「絶望」とは何か?「希望」にしがみつくことをやめた時、人は「絶望」を通じて生まれ変わる

「絶望」という言葉を聞くと、あなたはどんなイメージを持ちますか?

「絶望に打ちひしがれる」なんていう表現もありますが、「絶望するのはとても苦しいことだ」と思っている人も多いのではないでしょうか?

しかし、「絶望」というのは決して「悪いもの」ではないと、私自身は思っています。

ということで、今回は「絶望の効用」について記事を書いてみたいと思います。

「絶望的な状況」に陥ることを恐れて夜も眠れない人や、今まさに「絶望」の中にいて苦しんでいる人は、「絶望」について考える参考にしてください。

では、始めていきましょう。

◎論理的には、「希望」と「絶望」は双子である

まず、「絶望」という言葉の定義を確認しておきましょうか。

辞書によると、「希望を全く失うこと、望みが絶えること」だそうです。

ということは、「希望を持っている人だけが絶望する」ということになります。

そもそも「持っていない希望」は絶たれようがありません。

実際、「自分の人生は絶望しかない」と言っている人も、本心では「もっと望ましい生活」を夢見ているはずです。

でも、現実にはそれが叶わないので、「絶望だ」と言っているわけです。

つまり、「絶望」と「希望」というのは双子なのです。

「希望」があるから「絶望」も生まれます。

それゆえ、「希望」を一切持っていない人は、「絶望」することもありません。

そういう人は、失って困るものが特にないので、どんな状況になっても「絶望」したりしないわけです。

もちろん、これは純粋に論理的な話です。

論理だけで納得できる人はほとんどいないでしょうから、具体的な話に入りましょう。

私が過去に「絶望」した時の話です。

◎「自分は特別に違いない」と感じ始めた10代の私

これからしばらく、私の過去の話を書きますが、かなり詳しく描写するので、人によっては読んでいて気分が悪くなるかもしれません。

それだけ、先に断っておきます。


私は10代の学生だった頃から、「自分には特別な才能がある」と思っていました。

そう思うようになった「最初のきっかけ」は、たぶん中学生の時に作文のコンクールで一等を取った時のことです。

東京都と周辺の県を対象にした、なかなかの規模の作文コンクールで私は一等一席を取りました。

自分としてはそれほど力を込めて書いたわけでもなかったのですが、私の作文は審査員の大学教授らに大絶賛されました。

ただ、私自身は自分がそんなに大したものを書いたという「手応え」がなかったため、一人でポカンとしていました。

審査員の大人たちが私の作文について書いている批評も、言っていることが難しすぎて、当時の私にはまるで理解できませんでした。

ただ、このことを一つの「きっかけ」にして、「どうやら自分には特別な才能があるみたいだ」と、私は内心で感じ始めたのです。

その後、大人になってから知能検査をしてわかったのですが、私は言語能力がずば抜けて高いのだそうです。

つまり、客観的に見ても、私にはそういう能力があったということだと思います。

いずれにせよ、中学生だった頃の私は、徐々に「自分は特別な才能を持った選ばれた人間なのだ」という考えを持つようになっていきました。

また、私は幼い頃から身体能力が高く、バク転やバク宙のようなアクロバティックな動きを比較的楽に習得することができました。

こういった部分でも、「自分は特別なのだ」という感覚を私は持つようになっていったと思います。

そんな風に「他人より優れた能力」を一つや二つ持っている人は、たぶん少なくないでしょう。

当人としては当たり前にやっているだけなので、自分では「大したことない」と思っているのだけれど、周りは「なんでそんなことできるんだ!?」とびっくりしてしまいます。

そして、そんな周囲の反応を見ているうちに、その人は「どうも自分には特別な才能があるらしい」と感じるようになっていくわけです。

それで、「自分の才能」に気づき始めた人たちの内の何人かは、「この才能を活かして、社会的にのし上がってやる!」と「野心」を抱きます。

話の流れからわかると思いますが、私も当然「野心」を抱きました。

「この『力』で有名になって、自分の存在を人々に認めさせるのだ」と思って、私は文章力と身体能力をひたすら磨き続けたのです。

実際、私は今運営しているこのブログとは別に、過去に合計で15年ほど、アメブロやnoteなどのプラットフォーム上で文章を書いていた経験があります(もちろん、毎日休みなくバリバリ書き続けていたわけではないですが)。

