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悟り

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「我」が強いと探求はできないのか?探求を始めることができるのは「強固な自我」の持ち主だけ

私はいつも、「『自我』の言うことを信用してはいけない」とか、「探求の過程で『自我』は希薄化していく」とかいったことを書いています。こういった話を聞くと、人によっては「『自我』が強い人は探求に向いていないのかな?」と思うかもしれません。「自分...
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「戒律」を守らないと悟れないのか?「自律」は、「観察」と「理解」に根差している

仏教には「戒律」というものがあります。「戒律」というのは「修行者が守るべき掟」のようなもので、専門的には「戒」が「修行者自身が個人的に守るべきこと」で、「律」が「集団生活のためのルール」なのだそうです。ちなみに、最も基本的な「戒律」は「五戒...
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「瞑想」と「瞑想法」の違いについて|「瞑想法のアスリートたち」が直面するデッドエンド

あなたは何らかの瞑想法を実践していますか?呼吸や眉間に集中する瞑想をしている人もいれば、ヴィパッサナー瞑想やマントラ瞑想をしている人もいるかもしれません。こういった瞑想の技法やメソッドを実践すると、当人は思考や感情が静かになったり、心身が安...
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「至福」と「エクスタシー」の違いは何か?「エクスタシー」という名の「悟りの一瞥」について

世の中では、「薬物を使用することによって、『悟り』と同じ精神状態を作り出すことができる」と言われることがあります。私自身はドラッグなどを使った経験はありませんが、「強烈な歓喜」のような激しい感情を味わうことで、一時的に解放感を感じることがで...
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いつになったら「悟った」と判断していいのか?探求の過程で陥りがちなピット・フォール五選

前回の記事で、「覚者というのは独善的なのか?」ということについて論じました。覚者は「独善的な人間」なのか?「歪められた自己認知」と「徹底した自己観察」を対比する論考覚者は誰か他人から「悟り」を承認してもらうわけではなく、自分自身で「悟った」...
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覚者は「独善的な人間」なのか?「歪められた自己認知」と「徹底した自己観察」を対比する論考

前回と前々回で、「覚者とはいったいどんな人間なのか?」ということを書いてきました。「覚者」を見分ける二つの基準|「雄弁な無知者」と「口ごもる知者」のパラドクス悟ることができるのは「傑出した人物」だけなのか?探求とは「究極の平凡さ」へ向かう旅...
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悟ることができるのは「傑出した人物」だけなのか?探求とは「究極の平凡さ」へ向かう旅である

前回の記事で私は、「全ての覚者が常に『知的』であるとは限らない」と書きました。「覚者」を見分ける二つの基準|「雄弁な無知者」と「口ごもる知者」のパラドクス「覚者というのは深い叡智を宿した人であり、必ずや知的で学識のある人のはずだ」と思ってい...
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「覚者」を見分ける二つの基準|「雄弁な無知者」と「口ごもる知者」のパラドクス

「真理」を悟るということを、「賢くなること」だと思っている人はいませんか?つまり、「『真理』を悟ると、常人には計り知れない叡智をその身に宿すようになるに違いない」とイメージするわけです。でも、本当のところはどうなんでしょうか?実のところ、「...
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「真理」を理解するのに努力は必要なのか?努力が意味を持つ人と、努力が障害になってしまう人

あなたは、努力することに意味を感じる人ですか?それとも、「努力しよう」という意志やモチベーションがあまり湧かない人でしょうか?今回の記事では、「真理を理解するのに技法の実践は必要なのか?」ということを考えたいと思います。かく言う私自身は、合...
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武道における「不動心」とは何か?瞑想の実践が深まることで、「戦う理由」は消滅する

私は過去に武道の道場で7~8年くらい稽古をしていたことがあります。その時の「失敗談」について、前に一つ記事を書きました。【筆者の失敗談】探求で出会う「よくある罠」|「霊的な覚醒」は悟りに必要なのか?その道場では、瞑想法や呼吸法が指導されてい...
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