心の向くままで筆を走らせた書いたエッセイをまとめています。
エッセイ 内なる貪欲を焼き尽くす|欲求と敵対せずに無欲求へと至る道
仏教に、「渇愛(タンハー)」という概念があります。「タンハー」とは激しい喉の渇きのような欲望のことです。泥水でも何でもいいから、飲まずにいられない。そういった「心の渇き」のことを、「タンハー」と呼ぶわけです。瞑想を実践していると、多くの人は...
エッセイ 「気づき」と「集中」を区別する|日常生活を瞑想化する技術
私はだいたい2年半ほど前から「生活すべてを瞑想的に過ごす」ということを実践しています。ただ最初のうちは、「どうやって瞑想を生活の中に持ち込んだらいいか」がよくわかりませんでした。それまでは時間を取って坐って瞑想していたのですが、日常生活の中...
エッセイ 「わからないこと」はわからないままでいい|私が瞑想によって確かめることのできた3つのこと
私には「わからないこと」がたくさんあります。たとえば、「死後の生があるのかどうか」を私は知りません。「輪廻転生が本当にあるのか」も私は知りません。「神が実在するかどうか」も私には何とも言えないです。私に言えることは、「自我というのは虚構であ...
エッセイ 「自分は存在しない」という真理に触れて、自暴自棄になってしまう人々
瞑想の実践をしていくと、どこかの段階で「自分という実体はどこにもない」と気づきます。はっきりとした実体を持った「自己」というのは存在せず、「これこそが自分だ」という形で明確に提示できるものがないことに気づくのです。その結果、「今まで自分とい...
エッセイ それは「悟り」か、それとも「都合のよい妄想」か|主観的体験を科学的に検証する重要性について
瞑想の実践によって、実践者は「主観性」をひたすら掘っていくことになります。そこにおいては、「自分の主観的な体験」が重視されるのです。瞑想の実践は、あくまでも「主観性を深めることで人生を変えていく道」です。ただそれは、客観的な証明が難しいもの...
エッセイ 考えるほど「疑問」は増える|「真理」について考えず、「真理」をまずは体験する
私はこのブログで哲学的な話をすることがたまにありますが、それらの私の見解に、どれだけ哲学的な正当性や論理的な整合性があるかはよくわかりません。なぜなら、私は別に「哲学的な思惟」によって、これらの結論を導き出したわけではないからです。たとえば...
エッセイ 瞑想における二つの道|「人としての幸福」を追求する道と、「自我と世界」を解体する道
私は瞑想の実践には大きく分けて二つの方向性があると思っています。それは「人としての幸福を追求する道」と「悟りに至るための道」の二つです。今回の記事では、この二つの道について説明していこうと思います。◎「人としての幸福」を追求する道瞑想につい...
エッセイ 今朝のメルマガの共有と、私自身の「情報公開ポリシー」について
私は毎日、会員限定でメルマガを発信しているのですが、今朝書いた内容は会員以外の人にも広めに共有しておきたいものになったので、記事を一般公開しました。こちら⇓です。「意識」というスクリーンを自覚する体験記事のテーマは「意識」についてです。私た...
エッセイ 自己表現の勧め|あえて「舞台の上」に立つことで、その人の覚醒は成長する
最近、メルマガやYouTubeのほうで、「自分自身も舞台に立ちましょう」ということを言っています。つまり、「観客席」で観ているだけではなくて、自分自身でも何か表現してみることを推奨しているのですね。たとえば、YouTubeのほうで出会った、...
エッセイ 「探求」が終わりを迎えた時、その人の「本当の旅路」が始まる
突然ですが、最近このブログを読んでいる方は、どんな人が多いのでしょうかね?以前はブログで探求に関する記事を中心に書いていたので、探求者から読まれることが多かったと思うのですが、最近はYouTubeからも少し人が流れてきているので、また読者層...
