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エッセイ

エッセイ

【日記】新作の加筆作業と、フェイスブックの「村社会性」について思うこと

たまには日記みたいなことでも書いてみようと思います。今日は、現在執筆中の「心を生きる幸福論」の編集作業をしていました。ただ、原稿を寝かせていた2~3日の間に、私の認識や思考が深まったため、それより前に書いていた部分を全面的に加筆修正すること...
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エッセイ

「苦しみと同化すること」こそが、「苦しみ」を苦しまなくなるための道である

瞑想を実践している人の中には、「どんな思考や感情が湧いてきても、それから離れて立っていないといけない」と考えている人もいます。私も過去にはそのように考えていました。ただ、今は少し違う立場を取るようになっています。今回はその話をしたいと思いま...
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Q&A

「理論的な理想」を自分に強いないこと|「理論」より「感情」を優先する意味について

またまた読者の方とやり取りしていて気づいたことがあるので、ブログで共有したいと思います。私は先日、「見返りを求めず与えられるように、まず自分を満たしましょう」という趣旨の記事を書きました。【関連記事】見返りを求めずに与えるために|もしも「幸...
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エッセイ

「全ての答え」は内側に在る|瞑想とは「するもの」ではなく、「起こるもの」である

とある方とメールでやり取りしていて、「本では何度か書いたけど、ブログでは書いたことがなかったトピック」の存在に気づいたので、記事にして共有しておきます。それは、「結局全ての到達点は同じだ」ということです。たとえば、何らかの瞑想の技法を実践し...
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エッセイ

「愛を放射する太陽」としての生き方|「幸福」とは、「ゴール」ではなく「原点」である

最近、何人かの読者の方から「生活の中にある小さな幸せに気づきました」というお便りをいただきました。こういうのはとても嬉しいですね。別に、私の言った通りのことをしなくてもいいのです。私と同じ意見を持つ必要もありません。いつも言っていますが、私...
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エッセイ

「成熟」とは動機を内側に持つようになること|「何でもない日々」の中に喜びを感じ取る力

私たちの関心というのは、基本的に「外側」から「内側」に移っていく傾向があるのではないかと思います。たとえば、私は十代の頃、「他人からいかに評価されるか」ということに軸足を置いて生きていました。当時は、進学校に通いながらダンスをしていたのです...
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「過去の傷」が「思い出」に変わる時|未来と過去という「虚構」からリアリティを剥ぎ取る修行

昨日、五年前から凍結していたフェイスブックの更新を再開したのですが、そっちが今、結構面白くなっています。【関連記事】【個人的な報告】長年閉鎖していたフェイスブックのアカウントを再開しました私は過去に自殺未遂やパニックの発作を繰り返して人に迷...
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どうしても黙っていられないこと|「規格外の読者」との出会い

ダメだ…、どうしても黙っていられないので言わせてください。ここ数日、ある読者の方とやり取りをしているのですが、その人は私のことを「先生」と呼んでいます。でも、その人は私よりずっと年上で、社会的な地位もある方です。にもかかわらず、何十歳も年下...
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エッセイ

読者とのやり取りは私にとって「良い修行」です|お問い合わせをお待ちしています

最近は、嬉しいことに読者の方からのメッセージが増えてきて、楽しくやり取りをしています。また、読者の方からは様々な視点をもらえていて、やり取りをする中でブログに書くことを思いついたりもします。メッセージを送っている人たちの中には、「こんなこと...
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「信頼」という名の明け渡し|「蛮勇」と「本当の勇気」の違いについて

最近、お問い合わせなどで複数の方と並行してやり取りをしているのですが、どの方も「勇気」があると思います。なぜなら、私にお便りをすることで、その人はある意味、私の目の前にある「まな板」の上に自分自身を載せているからです。「言葉を書く」というの...
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