一応、私にはそういった下地があるので、このブログでも、開設した直後からスラスラ文章が書けていたりするわけです。

また、身体能力については、中学で器械体操を練習し、高校に入ってからはブレイクダンスをやっていました。

そこから、ロックダンス、ヒップホップ、ハウスと「ストリートダンス」と呼ばれるジャンルの踊りを一通り練習し、高校を卒業してからはダンスの専門学校に進みました。

そこでは、クラシックバレエが必修だったのですが、稽古をするうちにどっぷりハマってしまって、毎日朝から晩までバレエの練習をする生活を送っていました。

また、バレエのテクニックを活かして、モダンダンスやジャズダンスもやるようになり、前衛的なコンテンポラリーダンスや即興舞踊もやりました。

とにかく、習得できる身体技術はなんでも手に入れようとしたのです。

専門学校のクラスメイトの中に、私ほど多くのダンスを踊りこなせる人はいませんでした。

教師は時に授業で私を見本として踊らせましたし、学校の生徒たちの多くは私に一目置いていたと思います。

そして、それもまた、当時の私の「エゴ」を刺激したものです。

「自分は他の人間より優れている」
「自分は特別な存在なのだ」

そういう意識が常にありました。

ですが、同時に私は不安にも苛まれていました。

と言うのも、「『自分に特別な才能がある』というのは、単なる思い込みに過ぎないのではないか?」という疑いが、どうしても消えてくれなかったからです。

「自分は本当は、何の才能もない『凡人』なんじゃないか?」と考え始めると、私は不安で居ても立ってもいられませんでした。

つまり、当時の私は「自分は『特別な人間』だ」という自己評価と、「自分は『凡人』なのではないか?」という疑いとの間で、常に揺れ続けていたわけです。

◎他人を利用して成功しようとしていた20代の私

それでも私は「プライドの高いエゴイスト」でした。

専門学校の卒業が近づいても、私は自分から企業に売り込んでいくということをしませんでした。

簡単に言えば、「自分のほうから頭を下げたら負けだ」と思っていたのですね。

「相手の要望に合わせて自分を曲げるのなんてまっぴらゴメンだ」と思っていて、「むしろ向こうからこっちに声をかけてくるべきだ」くらいに思っていました。

そして、当然ながら誰もそんな私には声をかけてこず、私はダンサーとしてのキャリアにつまづいてしまいました。

ですが、私としては別にダンサーになりたかったわけでもありませんでした。

ただ、ダンスをやっていると、周りの人たちが「上手い!」とか、「すごい!」とか言って称賛してくれるので、それが気持ち良かったからダンスの技術を磨いていただけだったのです。

もちろん、踊ることは楽しかったですけれど、私は一通りテクニックを習得するとすぐに練習に飽きてしまいました。

「どこまでもこの道を極めていこう」というような熱意もなければ、ダンスに対する愛もなく、私はただ、自己顕示欲を満たすための道具としてダンスを使っていただけだったのです。

ともあれ、誰からも見向きもされず学校を卒業した私は、それでもまだ「自分の本当の才能を世の中の人間はわかっていない」と思っていました。

「今に自分は評価される時が来る」と思って、欲求不満を抱えながら私は生きていたのです。

おわかりになりますか?

