【第9.5回】「瞑想」の第一段階《実践編》|「無思考の味わい」を知るための呼吸瞑想

前回と前々回の記事で、「瞑想」の実践における第一段階、「集中する瞑想」の位置づけについて説明しました。

【第8回】「瞑想」の実践の全体像|四つの段階のロードマップ

【第9回】「瞑想」の第一段階《理論編》|なぜいったん「自我」を強化するのか?

今回は、前回の記事のいわば実践編ということで、「第9.5回」と銘打って話を始めていこうと思います。

つまり、前回の記事(第9回)と今回の記事(第9.5回)は「合わせて一つ」と考えてください。

よろしいですか?

そもそも、全四段階にわたる瞑想の道において、一番最初に知っておいたほうがいいことは、「思考が静まっている時の感覚」です。

実のところ、世の中のほとんどの人は、これを知りません。

というのも、私たちは物心ついたころから寝ても覚めても考え事をし続けているので、「思考が一切ない時に、体感としてはどんな感覚がするものなのか?」ということが、自身の体験としてさっぱりわからないのです。

そこで、「瞑想」の第一段階では、「無思考の味わい」をまず自分で体験することを目指していきます。

この「味わい」が、今後の「瞑想」の実践が正しく進んでいるかどうかについて、自己判定する時の基準になります。

ですので、初歩的なことですが、とっても大事です。

では、そのような「無思考の味わい」を体験するための、具体的な方法に入っていきましょう

◎「呼吸に意識を向ける瞑想法」の具体的な実践方法

世の中には瞑想の技法が無数に存在しますが、今回私は「呼吸に意識を集中する瞑想法」をお伝えします(なお、なぜ数ある技法の中からこれを選んだのかについては、後述します)。

