当ブログの文章と筆者の著作物は全て著作権フリーですので、どうぞご自由にお使いください。

「身体との同化」を打ち破る「死の観想」のご紹介

今回は、「身体との同化」を打ち破るのに役立つ瞑想法を一つご紹介しようと思います。

それを私は「死の観想」と呼んでいます。

「身体が死んで消滅した」とイメージすることで、「身体が消えても消えないもの」を感得する瞑想法です。

このブログを読んでおられる方の中には、「身体との同化」がなかなか打破できなくて苦労している人もいるかもしれません。

「身体との一体化」の感覚が強いと、どうしても身体的な反応に振り回されやすくなってしまいます。

そういう場合には、今回ご紹介する瞑想法を継続的に実践してみてください。

1~2カ月ほど続ければ、「身体から分離した感覚」が徐々につかめてくるはずです。

ちなみに、先日のYouTubeライブでこの瞑想法をガイドする配信をしました。

今回の記事では文章でやり方を解説をしていきますが、実際にどんな感じで実践したらいいかわかりにくく感じた場合は、YouTubeライブのアーカイブも併せてご覧ください。

「死の観想」をおこなった回の瞑想ライブ(YouTubeへの外部リンク)

では、ここから実際のやり方を見ていきましょう。

「死の観想」に入るための二つの事前準備

この瞑想法を実践する時は、二つの事前準備が必要です。

1,吐く息を意識することで「身体が死んでいく感覚」を深める
2,かつて経験した他人の葬儀を思い起こして、「それが自分にも起こる」とイメージする

これら二つの事前準備をおこなってから、瞑想法に入ります。

「死の観想」をおこなう時は仰向けに寝た状態で実践しますが、この事前準備の段階から横になっておいても良いでしょう。

そのほうが、スムーズに実践に移れるのではないかと思います。

吐く息に重点を置いて、「死への受容性」を作り上げる

まず、1の「吐く息を意識する」ということについて解説します。

そもそも「息を吐く」ということはインドで古くから「死」を意味していました。

インドでは昔から、「息を吸うことは『生』を意味し、息を吐くことは『死』を意味する」と考えられてきたのです。

たとえば、私たちは息を吸うと生命力が高まって活き活きしてきます。

逆に、息を吐くと心身は緩んでリラックスしてくるものです。

実際、「生」の中には緊張があり、「死」の中にはくつろぎと安らぎがあります。

それゆえ、吸う息に重点を置き過ぎると、重心が吊り上がってきて心身が緊張してきます。

反対に、吐く息に重点を置くならば、重心が下がって心身がリラックスしやすいのです。

このあと、「死」を疑似体験する瞑想法をおこなうわけですが、その前提として、「死に対して受容的なマインド」がどうしても必要になります。

「死」に対して嫌悪感や不安感を抱いていると、今回の瞑想法は上手くおこなうことができません。

それゆえ、まずはそういった「心理的なブロック」をなくすために、吐く息に重点を置いて呼吸することで、心身を「死」に馴染ませていきます。

吸う息は身体に任せて、吐く息のほうに重点を置くのがポイントです。

そして、一息吐くごとに、自分の身体から「生気」が抜けていくのをイメージします。

「生命の温もり」が身体から離れ、次第に身体が固まっていくようにイメージするのです。

その際、「苦痛や不安から解放され、静かなくつろぎと安らぎの中へ入っていく」と感じるようにしてみてください。

「死は安らぎである」という意識が、この後で大事になってきます。

または、「一息吐くごとに身体が空っぽになっていく」とか、「自分が何も入っていない『がらんどうの空き家』になっていく」とかいったようにイメージしてみてもよいでしょう。

いずれにせよ、自分の内側が静かになり、安らぎが深まっていくのを感じることがポイントになります。

自分自身の葬儀をリアルにイメージする

そうして「死に対する受容性」が深まって心身がリラックスしてきたら、次に二つ目の事前準備を進めていきます。

過去に自分が経験した他人の葬儀を思い起こし、今まさに自分の葬儀がおこなわれているかのように想像するのです。

吐く息を繰り返して「生気」が身体を去ったなら、そうして死んだ身体が棺に納められているのをイメージします。

そして、葬儀の参列者が次々にやってきて涙を流している様子を想像してください。

人によっては何か言葉をかけてくるかもしれませんし、棺の中に花を入れる人もいるかもしれません。

そういった全てをありありとイメージしていきます。

この想像が具体的であればあるほど、「自分は死んだ」という感覚にリアリティが出てきます。

なので、なるべく明確にイメージしてみましょう。

葬儀の様子をイメージできたら、最後に出棺の様子を想像します。

自分を入れた棺が火葬場へと運ばれるのをイメージします。

そして、ついに身体が燃やされる時がやってきました。

ここまでで事前準備は終了です。

ここから、「死の観想」が本格的に始まります。

「死の観想」の手順の説明

火葬場で身体を燃やされる中で、もはや熱さは感じません。

ただ、身体の全てが灰になって消えていくだけです。

その灰になって消えていくプロセスを、明確にイメージしてみてください。

目を閉じて仰向けに寝た状態で、まずは爪先から灰になって消えていくように感じます。

頭から始めると思考に囚われやすくなるので、マインドから一番遠い爪先をスタート地点にするのです。

そうして、段々と上に移っていきます。

足の甲が消え、足首が消え、すねとふくらはぎが灰になり、膝と太ももが無に帰します。

イメージが明確であれば、本当に灰になって消えたかのような感覚がしてくるはずです。

なお、自分で実践をする時には焦って先に進まなくて構いません。

むしろ、「確かに消えた」と感じられてから次のパーツに移るようにしてください。

そうして、骨盤も消え、お腹の中のはらわたが灰になり、手も、腕も、心臓も、肺も煙になって消えていきます。

最後に首と頭が灰になって消えると、身体が全てなくなります。

その時、あなたはどこにいるでしょうか?

身体は既に消滅していますが、それでもあなたは存在しています。

うまく瞑想法が実践できている場合、「身体が消えた」という感覚と、「それでも自分は存在している」という感覚が同居していて、不思議な気分になると思います。

その感覚が大事です。

なぜならそれが「身体から分離している感覚」だからです。

この瞑想法を実践していくと、徐々に身体と意識のあいだに隙間ができてきます。

しばらく実践し続けることで、「身体との同化」が徐々に弱まり、たとえ身体の中にいても「自分は身体とは別である」と感じられるようになっていくでしょう。

以上が、「死の観想」のやり方です。

終わりに

いかがでしたでしょうか?

実際に試してみると、なかなか不思議な感覚になる瞑想法です。

とはいえ、慣れないうちは「死」に対する心理的な抵抗から、恐怖や不安が起こってしまい、なかなかうまく実践できないかもしれません。

ですが、吐く息に重点を置いてリラックスできるようになっていくと、「死というのもそれほど悪いものではないかもしれない」と思うようになっていくはずです。

実際、こうした「死の感覚」は、深いくつろぎと安らぎをもたらしてくれます。

もちろん、だからと言って自分から死に急ぐ必要はありません。

しかし、人は遅かれ早かれ死ぬものです。

そうであるならば、まだ生きているうちに「死に対する受容性」を育てていくことは意味のあることだと思います。

このように、今回ご紹介した瞑想法の主目的はあくまで「身体との同化を打ち破ること」ですが、「死への受容性を培うこと」にも役に立ちます。

興味の出た方は、ぜひ実際に試してみてください。

コメント