私の人生は、ずっとこんな調子でした。

「自分は特別な人間だ」
「今にきっと世の中で評価される」
「周りの人間はそれがわかっていない」

こういったことばかり、昔の私は考えていたのです。

ですが、実際には私は何年も引きこもって過ごしたり、どうかこうかアルバイトをして生活したりしていました。

「今に見ていろよ」と思いながら、私の「望み」は全然現実になっていなかったわけです。

しかしそれでも、私は自分の「野心」を捨てることがありませんでした。

言い換えれば、私はまだ「望み」を絶たれてはおらず、「絶望」してはいなかったのです。

私は「いつか人々から称賛される未来」という「夢」にしがみつき、「自分はまだ『負け』ていない!勝負はこれからだ!」と考え続けていたわけです。

その後、縁あって合気道の道場の師範に拾われて、書生として働くようになりました。

その師範は全国的に名の知られた学者でもあったので、書生になった私には一時的に世間の注目が集まりました。

その時、「ようやく自分のことが認められ始めた」と私は思いました。

「今度こそ、自分の人生が始まるのだ!」と私は胸が躍ったものです。

そうして私はダンスと合気道を教える教室を開き、教室のホームページを立ち上げて、そこで自分の考えを文章にして発信し始めました。

それは、「文章力」と「身体能力」という、私の二つの特技を掛け合わせた活動でした。

私の合気道の師範が有名だったこともあって、教室には何人か生徒が集まり、活動は順調にスタートしました。

ですが、私の「中身」はまるで変わっていませんでした。

私は「どうすればもっと世の中で認められるか」ということしか考えておらず、せっかく来てくれていた生徒の人たちのことも、自分の活動を広げていくための足掛かりくらいにしか考えていなかったのです。

今思えば、本当に傲慢で浅はかだったと思います。

当時の私は、それほどまでに「自分のこと」で頭がいっぱいだったのです。

その後、教室の活動も、ホームページでの執筆活動も、反響があったのは最初だけで、すぐに下火になっていきました。

そうして私はイライラし始め、「もっと自分を見ろ!」と言わんばかりに、ホームページで記事を書いては自分の考えを叫び続けたのです。

ですがその後、私は合気道の師範と意見が対立して、破門になってしまいました。

道場への出入りを禁止され、百人以上いた同門の稽古仲間とのつながりも切れました。

また、それまでの私は、その師範のおかげで注目されていたところが大きかったので、以降はほとんど誰にも相手にされなくなってしまいました。

そうして、「こんな風に誰にも相手にされないのでは、続けていても仕方ない」と思った私は、わずかに残っていた生徒たちを、兄弟弟子の道場に移籍させて、教室を閉じてしまったのです。