やり方はとっても簡単です。

まず、自宅の一室など、自分一人になれる静かな環境を見つけてください。

そして、静かな環境が見つかったら、そこに腰を下ろして、ゆっくりと目を閉じてください。

ちなみに、坐り方については気にしなくて大丈夫です。

禅のお坊さんみたいにギッチリ足を組む必要はありませんし、ヨガの行者さんのように複雑ポーズをする必要もありません。

もし足などが痛ければ、椅子に坐っておこなっても問題ありません。

ただし、椅子を使う場合は、背もたれには寄りかからないようにしてください。

そのまま眠ってしまうかもしれませんから。

ということで、静かな場所にゆったり坐って目を閉じたら、今度は自分の呼吸の感覚に意識を向けてみてください。

たとえば、息を吸う時には身体が膨らむような感覚がするかもしれませんし、逆に、息を吐く時は身体がゆっくりしぼんでいくような感覚がするかもしれません。

そうしたら、その膨らんだりしぼんだりする感覚に、自覚的に意識を向けるようにしていきます。

あるいは、またある人は、鼻の穴を出たり入ったりする空気の感触を感じるかもしれません。

「身体の膨らみ・しぼみの感覚」が上手く感じられない人は、こういった「鼻の穴に空気が当たる感触」に意識を向けてもいいでしょう。

いずれにせよ、呼吸に伴って感じられる感覚が見つかったら、そこに意識を集中して固定します。

たとえば、「身体の膨らみ・しぼみ」に集中すると決めた場合、その感覚を丁寧に感じ続けることだけに意識を集中してください。

「鼻の穴の感覚」に行ったり、また「膨らみ・しぼみの感覚」に戻ったりと、行ったり来たりするのではなく、「自分が決めた一点」にのみ集中します。

やってみるとわかりますが、私たちの集中力はほとんど持続しません。

たぶん一番最初にこの方法を実践した時は、わずか10秒の間さえ、同じ感覚に意識を集中することができないはずです。

気づくといつの間にか他の感覚に気が逸れていたり、思考に気を取られたりしていると思います。

ですが、それに関して落ち込む必要はありません。

「瞑想」を始めたばかりの頃というのは、みんなだいたい「そんなもの」です(実際、私もそうでした)。

ですので、「自分は何て集中力がないのだろう…」と落ち込んだりせず、静かにもう一度「自分が決めた対象(膨らみ・しぼみや鼻の穴の感覚)」に意識を戻してください。

何度でも、何度でも、です。

実際、実践するとわかりますが、私たちの意識は何度も逸れます。

「今度こそ集中し続けてみせるぞ!」とたとえどれだけ固く決意しても、気づくといつの間にか、簡単に気が逸れてしまっている自分を発見することになるでしょう。

そうしたら、もう一度「自分が決めた対象」に意識を引き戻します。

これをとにかく繰り返してください。

時間としては、最初は5分くらいから始めるのが適当であると思います。

最終的には、1回30分~1時間くらいかけておこなうようになるのですが、いきなりそれを目指すのは「キツい」でしょう。

なので、まず5分。

日常の中の「小さな時間」を見つけて、一人静かに呼吸を感じてみてください。

実践時間は自分の進度やモチベーションなども考慮に入れて、徐々に延ばしていくのが良いと思います。

以上が、この瞑想の具体的な実践方法です。

◎瞑想アプリを導入するのも有効

なお、実践の終わりを知らせるタイマーについては、今だと瞑想用のアプリがたくさん世に出回っているので、それらを使うと便利です。

たとえば、私は過去にMedativoというアプリを使っていました。

Medativo:瞑想タイマー – Google Play のアプリ時間について忘れ – 瞑想に集中しよう。play.google.com

このアプリは無料でも使える上に、余計な機能がついていなくてシンプルだったので、気に入ってよく使っていました。

また、こうしたアプリは自分の瞑想の実践についての記録も取ってくれるので、人によっては続けていくモチベーションにもなるでしょう。

もちろん、別に私が使っていたのと同じアプリを使う必要は一切ありません。

自分の気に入ったものを使っていただいて結構です。

まあ、それこそキッチンタイマーを使ってもいいんですけどね。

ただ、キッチンタイマーはいささか音が大きいので、いきなり鳴るとびっくりしてしまったりもします。

かつてまだスマホが今ほど世に出回っていなかった頃の私は、キッチンタイマーにクッションをかぶせて音を小さくして、瞑想の実践をしていたものです。

それを考えると、今は便利に時代になりました。

◎瞑想法における「集中」は、思考を閉め出すための「方便」

閑話休題。

とにかく、「集中する瞑想」においてポイントとなるのは、自分の意識を特定の対象に固定することです。

なぜこれが大事なのかと言いますと、前回も少し書きましたように、「集中すること」によって思考が閉め出されるからです。

もう一度、ここでの私たちの目的を確認します。

この第一段階の目的は「無思考の味わい」を体験することでした。

そして、この「無思考の味」こそが、今後の実践の正しい方向を指し示す羅針盤となります。

ですので、まずは「無思考の味」を知るためにも、内側の思考を静める必要があるわけです。

つまり、「思考を静めるための方便」として、「呼吸への集中」を使うわけです。

別に、呼吸に集中したら血行が良くなって健康になれるとか、霊的な力が高まってハンドパワーが使えるようになるとかいったことではありません(そういうこともひょっとしたらあるのかもしれませんけれど)。

あくまでも「呼吸への集中」は、思考を静めるための「方便」として使います。

そういう意味では、「集中さえ維持できるなら、何を対象に集中してもいい」ということにもなります。

実際、そうであるからこそ、世の中には「無数の瞑想法」が存在しているのだとも言えます。

たとえば、ある人はろうそくの火を見つめ続ける瞑想を実践するかもしれませんし、別のある人は、マントラを一生懸命に唱えることに集中する瞑想をするかもしれません。

たとえ対象が何であれ、「集中力を行使する」という点が共通しているのであれば、それらは全て思考を静めるための「方便」として機能します。

だから、ある意味では「集中する対象は何でもいい」と言えばそうなのです。

にもかかわらず、私がここで「呼吸に集中する瞑想」をあえて推奨したのには理由が二つあります。

以下、説明してみましょう。

◎物も手間も要らない瞑想のメリット

私が、瞑想の第一段階で「呼吸に集中する瞑想」を推奨する一つ目の理由は、とてもシンプルです。

それは、実践するのに余計な物や手間が要らないということです。

たとえば、さっき上で書いた「ろうそくの火に集中する瞑想」の場合、毎回実践のたびにろうそくを用意しないといけません。

もちろん、最初のうちは当人も新鮮な気分がして、そういった手間も惜しまないかもしれませんが、続けていくうちにろうそくをいちいち用意することを、面倒くさく感じ始める可能性もあります。

