「悟りとはどんな体験なのか?」「悟った人はどうなるのか?」といった疑問への答えを扱った記事をまとめています。
エッセイ 「全ての答え」は内側に在る|瞑想とは「するもの」ではなく、「起こるもの」である
とある方とメールでやり取りしていて、「本では何度か書いたけど、ブログでは書いたことがなかったトピック」の存在に気づいたので、記事にして共有しておきます。それは、「結局全ての到達点は同じだ」ということです。たとえば、何らかの瞑想の技法を実践し...
エッセイ 「悟り」に「自分の欲求」を投影する人々|自分の中の「最も根源的な欲求」を理解する
先ほど、また読者の方とメールでやり取りをしていたのですが、あらためて「悟り」というのは、「罪な言葉」だと思いました。そもそも、「悟り」という言葉には、何千年にもわたって非常に多くの手垢がついています。たとえば、「悟り」というと、何か「超常的...
エッセイ 人は生きることを通して「覚醒」し、「覚醒」が人を成長させる
「覚醒」の副産物の一つに、「学習能力」があります。ちなみに、ここで言う「学習能力」というのは、「記憶力」とかのことではありません。たとえば、「学校で教師から言われたことを忠実に憶えていられる」とかいったことではなく、それは純粋に、「失敗から...
エッセイ ただ「幸福」になってください|真理の探求の後半戦は「幸福感」によって意志を溶かす旅である
昨日、ある探求者の方とメールでやり取りをしていて、その人から改めて気づかせてもらったことがあったので、ブログでも共有したいと思います。私はこのブログで「別に悟らなくてもいいんですよ」と言うことがありますが、そうはいっても、迷いや疑いを抱えて...
ブログ記事 【新刊書を書き始めました】「心のまま」に生きる「仏の智」の表現
今さっき、新しい本を書き始めました。当初は、「現成公案・解説本」を書き終わったら、保留になっていた「断章集・第四弾」の続きを書こうと思っていたのですが、実際に書き始めてみたら、まるで筆が進みませんでした。理由は二つあります。一つは、「断章集...
エッセイ 「深刻さ」を捨てて、「真剣」になって遊ぶことの意味
私は現在、毎日3つとか4つの記事を投稿し続ける生活を送っています。でも、別に「毎日記事を書かないといけない」と思ってはいません。ただ、なぜかたまたま、毎日「書かずにはいられない必然性」を内側に感じるだけなのです。たとえば、私が部屋でボケーっ...
エッセイ 禅宗における「見性」について|「覚醒」の中で生きる人だけが「生の美しさ」を知っている
新刊の「現成公案げんじょうこうあん・解説本」のkindle版原稿を「ほんわっかぱっぱ」と編集しているのですが、今回の本で、たぶん読者がいちばんつまづくのが、「見性けんしょう」について書いた部分だと思います。「見性」というのは禅宗の言葉で、「...
エッセイ 「自信」の正体|人間にだけ「覚醒」が可能である理由
私は毎日、何の迷いもなく文章を書いているように見えるかもしれませんが、そういうのを外から見ていると、「この人には『絶対的な自信』があるに違いない」と思う人もいるでしょう。でも、「自信」って、いったい何でしょうか?世の中の多くの人は、「自分に...
エッセイ 「自分にはわかった」と思った瞬間から、その人の「堕落」は始まっていく
先月末から書き始めた、道元の現成公案げんじょうこうあんについての解説本ですが、一昨日くらいに最後まで書き終わっていました。ただ、ここ数日で、認識が大きく書き換わったので、それに合わせて頭からリライト作業をおこないました。前は「悟り」という「...
エッセイ あえて「天」に逆らう|無意識に「罪人」を作り上げる「心の隙」と私自身の「弱さ」について
私は最近、「天」という言葉を多用しており、どこか発言内容が「宗教」っぽくなってきていました。別に「宗教」そのものは悪くないのですが、そうしてどこか私の言葉は浮世離れし始めていたようにも思います。このところ何度か言っていることですが、「深い呼...
