何者にも束縛されない「心の自由」について書いた記事をまとめています。
エッセイ あなたは今のままで既に完璧である|何かを足すのではなく「本来の状態」に戻ることこそが瞑想である
私がこうしてブログで文章を書くようになって、約8カ月が経ちました。その間に、Amazonで本を出版したりYouTubeに進出したり色々とやってきましたが、私自身にとって「活動の原点」は、「自由な呼吸を一人でも多くの人と共有したい」という想い...
エッセイ 瞑想とは「デタッチメント」の実践である|「分離の感覚」こそが、心を真に自由にする
瞑想の実践をすると「分離の感覚」が育っていきます。ここで言う「分離の感覚」とは、「自分は思考や感情、自我や身体とは別個の存在なのだ」という実感のことです。たとえば、瞑想を日々実践し続けている人は、「自分の思考を観察する」ということが徐々にで...
エッセイ 「無執着」は練習することができない|「真の無執着」と「痩せ我慢」の違いについて
瞑想の世界では、「執着しないこと」がしばしば強調されます。特に仏教では「無執着」が非常に重視されています。なぜなら、「執着こそが苦しみを生む」という構造があるからです。とはいえ、「執着を捨てよう」と思って簡単に捨てられたら苦労はありません。...
ブログ記事 「心を無にする」とはどういうことか?ヨーガや原始仏教で重視される「ニローダ」についての私見
ヨーガや原始仏教では「ニローダ」ということの重要性が説かれています。ちなみに、「ニローダ」は「心のはたらきの止滅」と訳されることもありますが、原義としては「統制」や「コントロール」といった意味の言葉のようです。今回は、この「ニローダ」につい...
エッセイ 「わからないこと」はわからないままでいい|私が瞑想によって確かめることのできた3つのこと
私には「わからないこと」がたくさんあります。たとえば、「死後の生があるのかどうか」を私は知りません。「輪廻転生が本当にあるのか」も私は知りません。「神が実在するかどうか」も私には何とも言えないです。私に言えることは、「自我というのは虚構であ...
エッセイ 「自分は存在しない」という真理に触れて、自暴自棄になってしまう人々
瞑想の実践をしていくと、どこかの段階で「自分という実体はどこにもない」と気づきます。はっきりとした実体を持った「自己」というのは存在せず、「これこそが自分だ」という形で明確に提示できるものがないことに気づくのです。その結果、「今まで自分とい...
エッセイ 瞑想における二つの道|「人としての幸福」を追求する道と、「自我と世界」を解体する道
私は瞑想の実践には大きく分けて二つの方向性があると思っています。それは「人としての幸福を追求する道」と「悟りに至るための道」の二つです。今回の記事では、この二つの道について説明していこうと思います。◎「人としての幸福」を追求する道瞑想につい...
ブログ記事 「今ここ」に深く遊ぶことで、「時間」と「空間」は溶解する|「未来」に絶えずジャンプすることで、「今」を取り逃す構造について
◎未来にジャンプしていると、人はイライラしてきてしまう瞑想をしていると、イライラして落ち着かなくなることがあります。これにはいくつか原因がありますが、中級者が陥りやすいのは、「結果を早く得たい!」という欲求に突き動かされて焦ることです。そも...
ブログ記事 【メルマガの記事共有】「明け渡し」のための道について
今朝、メルマガのほうで「明け渡し」についての記事を書きました。ただ、内容として役に立つ人が多そうに感じたので、メルマガの会員だけに限定せず、全面的に公開します。「自力」が全て尽き果てた時、「明け渡し」は自然発生する「自分の苦しみを終わらせた...
エッセイ 「今ここ」と「時間の果て」の往復運動|自我の満足など、数万年の時間の前では些事である
昨日、講話動画にも撮ったのですが、最近、「細かいこと」が気にならなくなってきました。私はもともと細かいことが気になる質で、物事をきっちり片づけておかないと落ち着かないところがありました。「物事をやりかけのままほっておく」ということがなかなか...