◎家族さえもないがしろにした30代の私

それから私は、田舎に安い空き家を見つけ、その家を買って、逃げるように引っ越しました。

また、当時付き合っていた女性がおり、引っ越しを機にその人と籍を入れて、田舎での新婚生活が始まりました。

それから子どもも生まれ、親子三人で生活するようになったのです。

ですが、やっぱり私はまだ「希望」を捨てることができませんでした。

私は家にあった大きな物置をDIYで改築して道場にし、再び教室を始めたのです。

「今度こそ、この地で一旗揚げてやる」と思ったわけです。

もう読んでる側もうんざりしているでしょうけれど、これが最後なので、もう少しだけ辛抱して読み進めてください。

私は仕事をするかたわら、家の道場で合気道やダンス、ボディワークや瞑想などを教え始めました。

たまたま私のホームページを見た人がやってきたり、近所の親御さんが子どもに合気道を習わせに来たりしていました。

生徒は1~3名程度と、規模はたいへん小さかったですが、「いずれここを全国から人が集まる里みたいに育てるんだ」という「野望」を当時の私は持っていました。

ですが、この頃から妻とのいさかいが増えていきました。

それもそのはずで、子どもも生まれたてで大変な時に、私はと言えば、家をDIYで道場にして、教室活動に精を出していたのです。

家族のことは後回しで、私は「自分のやりたいこと」しか眼中にありませんでした。

それでいて、私はそれをちっとも反省していなかったのです。

むしろ、「なんでこんなに妻は非協力的なのだ」くらいに思っていました。

それでは喧嘩になって当然です。

結局、妻はある時、荷物をまとめて子どもと一緒に実家に帰っていきました。

しばらく別居が続いた後、私の方から離婚を切り出し、最終的に離婚が成立することになりました。

元妻からは、メールやメッセージで連絡することさえも心底嫌がられているので、その後、彼らがどこでどうしているかを私は知りません。

申し訳ないことをしたとは思っていますが、たぶん向こうからしたら、私から謝罪の言葉を聞くことさえも嫌でしょう。

ともあれ、そこからは急転直下です。

私は自分がなぜ道場を開いているのか、もうわからなくなっていました。

私はもともと、ただ自分が満たされたくて道場をやっていました。

誰かに何かを与えるためではなく、ただ自分の「虚栄心」を満たすためだけに、私は道場を開いていたのです。

でも、そこからは何も得られませんでした。

むしろ「まだ足りない」「もっともっと欲しい」という欠乏感しか、私は得ることができなかったのです。

そして、そんな欠乏感を埋めるために必死で走り回っていたら、家族はいなくなっていました。

もう私は何のために生きているのかもよくわからなくなっていました。

仕事中も思考がうまく働かなくなり、身体がフリーズすることが増えていきました。

「死ぬこと」をしばしば考えるようになり、仕事中に思わず叫んでしまったこともあります。

そうして、ある時、「もうこれ以上働くのは無理だ」と感じ、私は仕事を辞めました。

それからは、もう私以外に誰も残っていない家にこもって、一人で毎日のように泣いていたのを覚えています。

やがてお金も底をつき、食べていくことさえも難しくなりました。

こうして、もはや道場運営どころではなくなったため、私は今度こそ教室も完全に閉めることになったのです。

ここに至って、私は初めて「いったいどこで道を間違えたのだろう?」と思いました。

そうして、「自分はいったい何が欲しかったのだろう?」と自問したのです。

しかし、その問いに答えてくれるような人は、もちろんそこには誰一人としていませんでした。

◎本当に深く「絶望」した時、私は「新しい道」を歩き始めた

結局のところ、私はただ認めてほしかったのだと思います。

つまり、私は誰かに愛してほしかったのです。

私はただ、誰かに必要とされたくて、自分のことを見ていてもらいたかったのでしょう。

「でも、それは『今までのやり方』を続けていても、叶わないのだ」ということを悟った時、私はやっと「絶望」しました。

私は「愛してほしい」と思っていました。

そして、「世の中で認められるようになれば、それが手に入る」と思っていたのです。

だから私は、家族さえも犠牲にして、それを得ようとしました。

「妻からの愛」では、その時の私の心は満たせませんでした。

なぜなら、当時の私は「たくさんの人たちから認められなければ、自分の心は満たされないのだ」と深く思い込んでいたからです。

私は「自分の望み」が完全に絶たれたのを感じました。

私は「絶望」の中におり、「これではダメだ」と思いました。

「こんなことを続けていても意味がない」と思ったのです。

この時、自分がこれまでの人生で、いかに「同じこと」を繰り返し続けてきたかを、私はようやく理解しました。

「結局のところ、自分は『自我(エゴ)』を喜ばせるためだけにこれまで生きてきたのだ」と、やっと私は気づいたのです。

師や、仲間や、生徒たち、さらには家族さえも犠牲にして、私は「エゴの満足」だけを求め続けていました。

そして、だからこそ私は、何もかも失うことになったのです。

そのことにはっきり気づいた時、「これからは『違うやり方』を試そう」と私は決意しました。

「同じこと」をいくら続けても、「同じ結果」しかもたらされません。

「違う結果」が欲しいなら、「違うこと」を試していく必要があります。

そうして「違うやり方」を求めてさまよっていた時に、山家直生なおさんが運営している空白JPというブログに出会いました。

空白JP

山家さんは「無根拠な幸福感」の存在について言及していました。

「もしもそんなものが在るのであれば、自分の心も満たされるかもしれない」と当時の私は思いました。

もちろん、私も最初は半信半疑でした。

ですが、最終的には山家さんの言葉を信じて「これを最後のチャンスだと思って徹底的に試してみよう」と決めました。

そうして、たぶん私は生まれて初めて「素直に学ぶ」ということができました。

それまでは、いつも教師のことを値踏みしていて、「自分のほうがこの教師より才能があるんじゃないか?」と考えていたため、「素直に言われたとおりにする」ということがどうしてもできなかったのです。

