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執着

人々の苦しみの源である「執着」について書かれた記事をまとめています。

エッセイ

瞑想とは「デタッチメント」の実践である|「分離の感覚」こそが、心を真に自由にする

瞑想の実践をすると「分離の感覚」が育っていきます。ここで言う「分離の感覚」とは、「自分は思考や感情、自我や身体とは別個の存在なのだ」という実感のことです。たとえば、瞑想を日々実践し続けている人は、「自分の思考を観察する」ということが徐々にで...
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エッセイ

「無執着」は練習することができない|「真の無執着」と「痩せ我慢」の違いについて

瞑想の世界では、「執着しないこと」がしばしば強調されます。特に仏教では「無執着」が非常に重視されています。なぜなら、「執着こそが苦しみを生む」という構造があるからです。とはいえ、「執着を捨てよう」と思って簡単に捨てられたら苦労はありません。...
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ブログ記事

「心を無にする」とはどういうことか?ヨーガや原始仏教で重視される「ニローダ」についての私見

ヨーガや原始仏教では「ニローダ」ということの重要性が説かれています。ちなみに、「ニローダ」は「心のはたらきの止滅」と訳されることもありますが、原義としては「統制」や「コントロール」といった意味の言葉のようです。今回は、この「ニローダ」につい...
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エッセイ

内なる貪欲を焼き尽くす|欲求と敵対せずに無欲求へと至る道

仏教に、「渇愛(タンハー)」という概念があります。「タンハー」とは激しい喉の渇きのような欲望のことです。泥水でも何でもいいから、飲まずにいられない。そういった「心の渇き」のことを、「タンハー」と呼ぶわけです。瞑想を実践していると、多くの人は...
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エッセイ

瞑想における二つの道|「人としての幸福」を追求する道と、「自我と世界」を解体する道

私は瞑想の実践には大きく分けて二つの方向性があると思っています。それは「人としての幸福を追求する道」と「悟りに至るための道」の二つです。今回の記事では、この二つの道について説明していこうと思います。◎「人としての幸福」を追求する道瞑想につい...
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ブログ記事

「今ここ」に深く遊ぶことで、「時間」と「空間」は溶解する|「未来」に絶えずジャンプすることで、「今」を取り逃す構造について

◎未来にジャンプしていると、人はイライラしてきてしまう瞑想をしていると、イライラして落ち着かなくなることがあります。これにはいくつか原因がありますが、中級者が陥りやすいのは、「結果を早く得たい!」という欲求に突き動かされて焦ることです。そも...
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ブログ記事

【メルマガの記事共有】「明け渡し」のための道について

今朝、メルマガのほうで「明け渡し」についての記事を書きました。ただ、内容として役に立つ人が多そうに感じたので、メルマガの会員だけに限定せず、全面的に公開します。「自力」が全て尽き果てた時、「明け渡し」は自然発生する「自分の苦しみを終わらせた...
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エッセイ

「弱さ」とは、「自分の弱さを認められない」ということである

◎人は「自分の弱さ」をなかなか直視できないものである先日のライブ配信で、「弱さ」というものが話のテーマになりました。「『人間の弱さ』というものは、『自分の弱さを認められない』という仕方で現象する」これは、私のかつての合氣道の師匠が常々言って...
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ブログ記事

【講話・第二回文字起こし】依存から抜け出す道について

今回は、講話の第二回『依存から抜け出す道について』の文字起こししたものをお届けします。「依存症」というほど深刻ではなくても、「やめたいのにやめられない」と感じるものがあって苦しんでいる人は多いものです。そういう人が、自分の現状を整理するため...
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ブログ記事

【講話・第一回文字起こし】「成熟した愛」と「未成熟な愛」について

今回は、講話動画の第一回『「成熟した愛」と「未成熟な愛」について』の内容を文字起こしした記事をお届けします。幼い子どもは愛されるだけでも満足できますが、心身が発達した大人は、受動的に愛されるだけでは満足することができません。大人が真に満足す...
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