「人はなぜ苦しむのか?」という根源的な問いに対して、深く踏み込んだ記事をまとめています。
ブログ記事 「中道」は「自分のしていること」にうんざりした時、自然と起こる
以前、「父性原理」と「母性原理」について記事を書いたことがあるのですが、このことについて、再度、もう少し具体的に考えてみたいと思います。ちなみに、前に書いた記事はこちらです。【関連記事】「内なる父」と「内なる母」が一つになる時、人は本当の意...
ブログ記事 「幸福」と「苦しみ」は二つで一つ|「二元性」を持ち込まず、「全体」を生きる方法について
私はブログの中で、「幸福を味わいましょう」と言いつつ、「苦しみを味わいましょう」とも言います。なので、人によっては混乱するかもしれません。「ポジティブに生きるべきなのか、ネガティブを受け入れるべきなのか、いったいどっちなんだ?」と思う人もい...
エッセイ 「苦しみと同化すること」こそが、「苦しみ」を苦しまなくなるための道である
瞑想を実践している人の中には、「どんな思考や感情が湧いてきても、それから離れて立っていないといけない」と考えている人もいます。私も過去にはそのように考えていました。ただ、今は少し違う立場を取るようになっています。今回はその話をしたいと思いま...
ブログ記事 【新作の内容紹介】「心を生きる幸福論」の原稿が完成しました
この一週間くらいかけて書いていた「心を生きる幸福論」の原稿が完成しました。今回はなかなか「全体のビジョン」が来なかったので、あえて書かないでしばらく寝かせておいて、代わりにここ数日はブログの更新をメインに執筆していました。ですが、昨日になっ...
ブログ記事 見返りを求めずに与えるために|もしも「幸福」が溢れたら、「贈与」は自然と起こり始める
とある読者の方とのやり取りで、「与えること」が話題に出ました。その方は「与えること」が純粋な喜びであると感じるそうなのですが、人に与えていると、時々、心身共に枯れ果ててしまうことがあるそうです。それで、「どうしてなんでしょう?」という話にな...
ブログ記事 「感覚の深化」には「痛み」が伴う|「問題を自覚できない状態」と「問題がない状態」の比較
とある読者の方とやり取りをしていて、感覚の話になりました。それで、「感覚の深化」について少し伝えたのですが、これはブログではあまり書いたことのないトピックだったかもしれません。本の中では何度か書いていたのですが、いい機会なのでブログでも共有...
エッセイ 「愛を放射する太陽」としての生き方|「幸福」とは、「ゴール」ではなく「原点」である
最近、何人かの読者の方から「生活の中にある小さな幸せに気づきました」というお便りをいただきました。こういうのはとても嬉しいですね。別に、私の言った通りのことをしなくてもいいのです。私と同じ意見を持つ必要もありません。いつも言っていますが、私...
エッセイ 「成熟」とは動機を内側に持つようになること|「何でもない日々」の中に喜びを感じ取る力
私たちの関心というのは、基本的に「外側」から「内側」に移っていく傾向があるのではないかと思います。たとえば、私は十代の頃、「他人からいかに評価されるか」ということに軸足を置いて生きていました。当時は、進学校に通いながらダンスをしていたのです...
エッセイ 「過去の傷」が「思い出」に変わる時|未来と過去という「虚構」からリアリティを剥ぎ取る修行
昨日、五年前から凍結していたフェイスブックの更新を再開したのですが、そっちが今、結構面白くなっています。【関連記事】【個人的な報告】長年閉鎖していたフェイスブックのアカウントを再開しました私は過去に自殺未遂やパニックの発作を繰り返して人に迷...
エッセイ 「悟り」に「自分の欲求」を投影する人々|自分の中の「最も根源的な欲求」を理解する
先ほど、また読者の方とメールでやり取りをしていたのですが、あらためて「悟り」というのは、「罪な言葉」だと思いました。そもそも、「悟り」という言葉には、何千年にもわたって非常に多くの手垢がついています。たとえば、「悟り」というと、何か「超常的...
