当ブログの文章と筆者の著作物は全て著作権フリーですので、どうぞご自由にお使いください。

実践の方法論

「探求を進めていく上で、どのように実践をしていくべきなのか?」という実践の方向性を示す記事をまとめています。

エッセイ

瞑想で人生が虚しくなる?「分離の感覚」が深まることで生じる虚無感の乗り越え方について

前回の記事で私は、「瞑想というのは分離の技術だ」と書きました。【前回の記事】瞑想とは「デタッチメント」の実践である|「分離の感覚」こそが、心を真に自由にするたとえば、瞑想を実践していると、思考と自分の間に「分離の感覚」が出てきます。自分が思...
0
エッセイ

瞑想とは「デタッチメント」の実践である|「分離の感覚」こそが、心を真に自由にする

瞑想の実践をすると「分離の感覚」が育っていきます。ここで言う「分離の感覚」とは、「自分は思考や感情、自我や身体とは別個の存在なのだ」という実感のことです。たとえば、瞑想を日々実践し続けている人は、「自分の思考を観察する」ということが徐々にで...
0
エッセイ

「無執着」は練習することができない|「真の無執着」と「痩せ我慢」の違いについて

瞑想の世界では、「執着しないこと」がしばしば強調されます。特に仏教では「無執着」が非常に重視されています。なぜなら、「執着こそが苦しみを生む」という構造があるからです。とはいえ、「執着を捨てよう」と思って簡単に捨てられたら苦労はありません。...
2
ブログ記事

岡山での瞑想会とライブ瞑想会のメリット・デメリットを整理しました

現在、Zoomによるオンライン瞑想会を休止中のため、私が主催する瞑想会に参加する場合、選択肢は以下の二つです。「岡山でのリアル瞑想会に参加する」「YouTubeでのライブ瞑想会に参加する」ただ、それぞれにメリットとデメリットがございますので...
0
ブログ記事

「心を無にする」とはどういうことか?ヨーガや原始仏教で重視される「ニローダ」についての私見

ヨーガや原始仏教では「ニローダ」ということの重要性が説かれています。ちなみに、「ニローダ」は「心のはたらきの止滅」と訳されることもありますが、原義としては「統制」や「コントロール」といった意味の言葉のようです。今回は、この「ニローダ」につい...
0
エッセイ

内なる貪欲を焼き尽くす|欲求と敵対せずに無欲求へと至る道

仏教に、「渇愛(タンハー)」という概念があります。「タンハー」とは激しい喉の渇きのような欲望のことです。泥水でも何でもいいから、飲まずにいられない。そういった「心の渇き」のことを、「タンハー」と呼ぶわけです。瞑想を実践していると、多くの人は...
0
エッセイ

「気づき」と「集中」を区別する|日常生活を瞑想化する技術

私はだいたい2年半ほど前から「生活すべてを瞑想的に過ごす」ということを実践しています。ただ最初のうちは、「どうやって瞑想を生活の中に持ち込んだらいいか」がよくわかりませんでした。それまでは時間を取って坐って瞑想していたのですが、日常生活の中...
0
ブログ記事

本来の瞑想は「集中」ではなく「識別(ヴィヴェーカ)」である

瞑想の実践においては「識別」が非常に大事です。なお、ここで言う「識別」というのは、「『変化するもの』と『変化しないもの』を区別すること」を意味します。「変化するもの」とは、この世のあらゆる物や事象のことであり、「変化しないもの」とは、私たち...
0
エッセイ

「わからないこと」はわからないままでいい|私が瞑想によって確かめることのできた3つのこと

私には「わからないこと」がたくさんあります。たとえば、「死後の生があるのかどうか」を私は知りません。「輪廻転生が本当にあるのか」も私は知りません。「神が実在するかどうか」も私には何とも言えないです。私に言えることは、「自我というのは虚構であ...
0
エッセイ

「自分は存在しない」という真理に触れて、自暴自棄になってしまう人々

瞑想の実践をしていくと、どこかの段階で「自分という実体はどこにもない」と気づきます。はっきりとした実体を持った「自己」というのは存在せず、「これこそが自分だ」という形で明確に提示できるものがないことに気づくのです。その結果、「今まで自分とい...
0