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【自由参加型イベント】毎朝5:30~6:00にyou tubeで瞑想朝稽古配信をしています

実は、この数日、毎朝5:30~6:00に瞑想の一人稽古をyou tube上で配信していました。

それで、実際に数日やってみて、「これなら無理なく続けられそうだ」と感じたので、今後は毎日開催する常設のイベントとして設定し、ブログ等でも告知することに決めました。

基本的に私自身の稽古を目的にして配信しているものですが、もしも一日の始まりを静かに坐って始めたいという方がおられましたら、画面を通してですが、私と一緒に坐りましょう。

朝のうちに瞑想の稽古をすると、気持ちよくスタートを切れますし、「今日するべきことはもう終わった」という気分にもなれるので、日中に力を抜きやすくもなると思います。

「瞑想の習慣を日々の生活に取り入れたい」という人や、「何か朝活をやってみたい」という人は、ぜひ朝の瞑想枠にお越しください。

なお、途中での入退室は自由ですし、チャットも一切不要です。

アーカイブには残さずに毎朝枠を立て直すので、その都度、私のチャンネルページからライブの告知を見て来ていただくとスムーズかと思います。

ひとまず、明日(3/21)の朝の枠だけリンクを貼っておくので、参加される場合は↓から入室してください。

以上、よろしくお願いいたします。

コメント

  1. ちゃーりー より:

    こんにちは。お世話になってます。

    思考について質問です。

    集中する瞑想だと、集中を妨げるものが思考だとわかりやすいのですが
    真ん中を意識して臍下の一点に降りていく、という瞑想をやっている際
    には思考が多すぎるのか、よくわからなくなってきます。
    何の脈絡もない、突拍子もなく湧いてくる思考は明らかですが、それを
    眺めているうちに消えたな、と思っていましたが「消えたな、と思って
    いるこれも思考じゃん」となってしまいました。

    そうなると静寂などほど遠く、途切れることなく思考があふれている、ということ
    になります。
    例えば座っていて「何か音がするな」→「風が強いんだな」→「さっき干した
    洗濯物飛ばないかな」→「そういえばこの前のあの嫌なことがあった日も風が
    強かったな」と考えが展開していったとしてどこから「思考」と捉えるべきで
    しょうか。
    文字に起こせるような考えが出ていたらすべて「思考」なのでしょうか。

    細かいこと考えずに真ん中を意識して座っていればいい、ということでしたら
    それで全然構いませんし、結局できるのはそれだけなのですがなんとなく気に
    なって質問させていただきました。

    • 湯浅和海 湯浅和海 より:

      >ちゃーりーさん

      こんばんは、湯浅です。
      瞑想中の思考について、いったいどこからどこまでを「思考」と捉えるべきなのかですね。

      これについては、まず思考そのものを二種類に分けます。
      すなわち、「自覚的な思考」と「無自覚な思考」の二つです。

      「無自覚な思考」は、マインド自体が勝手に巻き起こすものであり、私たちはこれに巻き込まれて我を失います。
      たとえば、瞑想中に「気づいたら考え事に夢中になっていた」となった場合、「無自覚な思考」に巻き込まれています。

      そして、この「無自覚な思考」は、意識的に観察することも可能であり、
      「なんか音がするな」→「風が強いんだな」といった具合で自動的に思考が浮かん来た際に、これに気づくこともありえます。
      いずれにせよ、自動的に湧いてきて勝手にどんどん展開するのが、「無自覚な思考」の特徴です。

      これに対して、「自覚的な思考」の場合、「自我」が意志によって思考を展開します。
      たとえば、「無自覚な思考」が収まってきて、「あ、今思考がないな」と思うのは「自我」の仕事です。

      こういった「自覚的な思考」の場合、「思考が向こうから勝手に湧いてくる」という感覚は弱まり、
      「自分で自覚的・意図的に考えている」という感覚が強くなってきます。
      つまり、「自分で自分の思考をコントロールできている感覚」が強まるのです。

      そして、この「コントロール感覚」が十分に強まると、最終的に「意志として黙る」ということが可能になります。
      「無自覚な思考」が静かになってくることで、「結局のところ、最後は俺が自分で黙ればいいのか」と気づくわけです。
      そうしたら、あとは「自我が黙る」ということを受け入れるうちに、「真の静寂」が訪れるようになっていきます。

      なので、フローチャートとしては、以下のような感じになります。

      「無自覚な思考」に何度も巻き込まれ続ける
       ↓
      「無自覚な思考」に巻き込まれる回数が減ってくる
       ↓
      「無自覚な思考」を自覚的に観察できるようになってくる
       ↓
      「無自覚な思考」が湧いていないけれど、それについて「今思考がないな」と「自我」が言うようになる(「自覚的な思考」の生起)
       ↓
      「無自覚な思考」によって我を失わなくなってきて、「自覚的な思考」が中心になっていく
       ↓
      「自我」自身が自分で黙ることを選択し、「無自覚な思考」と「自覚的な思考」の両方がなくなる
       ↓
      「真の静寂(無思考)」が訪れる

      こんな感じで実践は進んでいきます。

      なので、ちゃーりーさんの現状は、「無自覚な思考」から「自覚的な思考」にシフトしてきているあたりになると思います。
      そこからは、思考がすべて自覚的なものになってきて、「自分は自分の思考を自覚的に操作できている」というコントロール感覚が強くなってきます。
      また、「無自覚な思考」に巻き込まれて我を失う回数も徐々に減っていくはずです。

      そうなったら、そこからは「自我」が意志として黙るという、「もう一歩高度な瞑想」に移っていきます。
      「無自覚な思考」が少なくなればなるほど、「自覚的な思考」に軸足が移っていき、最終的には「自覚的な思考」をしないで黙っていることが、実践の中心になるわけです。

      なので、主観的には「思考してばっかりだな」と感じておられるかもしれませんが、着実に「無思考」に向かって進んでいっているので、心配ありません。
      今後は、徐々に思考すべてが自覚的なものになっていき、最後にはそれもしないで黙っていることで「静寂(無思考)」が訪れるようになります。

      なお、今回の内容は、また動画か記事にしてまとめようと思いますので、それも併せてご確認ください。
      それでは。