以前の私は、いつも言われたことを自己流でアレンジしたり、教師の説明をちゃんと最後まで聞かなかったり、とにかく自分勝手に教えられたことを歪める癖があったのです。

ですが、「これからは違うやり方をするんだ」と決めていた私は、たとえ「自我」が「自分と相手のどっちが上だ?」と言い出しても、それを真に受けないで学ぼうと意識しました。

「とにかく、与えられたものをそのまま受け取ろう」と思ったのです。

そうして、困窮していたところから生活を徐々に立て直すかたわら、私は探求を進めていきました。

時には山家さんにメールで指導を仰ぎつつ、私は一歩ずつ前進していき、約3年をかけて探求の旅を最後まで終えることができたのです。

確かに、山家さんの言うように、「無根拠な幸福感」というものは実在していました。

「人は自分自身を満たすために何も必要とはしなかったのだ」と、今ではわかります。

つまり、私は「愛」を求めて走り回る必要などなかったのです。

私にとって「本当に欲しかったもの」は、内側に既に在りました。

ただ、かつての私は「それ」を外側に求め続けていたために、「もともと内側に在った幸福感」をずっと見落としてしまっていたのです。

今はもう、「自分を満たすために他人を利用しよう」とは考えなくなりました。

なぜなら、わざわざそんなことをしなくても既に自分は満たされていると、私にはわかっているからです。

逆に、「どうしたら他人の助けになれるだろう?」ということを自然と考えるようになりました。

「自分が辿った旅路の経験が、もしも誰かの役に立つなら、そのためにできることをしてみたい」と、今の私は思っています。

◎「絶望」と言う名の「天からの贈り物」

ということで書いているのが、このブログです。

私自身の経験や気づきを文章にして共有することで、「誰かの役に立てば」と思って、今日もまたあれこれ書いている次第です。

そういう意味では、約3年前に私が「絶望」していなかったら、このブログは存在していなかったでしょう。

もしも私が「人々からもっと愛されたい」という「望み」を絶たれていなかったら、私はたぶん今も「自分を評価してくれない世の中」のことを呪いながら生きていたのではないかと思います。

ひょっとすると、「どうして愛してくれないんだ!」という叫びを抱えたまま、誰かのことを道連れにして、死んでいたかもしれません。

そう考えると、本当にあの時に「絶望」しておいてよかったと、つくづく思います。

もちろん、その時はとても辛かったです。

なぜならそれは、「これまでの自分の人生全て」が否定されるような体験だったからです。

実際私は、それまで何十年もかけて続けてきた自分の努力に対して、「こんなことをこれ以上続けても、何の意味もない」と認めなければなりませんでした。

その上で、「今までやってきたこと」に代わるような、「新しい価値観」があるわけでもなかったのです。

仲間も仕事も家族も失った自分のことを、「無価値な人間」であるように感じたこともありました。

ですが、私はそういった価値観や考え方自体を総入れ替えしていく作業に取り掛かり始めました。

そして、そのような「大仕事」を私に迫ったものこそが、他でもない「絶望」だったのです。


「まだこのやり方を続けても意味がある」と思っているうちは、その人は「絶望」していません。

「もうこのやり方を続けても何の意味もない。そんなことをしても欲するものは得られない」と心の底から悟った時、ようやく「望み」は絶たれます。

「もうだめだ、絶望だ」と人々はしばしば口にしますけれど、本当の意味で「絶望」した人は、同じところに留まってはいません。

なぜなら、本当に「絶望」した人は、「このままここに居ても意味はない」と既にわかっているからです。

そうして、当人は「これまで一度も歩んだことのない道」を進み始めます。

そういう意味では、「絶望」こそが転機であり、当人を根底から変えるきっかけとなるのです。

なので、もしもあなたがまだ「今のやり方」を続ける意思を持っているなら、たとえ主観的には「絶望的だ」と思っていたとしても、あなたはまだ「絶望」していません。

「真の絶望」というのは、一切の過去を断ち切るものです。

それは、未来に向かって「新たに生まれ直す瞬間」をもたらします。

実際、人は「絶望」した時、初めて根本から変わるものです。

もちろんそれは、最初のうちは「苦悩」として体験されるのですけれど、後になって振り返ってみると、「あの『絶望』はきっと天からの贈り物だったのだ」と感じるのではないかと思います。

