瞑想の定義から具体的な実践の仕方まで、瞑想について幅広い記事をまとめています。
エッセイ 瞑想とは、自己を「寺院」とした「祈り」である|「存在」によって生かされる時、人は「自身の天命」を知る
最近は言わなくなっていましたが、私は一時期、「瞑想」のことを「祈り」と表現していたことがありました。もともと、この表現は、カビールという北インドの神秘家から借りていたものです。カビールは「織工しょっこう」という職業の人で、いわゆる機織はたお...
ブログ記事 【補足記事】「無努力の受動的な覚醒」を培うスモールステップのご紹介
ひとつ前の記事で、「探求の後半戦」において「無努力を育てる」という方向性を書いたのですが、実践する上で指針となるような、「もう少し具体的なこと」についても付け加えて書いておこうと思います。なお、元記事はこちら。【元記事】探求の後半戦における...
ブログ記事 探求の後半戦における「無努力の実践」について|人は恐れゆえに「努力」にしがみつく
私はよく、「探求の前半戦」とか「探求の後半戦」とかいった言い方をします。「前半戦」と「後半戦」の境目は、禅宗で言うところの「見性けんしょう」を得ることです。これは言い換えれば、「自我」の向こう側にいる「本当の自分」を初めて自覚することと言え...
ブログ記事 「中道」は「自分のしていること」にうんざりした時、自然と起こる
以前、「父性原理」と「母性原理」について記事を書いたことがあるのですが、このことについて、再度、もう少し具体的に考えてみたいと思います。ちなみに、前に書いた記事はこちらです。【関連記事】「内なる父」と「内なる母」が一つになる時、人は本当の意...
エッセイ 「苦しみと同化すること」こそが、「苦しみ」を苦しまなくなるための道である
瞑想を実践している人の中には、「どんな思考や感情が湧いてきても、それから離れて立っていないといけない」と考えている人もいます。私も過去にはそのように考えていました。ただ、今は少し違う立場を取るようになっています。今回はその話をしたいと思いま...
エッセイ 「全ての答え」は内側に在る|瞑想とは「するもの」ではなく、「起こるもの」である
とある方とメールでやり取りしていて、「本では何度か書いたけど、ブログでは書いたことがなかったトピック」の存在に気づいたので、記事にして共有しておきます。それは、「結局全ての到達点は同じだ」ということです。たとえば、何らかの瞑想の技法を実践し...
ブログ記事 初の瞑想会まであと約一週間|「来る意志」のある人は、万難を排してやって来る
当ブログ開設から初めての瞑想会まで、あと一週間ほどになりました。予定では、岡山で2/22(日)13:00~14:30に開催することになっています。定員は五名に設定していますが、今のところ、二名の方から参加の申し込みを受け取っています。なお、...
エッセイ 「過去の傷」が「思い出」に変わる時|未来と過去という「虚構」からリアリティを剥ぎ取る修行
昨日、五年前から凍結していたフェイスブックの更新を再開したのですが、そっちが今、結構面白くなっています。【関連記事】【個人的な報告】長年閉鎖していたフェイスブックのアカウントを再開しました私は過去に自殺未遂やパニックの発作を繰り返して人に迷...
ブログ記事 「頭の中」だけで瞑想しないこと|「感覚への耽溺」がもたらす「時間」の溶解
ある方とメールでやり取りしていて思ったのですが、「頭で瞑想する」のと「心身で瞑想する」のとを分けて捉えるのはけっこう大事かもしれません。そもそも、「瞑想」というと、私たちは「頭を使ってするものだ」と思い込みがちです。実際、科学的な研究でも、...
エッセイ 「信頼」という名の明け渡し|「蛮勇」と「本当の勇気」の違いについて
最近、お問い合わせなどで複数の方と並行してやり取りをしているのですが、どの方も「勇気」があると思います。なぜなら、私にお便りをすることで、その人はある意味、私の目の前にある「まな板」の上に自分自身を載せているからです。「言葉を書く」というの...
