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自分の人生が「意味」で満ちる時、私たちの心も満たされる

今回は、以前にラジオ配信でも話したことのある「意味」と「意義」との違いについて、改めて書いてみたいと思います。

【ラジオ配信・第三回】「意義」と「意味」の違いについて
https://youtu.be/3uY0GcZEego

この配信の中でも言っていたのですが、私は「意義」と「意味」という言葉を使い分けています。

まず「意義」というのは、「生産的であるかどうか」ということとかかわっています。

よく夏休みの前に校長先生が「有意義な夏休みを過ごしてください」と言ったりしますが、あれを言われて、「余計なお世話だ」と思う人はいませんでしたか?

私はけっこう思ったんですけどね。

「有意義」という言い方をすると、「いろんな体験をして、多くのことを学んで成長できるような時間を過ごしましょう」というようなニュアンスを、私はどうしても嗅ぎ取ってしまいます。

でも、子どもの側からしたら、「そんなことよりも思いっきり遊びたいぜ!」と思うものです。

ともあれ、「有意義」という言葉が使われると、何か他人があらかじめ設定した価値観の中に囚われるような「窮屈さ」を、私はいつも感じてしまいます。

「こういう生き方だけが有意義で、それ以外はすべて無駄である」とでも言うような、「押しつけがましさ」がそこにはあるように思えるわけです。

でも、たとえ「有意義」であろうとなかろうと、どう過ごすかは「自由」だと思います。

そして、仮に「意義」が全くなかったとしても、「意味」のある時間を過ごすことはできると私は思うのです。

たとえば、もう寿命が尽きかけていて、死の間際にある人に向かって、「最期の時まで有意義に過ごしてください」と言うことがあるでしょうか?

「有意義」も何も、もうすぐ命は尽きるわけです。

今さら、何を学んだところで、それが役に立つ機会はもうありません。

しかしそれでも、最期の瞬間まで「有意味」に過ごすことはできると思っています。

それはたとえば、家族と一緒に話すことかもしれないし、過去の楽しかった思い出の中に浸ることかもしれません。

そんなことをしてもたぶん「意義」はないわけですが、それによって当人が最期の時を心穏やかに過ごせたのなら、その時間に「意味」はあったはずです。

こんな風に、「意味」という言葉には、「意義」という言葉では言い表せない「深さ」があるように思うのです。


私はいつも、「意義」というものを「タスクをこなすことで達成していくもの」としてイメージしています。

それに対して、「意味」というものに関しては、「深く味わうことによって生きるもの」としてイメージすることが多いです。

それゆえ、「意義」という言葉については、「いかに生産的・能率的にタスクをこなすか」ということが重視されますが、
「意味」という観点から人生を見るなら、そこでは「いかに深く自分の人生を一瞬一瞬生きているか」ということが大事になるわけです。

そもそも、私たち人間は「何かを生産するために作られた機械」ではありません。

究極的には、私たちの命に「目的」なんてないのです。

もちろん、遺伝子は未来に向かって「自分の種」を残そうとするでしょうけれど、「そのために自分は生まれたのだ」と思って納得できる人なんてほとんどいないはずです。

私たちは、何の「目的」も持たずに生まれてきます。

そして、だからこそ私たちは「自由」なのです。

もしもあらかじめ「目的」が決まっていたら、私たちは「その目的を果たすためだけに生きる機械」になってしまいます。

しかし、実際には私たちは「無目的」な状態で人生の中へと放り込まれます。

それゆえに、私たちは自分自身で「目的」を自作することが可能なのです。

たとえば、生きていると「あぁ、自分はこの瞬間のために生きてきたのだ」と思えるようなことがあります。

それは「生産的なこと」をしている時ではなく、往々にして、どこまでも深く「人生の味わい」の中に沈んでいった時、不意に湧き上がってくる感慨です。

そういう時に私たちは、「生まれてきてよかった」と心の底から思うこともあるわけです。

そして、私たちの心が本当に満たされるのは、たくさん生産することのできた「意義深い瞬間」ではなく、そんな風に深く自分の命を味わうことのできた「意味深い瞬間」においてだと思うわけです。

あるいは、自分の中の「信念」や「誇り」を誰かに受け渡せた時に、「意味」を感じることもあるかもしれません。

それは一見すると「生産的なこと」であるように思うかもしれませんが、
実際には、そういった「魂の受け渡し」は、「生産的」という概念を超えています。

実際、「自分の生き方」を誰かに託す時、私たちは人生に「意義」ではなくて「意味」を感じます。

世界が少しでもより良くなるように、目の前の人の人生がほんの少しでもより良くなるように、願いを込めて「意志」を託す時、私たちは別に何かを「生産」しているわけではありません。

なぜなら、「生産すること」と「創造すること」は違うからです。

「生産」をする時、そこには「決まった正解」があり、「同じ製品」が何度も作り出されます。

でも、「創造」をする時、そこに「正解」はあらかじめ存在せず、「一回限り作品」が生み出されることになるのです。


人はいくら「生産」しても、心が満たされることはないでしょうけれど、「創造」はその瞬間に人の心を満たします。

「自分自身の生き方」を通して、誰かの中に「唯一無二の価値」を「創造」すること。

それこそが、「意味」のあることです。

そのような「創造」は、決して繰り返されることがありません。

それは、まるで一期一会の出会いのように、この暗い宇宙で「一瞬のきらめき」として光を放つ、「かけがえのない味」なのです。

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