少なくとも、私は現時点でそのように思っています。

実際、あの体験がなかったら、今の私は在りません。

ただ、人はなかなか「絶望」を受け取ろうとはしないものです。

なぜなら、「もしそれを受け取ってしまったら、自分はきっとおしまいだ」と誰もが感じているからです。

しかし、「絶望」によって終わるのは、あくまで「自我(エゴ)による支配」だけです。

そもそも、「自我」はいつまでも「希望」にすがりつき、「甘い夢」を見せては私たちのことを走らせ続けます。

ですが、もしも「希望」を握りしめることをやめるなら、「自我」はもう私たちを支配することはできなくなります。

その時ようやく私たちは、「自我がつむぐ夢」に酔わされることなく、生きていくことができるようになるのです。

◎もしも「絶望」を受け入れるなら、あなたは再び生まれ直す

もちろん、「絶望」を恐れる気持ちは、私にもよくわかります。

そんなことをしたら、「自分の敗北」を認めることになりそうで、怖いのです。

そうして一度でも「自分の敗北」を受け入れてしまったら、自分の立っている地面がガラガラと崩れていくように思えてしまって、どうしても認められないのです。

「そんなことになったら、その時には全てがおしまいだ」と思えてしまい、恐ろしくて仕方がないのでしょう。

しかし、もしも「絶望」を受け入れるならば、「案外、何も終わらないじゃないか」と当人は気づくことになります。

むしろそこには、「新しい景色」が開けているはずです。

実際、たとえ「絶望」を受け入れたとしても、そこで「人生」は終わりません。

むしろ、そこから「何か」が始まるんです。

逆に、「絶望」から永遠に逃げ続けようとしても、きっと「失敗」するでしょう。

たとえどこまでも逃げ続けたとしても、「絶望」はおそらく当人の寿命が尽きるその瞬間に、容赦なく襲ってくるはずです。

「絶望」に追いかけられたくないのであれば、握りしめている「希望」を手放すことです。

もしも「希望」を落とすなら、「絶望」は一緒に消えていきます。

反対に、もしも「自我が見せる夢」を握りしめ続けるならば、「絶望」は当人の後ろをどこまでもついてくるでしょう。

しかし、別に私は「夢見ること」を無意味だとは言いません。

ただ、「『希望』と『絶望』は双子であるため、もし『絶望』から逃げて『希望』だけを追いかけ続けるならば、その人はいつまでも『同じ』の中を回り続けることになる」と言うだけです。

そのような「ゲーム」を今後もずっと続けるか、それともさっさと降りてしまうか。

「選択の時」は急にやって来るものです。

その時に、もしも「絶望」を受け入れるなら、「『絶望』に自分を滅ぼす力はなかったのだ」と、その人自身は知るでしょう。

「あなた」は決して滅びません。

「絶望」には、「あなた」を破壊することはできないのです。

そして、もしも「絶望」を通り抜けたなら、あなたはいつか「あの体験は他でもない『天からの贈り物』だったのだ」と振り返ることになるのではないかと思います。

逃げ続けていた「絶望」を真正面から受け入れる時、それがあなたにとって「再誕生の日」となります。

「絶望」によってあなたの「エゴ」は純化していき、あなたは再び「無垢」になります。

あなたは「新しい目」で世界を眺め、「今まで歩いたことのない道」を自分の足で歩き始めるでしょう。

その時、あなたにとっての「本当の探求」が始まるのかもしれません。

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