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実践の方法論

ブログ記事

「覚者」を見分ける二つの基準|「雄弁な無知者」と「口ごもる知者」のパラドクス

「真理」を悟るということを、「賢くなること」だと思っている人はいませんか?つまり、「『真理』を悟ると、常人には計り知れない叡智をその身に宿すようになるに違いない」とイメージするわけです。でも、本当のところはどうなんでしょうか?実のところ、「...
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人々が探している「自分」とは何か?「自分探し」と「自己理解」が、真理の探求とすれ違う時

「自分探し」という言葉が、一昔前に流行りました。いえ、もう二昔くらい前の話かもしれませんね。いずれにせよ、かなり多くの若者たちが、「自分」というものを探していたわけです。しかしそれは、探求者が「自己(セルフ)」について探求するのと、何か違っ...
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「怒り」は探求のための燃料になる|「怒り」を罪悪視せず、「自己理解の力」へと変える方法論

「この怒りっぽい性格をなんとかしたい」そんな風に思っている人はいませんか?いつもなんとなくイライラしていて、他人のちょっとした言動につい腹が立ってしまう。それで、時には相手にきつく当たってしまうこともあり、後で一人で自己嫌悪に陥る…。「怒り...
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「真理」を理解するのに努力は必要なのか?努力が意味を持つ人と、努力が障害になってしまう人

あなたは、努力することに意味を感じる人ですか?それとも、「努力しよう」という意志やモチベーションがあまり湧かない人でしょうか?今回の記事では、「真理を理解するのに技法の実践は必要なのか?」ということを考えたいと思います。かく言う私自身は、合...
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感覚の深化は身体との同化を強めるのか?|「生きている実感」こそが「本当の理解」をもたらす

最近、「身体的な感受性」を育てる技法について、いくつか記事を書きました。【自分の呼吸を感じられない人へ】感覚を深め、感情を解放する二つのステップ「身体的な快楽」に依存しないために|「目」を通じて内側へと潜る「内観法」これらの記事中で私は、身...
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【注意喚起・再び】「技法の森」の中で迷子にならないために|技法はしょせん「道具」と心得る

◎「ある教え」と「別の教え」の間で引き裂かれた経験連載記事以外の単発記事もいくらか数がそろってきたので、そろそろ注意喚起も兼ねて記事を書いておこうと思います。連載記事の中でも一度書きましたが、私の記事はあんまりたくさん読み過ぎないほうがよい...
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「身体的な快楽」に依存しないために|「目」を通じて内側へと潜る「内観法」

私は以前、「自分の苦しみを深く味わえば、その苦しみから解放される」と書いたことがあります。この技法は、もともと私の師である山家直生さんから学んだものでした。そして、「苦しみを味わう時には、苦しみについて考えるのではなく、その感覚に意識を集中...
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武道における「不動心」とは何か?瞑想の実践が深まることで、「戦う理由」は消滅する

私は過去に武道の道場で7~8年くらい稽古をしていたことがあります。その時の「失敗談」について、前に一つ記事を書きました。【筆者の失敗談】探求で出会う「よくある罠」|「霊的な覚醒」は悟りに必要なのか?その道場では、瞑想法や呼吸法が指導されてい...
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【自分の呼吸を感じられない人へ】感覚を深め、感情を解放する二つのステップ

今回は、呼吸を深める方法について解説したいと思います。私は過去に、「呼吸に集中する瞑想」について解説したことがありました。【第9.5回】「瞑想」の第一段階《実践編》|「無思考の味わい」を知るための呼吸瞑想これは、「呼吸に伴って発生する身体の...
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思考における「三つの層」|瞑想をすると、本当に考えることができなくなるのか?

瞑想の実践を始めたばかりの頃には、「瞑想をすると思考が無くなると言うけど、本当だろうか?」と疑問に思う人がいるかもしれません。もちろん、それは本当のことです。でも、私がそのように答えると、「じゃあ、瞑想をするとものを考えることができなくなっ...
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