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自由

エッセイ

「世界」は実在しないのだから、ただ「無意味さ」の中で踊ればいいだけ

私は時々、「世界は実在しない」と言いますが、人によっては「それなら、どうしてお前はこんな風に世の中の他人に向かって文章を書いているのだ」と言いたくなるかもしれません。これについて私は、「半分遊び」で、「半分本気」です。まず、私の言う「世界は...
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エッセイ

人は「自由」であるがゆえに、いかなる「選択権」も持っていない

現在執筆中の「現成公案げんじょうこうあん・解説本」が第五章まで書き終わりました。今の時点で六万文字弱なので、当初予定していた新書サイズでの出版は無理そうです。これはまた四六判かな。紙で読む人は、ちょっと「持った時の感覚」がずっしりしてくるか...
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エッセイ

丸二か月で百万文字のアウトプット達成|真の創造性は「遊び」の中で開花する

今日で、私がこうしてブログで情報発信をするようになってから、丸二か月が経ちました。最初は、noteで本名を隠してこそこそと書いていたのですが、途中から「もっとバンバン情報発信したいぜー!」と思うようになり、本名を公開して独自ドメインも取得し...
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エッセイ

知者には「無知」を突きつけて、無知者には「智慧」を思い出させる

私の文章を読むことで、かえって精神的に不安定になる人も、結構いるのではないかと思います。理由はたぶん二つあります。一つは、私が「人々の知りたがっていない真実」をあえて書いているから。もう一つは、私が「人々が無意識に寄りかかっているもの」を積...
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エッセイ

「覚醒」から逃げ出す人々|「覚醒」とは「責任の自覚」の別名である

「現成公案」の解説本、第二章が書き終わりました。この章は、「現成公案」の中の有名なフレーズである「仏道をならふといふは、自己をならふ也」を解説する章です。道元は「仏道」と言っていますが、これは彼が仏教徒だからであって、現代風に解釈するなら、...
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エッセイ

【新作の全体像の報告】虎の威を借る「教師」たちと「真理」を共有する「師(マスター)」たち

一昨日から書き始めた「道元の現成公案解説本」ですが、全体像が少しずつ見えてきました。どうもこんな流れになりそうです。道元自身の探求の旅を辿り、彼のルーツを理解する道元の言う「自己をならふ」の意味を理解する「自己をならふ」の第一段階としての「...
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ブログ記事

【新作進捗報告】「教師(ティーチャー)」と「師(マスター)」の違いについて

自伝の出版もできたので、次作の「道元解説本」を書いています。とりあえず、今朝の執筆で「まえがき」と「第一章」が書き終わりました。今のところ、文字数は一万文字ちょっと。予想では、五万文字くらいでフィニッシュするのではないかと思いますが、これば...
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エッセイ

「大事なもの」は目に見えない|「目に見える数字」を追わないことの意味について

「数字にならないもの」というのは、ほとんどの人には理解できないのではないかと思うことがあります。たとえば、私は昔、まだ十代の若者だった頃にダンスを稽古していたのですが、当時の私は「数字にできること」しか理解できませんでした。その頃の私はブレ...
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エッセイ

「躁状態」と「自立しつつある状態」の違いについて

昨日、「一般的に、精神医学は『異常』と『超常』の見分けがつかない」と書きました。「世間の常識」と「精神医学」が見落とすもの|「異常」と「超常」の違いについて人間の生命力が内側から開花すると、当人は非常にエネルギッシュに「自分の活動」をするよ...
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エッセイ

「苦しみ」を愛するための道

自伝の入稿も済んだのですが、改めて読み返していて、我ながら「よくもまぁ、これだけ苦しみ抜いたものだ」と思いました。もちろん、「苦しみっぱなし」というわけではないのですが、落ちる時にはとことん落ちて、過去の私はひたすら苦悩していました。でも、...
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