当ブログの文章と筆者の著作物は全て著作権フリーですので、どうぞご自由にお使いください。

私の専門性について|身体×瞑想×言語化能力

私は現在、ブログやYouTubeで身体のワークや瞑想について情報を発信し、読者や視聴者からの相談にもいろいろ乗っているのですが、これはひょっとすると「誰にでもできること」ではないのかもしれません。

私はもともと何の専門家でもない「市井の一般人」なので、今までは「自分のやっていることぐらいは誰でもできるだろう」と思っていたところがあるのですが、最近になって、「実はそうでもなかったのではないか?」と思い始めました。

確かに私は、何らかのカリキュラムを終えて、きちんとした資格証を持っているわけではありません。

それゆえ、いつも「完全に個人的な経験」から物を言うことばかりしています。

でも、そういった言葉から実際に気づきが得たり、助かったりする人が出てきているようなので、私の言っていることも、「まったくのデタラメ」というわけではないのでしょう。

もちろん、私としても「デタラメ」を言っていたつもりはなかったのですが、私はあくまで「自分の経験に基づいた個人的な話」をしているので、そこにどれだけの「普遍性」があるものかは、自分でもよくわからなかったのです。

そもそも、私はけっこう「特殊な道」を歩んできた人間です。

もともとはダンスの稽古に明け暮れていて、そこで「身体の使い方だけを追求してもダメだ」ということを痛感しました。

「内側で何も感じないまま、機械的に習ったテクニックを繰り返していても、そこには何の意味も味わいもない」と思ったのです。

それから、合氣道の稽古をする中で瞑想法や呼吸法と出会い、武道と瞑想のつながりを紐解くために、整体や気功の先生のところへ行って習ったりしたこともありました。

「意識についての理解」を深めるためにヨーガの文献を読んでみたりしたこともあります。

そうやって、あっちへフラフラ、こっちへフラフラする中で少しずつ前に進んでいき、昨年の年末に、ようやく「探求の終わり」らしきところに辿り着いたので、こうして情報発信を始めたわけです。

そのような経緯があるので、私は「身体のワーク」についてはけっこういろいろ知っていますし、瞑想について考えるときも、身体をベースにしています。

世の中では、「身体のことしか考えない」という人もいれば、「意識のことしか考えない」という人もいますが、私はどっちの道も両方大事にしているわけです。

もちろん、最終的には「身体は自分(意識)ではない」という気づきに至るので、身体の優先度は下がるのですが、だからといって身体を無視しようとは思いません。

「身体にしっかり根付いている」ということは、瞑想においても大事なことだと私は思っていますし、それによって「頭の中だけで瞑想してしまう」ということも避けられます。

「瞑想」というと、どうしても「意識をどう使うか」とか、「意志をどう統御するか」とかいった方向に向かいがちですが、身体の感覚が開拓されていないうちからそういったアプローチを取っていると、頭の中の思考で瞑想を始めてしまい、かえって道に迷うことがあります。

私は、かつて瞑想の集まりや合氣道の道場でそういった例をよく見ていたので、瞑想を実践していくうえで、「身体に根付くこと」はおろそかにしないほうが良いと考えているのです。

でも、そういう観点から「瞑想」や「身体のワーク」について語ることのできる人は、今の世の中ではあまりいないようにも感じています。

なぜなら、身体と意識をきっちり橋渡しするためには、「身体のワーク」を徹底的にやった経験と、「意識のワーク」を徹底的にやった経験の、両方が必要になるからです。

私自身は、15歳~25歳くらいまでの10年間にひたすら「身体のこと」をやっていて、そこから後の15年くらいは身体の感覚をベースにした「瞑想の実践」をずっとやっていました。

だからこそ、その両方をつなげることが割と自然にできるのです。

たぶん、私みたいに「ダンスと武道をかなり専門的に稽古した経歴のある瞑想指導者」というのは希少でしょう。

また、私は子どものころから文章を書くのが好きで、この15年くらい、ネット上でおそらく何百万文字もの文章を書き続けてきた経験があります。

だからこそ、「瞑想」や「身体のワーク」における独特な感覚についても、かなり明確に言語化できます。

「感覚はわかるけど言語化できない」という人も世の中には多いでしょうから、そういう意味で、私にも何らかの「専門性」みたいなものがあるのかもしれません。

要するに、「誰でもできるようなこと」をしているわけではないということですね。

私は「瞑想」だけをやってきたわけでもなければ、「身体のワーク」だけをやってきたわけでもありません。

それぞれ別々の動機で始めたものでしたが、最終的に両方が自分の中できちんとつながりました。

そして、「そういう人間だからこそ、言えることが何かあるのかもしれない」と今は思っています。

もちろん、「それが合うかどうか」は人によります。

人によっては、「瞑想」はやらずに「身体のワーク」だけを突き詰めたほうが合っているかもしれませんし、また別な人は、「身体のワーク」はほとんどやらずに「瞑想」だけで「ゴール」できるかもしれません。

でも、少なくとも私には「瞑想」と「身体のワーク」の両方が必要でしたし、かつての私と同じような人は、世の中にけっこういるのではないかと思っています。

ただ、最近は「身体のワーク」についてのレクチャー動画も全然上げていませんし、瞑想会でもそこまで多種多様な「身体のワーク」はやっていません。

それは、あまり色々やり過ぎても、視聴者や参加者が混乱するかと思っているためです。

でも、せめて普段の瞑想会では、もう少し「身体のワーク」をやっても良いかもしれません。

先日の瞑想会でも、「身体の感覚」や「氣」をうまく感じられないという方に、かなりしっかりワークを提供しました。

今後は、必要に応じて、瞑想会でおこなう「身体のワーク」の幅も広げていこうかと思っています。

いずれにせよ、今まで私は自分が日頃やっていることを「誰でもできること」だと思っていたので、「みんなもこんな風に情報発信活動をすればいいのに」と気軽に考えていました。

自分では「できて当たり前」だと思っていたので、「他人もきっとできるだろう」と思い込んでいたのです。

「特技」というのはそういうものなのかもしれません。

本人はあまりにも「当たり前」にできてしまうので、それが「他の人には真似できないこと」だと気づかないのです。

きっとあなたにも、気づいていないだけで「特技」があるはずです。

あなた自身は「こんなのできて当たり前だ」と思っているのに、周りからすると、「いやいや、それって誰にでもできることじゃないから!」とツッコまれるような何かがあるわけです。

なかなかそれに気づくことはできないものですが、それを自覚できたときに、「専門性」というのは現れてくるのかもしれません。

ということで、「身体と意識のつながりを言語化する専門家」を勝手に自称しつつ、私なりに活動を続けていこうと思った次第でありました。

コメント