また、マントラを唱える瞑想などの場合、壁が薄い賃貸住宅などに住んでいると、隣近所から「うるさい」と文句を言われる可能性があります。

私も過去に、OSHO(オショー)という覚者が考案したダイナミック・メディテーションという大暴れしたり大声を出したりする瞑想法を実践していたことがあるのですが、あれは防音機能のある施設にでも行かないと、近所迷惑過ぎてとても実践できません。

こういった実施するのに特別な条件をクリアしないといけない瞑想法というのは、継続することが難しくなってしまう場合があります。

でも、もしも「集中の対象」が呼吸であれば、前もって物を用意する必要もなければ、騒音を気にする必要もありません。

それに、「生まれてから一度も呼吸をしたことがない」という人はいませんから、「やり方がわからない」ということにもならずに済むでしょう。

そう言った理由から、私は瞑想の初心者には「呼吸に集中する瞑想」を推奨することにしているのです。

◎「強すぎる集中」は逆効果?瞑想技法の持つ「強度」の考え方

私が「呼吸に集中する瞑想」を推奨するもう一つの理由は、ちょっと理屈が複雑です。

ですが、「瞑想」そのものについて理解するためにも重要なポイントなので、少し長くなりますが説明しておこうと思います。

そもそも、世の中にはなぜこんなにも瞑想の技法が溢れているのでしょうか?

それは、人によって「自分にはこれが最適だ!」と感じる瞑想法が違うからですよね。

でも、いったい「何」が違うのでしょう?

私にとって師にあたる山家直生さんは、それぞれの瞑想法の間で違っているのは、瞑想の実践において当人の心身にかかる刺激の「強度」ではないかと言っていました。

たとえば、私がさっき書いたOSHOのダイナミック・メディテーションなんかは、「強度」が抜群に高いです。

ひたすら身体を激しく動かし続けたりだとか、はたまた大声で叫び続けたりだとかすることに、意識を集中していきます。

すると、あまりにも「集中する対象」が激しいので、余計な考え事が浮んできにくかったりします。

それに比べると、マントラを唱える瞑想なんかの場合、もうちょっと「強度」が落ちてきます。

全身を激しく動かす瞑想に比べたら、マントラに集中することのほうが、おそらく思考は湧きやすいはずです。

「なーんだ、だったら無思考になるためには、みんな『強度の高い瞑想法』をしたらいいんじゃん」と、あなたは思うかもしれません。

確かに、瞑想法の「強度」が高くなると、それに反比例して思考の発生は少なくなっていくでしょう。

ですが、「強度の高い瞑想法」には欠点もあって、それは、集中することに必死になるあまり、「無思考の静けさを味わう余裕」がなくなるということです。

たとえば、マントラ瞑想をおこなう場合、当人は一生懸命マントラを唱え続けることになります。

そうすれば、当人はマントラを唱えることに必死になることで、確かに思考に注意を持っていかれることを避けやすくはなるでしょう。

ですが、あまりにもマントラを唱えることに必死になると、そこには「静けさ」のようなものは無くなってしまいます。

つまり、思考という「騒音」がなくなった代わりに、過度な集中という「力み」が生じてしまうのです。

ちなみに、OSHOのダイナミック・メディテーションは、ひたすら暴れて叫びまくった後、彫像のように全身をストップさせて内側を観察するフェイズが設けられています。

そうすることで、動と静とを当人の中で対比させやすくし、「静けさ」をより深く感じさせることを目的にしているのです(まあ、そのフェイズに行くまでの過程が疲れるのですが…)。

◎徐々に瞑想法の「強度」を落とし、「1分間、静かにしていられる状態」を目指す

このように、世の中の各種瞑想技法にはそれぞれに固有の「強度」というものがあり、実践する人によって、好みが変わってきます。

一般的に、もともと活動的で思考が多めな人は「強度の高い瞑想法」を好む傾向があるのではないかと思います。

というのも、「強度」が高いとそれだけ思考を抑える力も強力になるからです。

たとえば、もし仮に、もともと活動的な人がジッと坐ってする瞑想法をおこなった場合、落ち着かなくてイライラしてくるかもしれません。

また、そんな風に瞑想法の「強度」が低いと、次々に湧いてくる思考を抑えきれず、「全然集中することができない…」と感じて、当人は落ち込んでしまう可能性もあります。

そういう場合には、マントラ瞑想だとか、あるいは身体を実際に動かすヨーガのポーズ(アーサナ)を通した瞑想などを実践するほうが、当人にとっては「強度」がちょうどいいかもしれません。

