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実践の方法論

ブログ記事

【もう一度 注意喚起】読者には、「追従者」ではなく「自分自身」になってほしい

はい、定期的に投稿している「注意喚起」の記事です。何に関する注意喚起かと言うと、毎度言っていることですが、「私の書いた記事をあまり読み過ぎないようにしましょう」ということです。なので、「別にまだそんなにたくさん記事を読んでないよ」という方は...
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「戒律」を守らないと悟れないのか?「自律」は、「観察」と「理解」に根差している

仏教には「戒律」というものがあります。「戒律」というのは「修行者が守るべき掟」のようなもので、専門的には「戒」が「修行者自身が個人的に守るべきこと」で、「律」が「集団生活のためのルール」なのだそうです。ちなみに、最も基本的な「戒律」は「五戒...
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「自分の恐れ」を恐れない|「確認できること」と「確認できないこと」を区別する瞑想的観察法

今回は、瞑想について、どちらかというと「テクニカルな事柄」を書いていきたいと思っています。つまり、瞑想の実践をする上で、知っていると役に立つ「テクニック」をご紹介するつもりです。といっても、それは「どうやって瞑想の対象に集中するか」といった...
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「瞑想」と「瞑想法」の違いについて|「瞑想法のアスリートたち」が直面するデッドエンド

あなたは何らかの瞑想法を実践していますか?呼吸や眉間に集中する瞑想をしている人もいれば、ヴィパッサナー瞑想やマントラ瞑想をしている人もいるかもしれません。こういった瞑想の技法やメソッドを実践すると、当人は思考や感情が静かになったり、心身が安...
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「至福」と「エクスタシー」の違いは何か?「エクスタシー」という名の「悟りの一瞥」について

世の中では、「薬物を使用することによって、『悟り』と同じ精神状態を作り出すことができる」と言われることがあります。私自身はドラッグなどを使った経験はありませんが、「強烈な歓喜」のような激しい感情を味わうことで、一時的に解放感を感じることがで...
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「倫理的」とはどういうことか?哲学者と探求者それぞれの「倫理」に関する向き合い方

かつて、池田晶子さんという哲学者がいました。もう亡くなられてしまったのですが、彼女は「哲学エッセイ」というジャンルを作った草分け的存在と言われています。そんな池田さんは、ある著書の中で「道徳」と「倫理」という言葉について、自分の中で明確に使...
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いつになったら「悟った」と判断していいのか?探求の過程で陥りがちなピット・フォール五選

前回の記事で、「覚者というのは独善的なのか?」ということについて論じました。覚者は「独善的な人間」なのか?「歪められた自己認知」と「徹底した自己観察」を対比する論考覚者は誰か他人から「悟り」を承認してもらうわけではなく、自分自身で「悟った」...
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覚者は「独善的な人間」なのか?「歪められた自己認知」と「徹底した自己観察」を対比する論考

前回と前々回で、「覚者とはいったいどんな人間なのか?」ということを書いてきました。「覚者」を見分ける二つの基準|「雄弁な無知者」と「口ごもる知者」のパラドクス悟ることができるのは「傑出した人物」だけなのか?探求とは「究極の平凡さ」へ向かう旅...
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「覚者」を見分ける二つの基準|「雄弁な無知者」と「口ごもる知者」のパラドクス

「真理」を悟るということを、「賢くなること」だと思っている人はいませんか?つまり、「『真理』を悟ると、常人には計り知れない叡智をその身に宿すようになるに違いない」とイメージするわけです。でも、本当のところはどうなんでしょうか?実のところ、「...
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人々が探している「自分」とは何か?「自分探し」と「自己理解」が、真理の探求とすれ違う時

「自分探し」という言葉が、一昔前に流行りました。いえ、もう二昔くらい前の話かもしれませんね。いずれにせよ、かなり多くの若者たちが、「自分」というものを探していたわけです。しかしそれは、探求者が「自己(セルフ)」について探求するのと、何か違っ...
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