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エッセイ

エッセイ

「師」に学ぶことのパラドクス|受け取った「ツルハシ」で、ただ「自分の内側」を掘ればいい

私はよく「私の言葉に寄りかからないようにしてください」と言います。また、「私の言葉と自分の心が矛盾する時は、自分の心に従ってください」とも言っています。つまり、私は「最終的に、私の言葉には従うな」と言っているわけです。でも、それならそう言わ...
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エッセイ

「正しい瞑想」ではなく「楽しい瞑想」を|「楽観主義」こそが「内側の問題」を解決する

昨日の瞑想会について、少し文章にしておこうと思います。初の瞑想会でしたが、参加者はお二人で、どちらの方も他県からお越しになっていました。なお、さっき配信したラジオでも話したのですが、瞑想会を開いている間は、ほとんど身体のワークをして過ごしま...
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エッセイ

私の言葉の功罪について|瞑想会を終えて感じた当ブログの問題点

昨日は、初の瞑想会の開催日でした。参加者は、どなたも他県から来られた方たちで、それぞれに何年も実践を重ねてきた経験の持ち主です。そして、私のブログも熱心にお読みになっており、いろいろと疑問を抱えておられるようでした。私が本やブログで提示して...
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エッセイ

「神話」の継承|「道徳」や「律法」の起源について

昨日、少し考えたことがあるので記事にしておこうと思います。それは、私たちの「道徳」と「律法」の起源についてです。最初に断っておきますが、これは一種の「神話」です。学術的な裏付けがあるわけではなく、私が勝手に「こうだったんじゃないか」と思って...
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「責任」とは、その人にしかできない仕方で「存在」に対して応答すること

たぶん、今までブログでは書いたことがなかったと思うのですが、私は「責務」と「責任」という言葉を、意識的に使い分けています。私にとって「責務」とは、他人や世間から背負わされるものです。英語で言えば「Duty」ですね。要は、「義務」のことです。...
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「わからない」という「根源的な恐怖」と、そこから逃げるために作り出される「城塞」

私たちの「根源的な不安」というのは、「わからない」ということから来ているのではないかと思います。「未来がどうなるかわからない」「他人が何を考えているかわからない」「自分はどう生きたらいいのかわからない」こういった「わからなさ」が怖くなる時、...
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「成長する意志」を挫ける者はどこにもいない|「自分の責任」を自覚する人は「成長する自由」を生きられる

今回は、皆さんにとってちょっと「耳の痛い話」をします。「ちょっと」どころか、人によっては「激痛」になるかもしれません。私としては、特定の個人を攻撃する意図は無いですが、人によっては読んでいて苦しくなるかもしれないので、読む人はあらかじめ覚悟...
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「初心者」と「熟練者」はよく似ている|音階の螺旋階段をどこまでも昇り続ける「無垢」への道

先ほどアップした記事の中で私は「瞑想状態が深まると呼吸というのは自然と静止する」と書きました。【関連記事】「心の静止」は「呼吸の静止」|もしも「心の動き」がなくなると、呼吸と共に世界が止まるこれは、「心の動き」と「呼吸のリズム」の間に相関関...
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【コアなユーザーの方へ】私は皆さんの「補助輪」です|「内なる羅針盤」の目覚めと「仕事」の継承

改めて、当ブログのコアなユーザーの方にお伝えしておきたいことがあります。このブログには「熱心な読者」が多いので、開設から約二か月ほどの時点で、「数時間かけて読み込んでいる」という人がゴロゴロいました。ですが、くれぐれも私の言葉にずっと寄りか...
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「心の静止」は「呼吸の静止」|もしも「心の動き」がなくなると、呼吸と共に世界が止まる

私は「『自由』というのは深く息ができていることだ」と常々主張しているので、読者の中には、「きっとこの人自身はさぞかし深く呼吸をしていることだろう」と想像している人がいるかもしれません。しかし、実のところ、もしも「心」が透明になると、呼吸とい...
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