今の自分にぴったりの「強度」を持った瞑想法であれば、落ち着かなくてイライラすることも避けられるでしょうし、「思考が湧いて止まらない」ということもなくなるでしょう。

ただ、「内側の静けさ」を深く味わうためには、「瞑想法の強度」を徐々に落としていく必要があります。

逆に、「強度の高い瞑想法」にあまり慣れてしまうと、毎日のように大声でマントラを唱え続けないと、思考を抑えることができなくなってしまう可能性があります。

これは、実際に「強度の高い瞑想法」を実践したことのある人は、経験的に知っているかもしれません。

そもそも、前回の記事でも書きましたように、「集中する瞑想」を実践すると、私たちの「自我」は強化されます。

それによって当人の自己コントロール感覚は強まって、「自分は思考を抑えることができている」という実感が持てるようになっていきます。

ですが、実は「自我」を強めると「思考」も一緒に強まる傾向があります。

なぜなら、「自我の活動」も「思考の発生」も、「同じエネルギーの別な現れ」に過ぎないからです。

このため、「強度の高い瞑想法」に慣れ過ぎると、「瞑想をしていない時間」の思考の量がどんどん増えていってしまいます。

必死になってマントラを唱えたりしている間は思考を抑えることができるのですが、いざ唱えるのをやめてしまうと、一気に抑えつけられていた思考が溢れてくるのです。

このような事態を避けるためには、実践している瞑想法の「強度」を徐々に下げていき、「必死になって集中していなくても思考があまり湧いてこない状態」を目指していく必要があります。

そうしないと、いつまで経っても落ち着いて「無思考の静けさ」を味わうことができず、次の第二段階である「集中しない瞑想」に進めなくなってしまいます。

ですので、もしも今回私が解説した「呼吸に集中する瞑想」では「強度」が足りないという方は、まずマントラ瞑想やヨーガのポーズの実践などをされることも、一時的に意味があると思います。

しかし、だからといって、そこにずっとは留まらず、徐々に「瞑想法の強度」を落としていくことが大切です。

私自身の提案としては、「ジッと坐って何もせず、1分間、呼吸にだけ集中できる状態」を目指すのが、現実的なラインではないかと思っています。

いずれにせよ、「呼吸に集中する瞑想」を実践していくと、徐々に思考は少なくなっていくでしょう。

最初は10秒も集中が続かなかったのに、段々と「呼吸に集中し続けられる時間」が延びていくはずです。

第一段階の実践では、ひとまず1分間、一切思考せず呼吸に集中し続けられれば「ゴール」とします。

まずここを目指してみてください。

たぶん、これが達成できるようになる頃には、「無思考の状態」がどんな感覚のするものかについて、はっきりとした自覚が持てるようになっていると思います。

その自覚が持てるようになってきたら、次の第二段階の実践である「集中しない瞑想」へ移行して構わないでしょう。

いずれにせよ、まずは1回5分の実践から始めてみてください。

きっと最初は「全然できない…」「向いてないかも…」と思うでしょうけれど、大丈夫です。

私を含めた、誰もが通った道です。

今後の実践の羅針盤となる「無思考の味わい」を目指して、ぜひできることから始めてみてください。


ということで、今回は第一段階の「集中する瞑想」について、具体的な実践方法と注意すべきポイントについての解説でした。

最初は全然集中できなくてがっかりするかもしれませんが、誰だって初めはそういうものですし、根気強くやっていけば必ずできるようになりますので安心してください。

ということで、次回は瞑想の第二段階として、「『自我』から『無意識』による瞑想へのシフト」として、「集中しない瞑想」について書いていこうと思います。

では、また次回。

【追記】
次回は瞑想の第二段階である「集中しない瞑想」について書くつもりだったのですが、その前に、一度お伝えしておきたいことがあったので、予定を変更して別な記事を書きました。

ちなみに、私がこのタイミングでお伝えしたいことは、「あんまり一気に私の書いた記事を読まないほうがいいよ」ということです。

なぜそういう話になるのかについては、次の記事で書いていますので、興味のある人は読んでみてください。

では、また。

⇓⇓次回の記事です⇓⇓

【注意喚起】技法の実践において、「情報の詰め込み」が問題となる理由