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「ためにならない情報」も、ためになる|「お役立ち情報」ばかりが溢れていることの息苦しさ

このところ、毎日ブログの更新ができています。

なので、今日も今日とて何か書いてみましょうかね。

そもそも私はいつも夜中の2時くらいに起きて、明け方まで文章を書いたり動画を撮ったりする生活リズムで生きています。

私にとっての「ゴールデンタイム」は午前2時~朝の6時までなのです。

そんなわけで、今日もまた夜中に起き出してこうして文章を書いています。

この「ゴールデンタイム」を逃してしまうと、ブログの更新をするのはかなり難しくなる気がします。

昼間になってしまうと、文章を書くのがかなり億劫になりますし、言葉も浮かんできにくくなるのです。

なぜそうなるのかはわかりませんが、私は夜中に起きてから夜が明けるまでの間が、一番頭が冴えるのです。

ということで、今は夜中の3時くらいなのですが、ちょっと前にメルマガを書きまして、1時間くらいで書きあがったので、ブログにやってきた次第です。

この記事が書きあがったら、講話動画の収録をし、ショート動画の編集をしてから、朝の瞑想配信をする予定です。

それで、「今日すること」はほとんど終わりです。

あとは自由に過ごしていいので、夜にあまり寝ていない分、長時間の昼寝をしたり、カラオケボックスに行って何時間も好きな歌を熱唱したりします。

もちろん、バイトのある日は出勤しますが、仕事に行く前までに、なるべく「今日すること」は終えるようにしています。

もちろん、メルマガの毎日更新も、講話動画やショート動画の毎日投稿も、毎朝の瞑想配信も、「義務」ではありません。

私が勝手に「やろう」と思ってやっていることです。

ただ、今のところは苦も無く継続できているので、このままできる範囲で続けていきたいと思っています。

ということで、今回は何となくメルマガのようなテンションでダラダラと文章を書いています。

あんまり中身のあることを書こうとも思わず、言葉が浮かぶままに筆を動かしている状態です。

まあ、いつもいつも「マジメな話」ばかりでも肩が凝るので、こういう文章もたまにはいいかと思います。

そのほうが私自身も書いていてリラックスできますし、こういう「どうでもいい文章」を読むことで、頭のネジが緩む人もいるかもしれません。

実際、YouTubeにおいても、私は定期的に「雑談ライブ」という枠を立てていて、「どうでもいい話」をダラダラしています。

ですが、そういう「どうでもいい話」をむしろ聴きたがっている人もいるようで、そういう人というのは、私がダラダラ話しているだけで、「楽しかったです」と言ってくれたりもします。

それによって、そのリスナーは少しだけ肩の力が抜けて、リラックスできているのかもしれません。

そういう意味では、「ためになる話」だけが人のためになるとも限らないところがあります。

少なくとも私自身は、「わかりやすいお役立ち情報」ばかりで溢れかえっている今のネット文化に、少しうんざりしています。

「この記事を読むことで、あなたはこういう知識や技能が身につきます」
「この動画を観ることで、こういうことがわかるようになります」

そんな風に、前もって「リターン」を提示しておかないと、ほとんどの人は見向きもしません。

それは、現代に生きる多くの人が「少ないコストできっちりリターンを回収すること」を重視しているからです。

そうして、「意義のあること」や「生産性のあること」ばかりが重要視され、「意義も生産性もないこと」には何の価値もないかのように世の中では思われています。

それでいて、人は手持ち無沙汰になると、スマホをいじって「出来合いの娯楽」を消費しては必死で暇を潰そうとします。

そんな風に、「有意義な時間」と「くだらない暇つぶし」との間で引き裂かれているのが、私たちの現状ではないかと私は思うのです。

ということで、少しだけ「マジメ」な話になって来ていますが、大事なことは「有意義な時間かどうか」ということではなく、「意味深い時間かどうか」ということだと思います。

なぜなら、「有益なお役立ち情報」に触れることで、人は「ためになった」という満足感を得るかもしれませんが、それだけでは満たせないものがあるからです。

もちろん、「くだらない暇つぶし」をいくら続けても、それによって心が満たされることはありません。

そもそも、私たちの心というのは「意義」ではなく「意味」によって満ちていくものです。

ちなみに、私にとって「意義」という言葉は「社会的な生産性」とかかわっており、「意味」というのは「個人的な生きている実感」とかかわっています。

実際、資格の勉強をしたり、自己成長のために努力したりすることは、社会的には奨励されますけれども、そこに「味わい」が何もなければ、「生きている実感」は得られないものです。

逆に、たとえ「受け取った情報のコンテンツ」が、表面的には「どうでもいいもの」であったとしても、それに触れている間、心が弾んだり緩んだりするのであれば、それは当人の深いレベルにおいては「どうでもいいもの」ではなくなります。

そうしたコンテンツにゆったりと深く触れた後、人は「どうでもいいことをして人生を無駄にした」とは思わずに、「中身のある時間を過ごせた」と感じるものです。

別に「ためになる情報」に触れたわけではなかったのに、「意味のある時間だった」と人は思うわけです。

逆に、もしも「ためになるコンテンツ」ばかりで世の中が埋め尽くされたら、私たちは「ためにならないこと」をする時に、ついつい後ろめたい気持ちになるでしょう。

でも、私たちは別に「生産的な人生」を送るためだけに生きているわけではありません。

時には立ち止まって空を眺めたり、何もしないでゴロゴロしたりすることも必要です。

「常に生産的でなければいけない」
「絶えず成長し続けなければならない」

そういう思い込みを抱えていると、どこかで息苦しくなってくるものです。

むしろ、「常に進み続けないといけない」と思い込んでいると、「休み方」を学び損ねます。

時にはダラダラするのも良いものです。

何もせずにのんびりすることの中でしか学べないことはありますし、そこでしか生成しない「意味深さ」というものがあるのです。

なので、私自身も、あんまり「お役立ち情報の発信」に固執せず、ゆったりした気持ちで文章を書いていきたいと思っています。

やっぱり「遊び」というものがないと、人も機械もどこかで壊れてしまいますからね。

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