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エッセイ

心の向くままで筆を走らせた書いたエッセイをまとめています。

エッセイ

「偽装された心」に惑わない|「自分の心の声」に従うことは、「束縛なく生きる」ということ

私はよく、「自分の幸福を育てるために、味わって食べることを実践してみましょう」とかいったことをよく書きます。【関連記事】「愛を放射する太陽」としての生き方|「幸福」とは、「ゴール」ではなく「原点」であるこうした記事を読んだ人の中には、実際に...
エッセイ

瞑想とは、自己を「寺院」とした「祈り」である|「存在」によって生かされる時、人は「自身の天命」を知る

最近は言わなくなっていましたが、私は一時期、「瞑想」のことを「祈り」と表現していたことがありました。もともと、この表現は、カビールという北インドの神秘家から借りていたものです。カビールは「織工しょっこう」という職業の人で、いわゆる機織はたお...
エッセイ

「覚者」とは「何も書かれていない本」である|「自由」だけが、「全ての覚者」の共通点

あなたは「悟った人」というのは、どういう人のことだと思いますか?「悟った人」のことを、「覚者かくしゃ」と言ったりもしますが、実のところ、「覚者の定義」は人の数だけあります。実際、「極めて高潔な人格を持った人こそが覚者だ」と思っている人もいれ...
エッセイ

私が「ルール」を作らない3つの理由|人は「教え」からではなく「自分の経験」から学ぶ

私は「こういう時はこうするように」とか、「この場合はこうしないといけない」とかいった形で、「規則」や「戒律」みたいなものはなるべく書かないようにしています。そこには主に以下の三つの理由があります。そもそも私に「人を言う通りにさせたい」という...
エッセイ

かつて、「ダンスの師」の背中から学んだこと

ついさっき、フェイスブックを見ていたら、高校時代のブレイクダンスの恩師のアカウントを見つけました。吉川太ふとしさんという方なのですが、彼は自身の師から「胴体力」という、少林寺拳法とヨーガをミックスして作られた技法を受け継ぎ、これを若者たちに...
エッセイ

「心」のままに遊ぶように言葉を紡ぐ|「正しいことを書く人」と「感じたことを書く人」の違い

さっき投稿した日記の中で、「みんなもっと内面をさらけ出せばいいのに」と書いていたのですが、考えてみれば、そもそも世の中の多くの人は、私のように自分の思考や感覚をスムーズに言語化することができないのかもしれません。ついさっき、考えを整理するた...
エッセイ

【日記】新作の加筆作業と、フェイスブックの「村社会性」について思うこと

たまには日記みたいなことでも書いてみようと思います。今日は、現在執筆中の「心を生きる幸福論」の編集作業をしていました。ただ、原稿を寝かせていた2~3日の間に、私の認識や思考が深まったため、それより前に書いていた部分を全面的に加筆修正すること...
エッセイ

「苦しみと同化すること」こそが、「苦しみ」を苦しまなくなるための道である

瞑想を実践している人の中には、「どんな思考や感情が湧いてきても、それから離れて立っていないといけない」と考えている人もいます。私も過去にはそのように考えていました。ただ、今は少し違う立場を取るようになっています。今回はその話をしたいと思いま...
Q&A

「理論的な理想」を自分に強いないこと|「理論」より「感情」を優先する意味について

またまた読者の方とやり取りしていて気づいたことがあるので、ブログで共有したいと思います。私は先日、「見返りを求めず与えられるように、まず自分を満たしましょう」という趣旨の記事を書きました。【関連記事】見返りを求めずに与えるために|もしも「幸...
エッセイ

「全ての答え」は内側に在る|瞑想とは「するもの」ではなく、「起こるもの」である

とある方とメールでやり取りしていて、「本では何度か書いたけど、ブログでは書いたことがなかったトピック」の存在に気づいたので、記事にして共有しておきます。それは、「結局全ての到達点は同じだ」ということです。たとえば、何らかの瞑想の技法を実践し...