けました。今の時点で約五万文字です。思い返してみると、だいたい「一日一万文字」くらいのペースでのんびり書いていますね。自伝の時は、ラストの一日だけで一気に五万文字とか書いていたので、それと比べる...
エッセイ 知者には「無知」を突きつけて、無知者には「智慧」を思い出させる
私の文章を読むことで、かえって精神的に不安定になる人も、結構いるのではないかと思います。理由はたぶん二つあります。一つは、私が「人々の知りたがっていない真実」をあえて書いているから。もう一つは、私が「人々が無意識に寄りかかっているもの」を積...
