今、少し思うところがあるので、文章を書いておこうと思います。
私が文章を書いている時、そこには「何らかの価値を提供したい」という想いもあるのですが、
それよりも強いのは、「どうか『自分自身』であってほしい」という想いです。
私たちの社会には、昔から「システム」というものが存在してきました。
「システム」は効率性と生産性を重視しており、「個人」を絶えず画一化しようとします。
一人一人の人間を「替えの利く部品」へと置き換えて、一律で管理しようとするのです。
そのためには、個々の人間は無個性であったほうがいいし、「自分」を主張したりしないほうがいい。
盲目的に服従する人間が増えたほうが管理しやすいし、そういう人たちは簡単にコントロールできます。
しかし、これはいわゆる「陰謀論」ではありません。
なぜなら、どこかに特定の「悪者」が存在するわけではないからです。
むしろ、ある意味では私たち全員が「共犯者」です。
なぜなら、私たち自身が「自分で感じ、自分で考える」という生き方を放棄し、生命の輝きが示す「快の感覚」を追わず、感受性を鈍らせるような「楽な方向」に流されることによって、「システム」は力を持ち続けることができるからです。
つまり、「システム」に力を与えているのは、実のところ、私たち自身なのです。
私たちが自分から進んで「自分らしく生きること」を捨て、無感覚に流されながら生きる人生を選ぶことによって、「システム」は私たちを無個性化して支配することができます。
そういう意味では、私たちのほうから「システム」による支配に協力しているとも言えるのです。
そして「システム」は、個人の差異などまるで気にしません。
どんな人間のことも「一人」としてだけカウントし、歯車のように効率的に磨り潰していきます。
その力は圧倒的で、まるで太刀打ちできないもののように思えるかもしれません。
ですが、「システム」というものには、そもそも実体がありません。
それはあくまで、私たち自身が「自分として生きること」をみんなで一緒に放棄してしまうことで生起する、「一つの現象」の名前なのです。
だから、「システム」を解毒するには、これと逆のことをすればいいことになります。
つまり、誰もが「自分自身」を生きるのです。
自分自身の「命」を開き、心と身体の感覚を信じ、あくまで自分の頭でもって考える。
そのような人間が社会の一定以上の割合を占めた時、「システム」は力を失って消え去ります。
なぜなら、「自分自身」に定まっている人間を、「システム」は操作することができないからです。
「自分自身」に定まっている人に関しては、簡単に騙すこともできなければ、わかりやすい報酬で釣ることもできません。
脅しても屈さず、自分の言葉も引っ込めない。
そのような人間は、「システム」からしたら「最大のバグ」とも言える存在です。
それゆえ、「システム」はこういった「個人」を排除しようとしてきました。
特に、近代以降の歴史は、ずっとその繰り返しだったのではないかと思います。
しかし、「自分自身」を生きている人は、別に「システム」に対して意図的に敵対しているわけではないのです。
彼/彼女はただ「こうとしか在れない」という自分だけの道を歩んでいった果てに、結果として「システム」から目をつけられただけなのです。
そういう意味で、本当に恐れているのは「システム」のほうです。
「システム」は、「個人」が台頭してくることによって、自分の支配体制が瓦解することを恐れているのです。
それに対して、「個人」は「システム」を恐れることよりも、「自分の命」を精いっぱい生きることを優先しています。
そして、「システム」からすると、それこそが最も脅威となることなのです。
整体創始者の野口晴哉は、こんなことを書いています。
一人一人の覚悟
世界が広くとも、
一人一人の覚悟がきまれば、
そのようになる。
今、実現しなくとも、
いつかは必ずそうなる。『風声明語』、野口晴哉 著
もしも一人一人の人間が、本当に「自分自身」を生き始めたら、「システム」はもう存続できなくなります。
その時、世界は変わるでしょう。
今、そうなっていなくても、いつかきっとそうなるはずです。
だからこそ、私もまた、ためらうことなく言葉を紡ぎ続けようと思います。
私の言葉が誰かの心を開くなら、身体の感覚を深めるなら、それは「システム」に対する解毒作用になります。
そうしていつかは、誰もが「自分の内なる光」を生きるようになるでしょう。
それはとても穏やかで豊かな連帯です。
誰もが一人一人違っているから、他人と比べられる人は存在しません。
そんな「孤独」を抱えた人々が、内側の「自由」を共鳴させて、「素敵な贈り物」をするのです。
私の言葉が誰かに届き、その人がまた誰かに「自分の心」を表現する。
そうやって、「贈り物」はどこまでも受け渡されていくのです。
詩人である茨木のり子さんの詩の一節に、こんなものが在ります。
小さな渦巻
(…)
ひとりの人間の真摯な仕事は
おもいもかけない遠いところで
小さな小さな渦巻をつくるそれは風に運ばれる種子よりも自由に
すきな進路をとり
すきなところに花を咲かせる(…)
耳をひらき
目をひらいていると
そうそうと流れる力強い
ある精緻な方則が
地球をやさしくしているのが わかるたくさんのすばらしい贈物を
いくたび貰ったことだろう
こうしてある朝 ある夕私もまた ためらわない
文字達を間断なく さらい
一篇の詩を成す
このはかない作業をけっして。『言の葉Ⅰ』、茨木のり子 著
「同じ価値観でなければ連帯できない」という考えを、私は信じません。
私たちは誰もがみんな「ユニーク」です。
そして、そうであるからこそ、私たちは連帯できるのです。
私は私なりのやり方で、「贈り物」を受け渡し続けようと思います。
なぜなら、私もかつて、「それを受け取った側」だったからです。
私が「自分自身」を取り戻せたのは、多くの人との出会いがあったからでした。
私は決して、独りで歩いてきたわけではありませんでした。
だから、あなたも独りではないのです。
もちろん、誰もあなたの代わりにはなれませんけれど、誰もがあなたと同じように「孤独」を生きているのです。
「孤独である」ということこそが、私たちみんなの唯一の共通点です。
それは、「誰も自分を代わりに生きてはくれない」ということであり、「自分の死を死ぬのは自分以外にあり得ない」ということです。
そして、それがあまりにも恐ろしいものだから、多くの人は「自分自身」から逃げ出して、自ら「システム」による支配を受け入れていってしまうのです。
だから、どうか「あなたの光」を生きてください。
あなたが「自分自身への敬意」を忘れないならば、そのあなた自身の「愛」が滋養となって、あなたの内側に花を咲かせます。
そうしてあなたは、「他人の思惑」に従うよりも、「自分の命」に従うようになるでしょう。
心と身体が発する声に耳を澄ませ、ただ「己の欲すること」をするでしょう。
あなたは「自由な魂」であり、それ以上何も足す必要はありません。
必要なものは、既にあなたの内側に在ります。
だから、「それ」を求めて、外側をさまよったりしなくていいのです。
あなたの「内なる光」を大事にしてください。
「自分自身で感じているかどうか」だけが全てなのです。
それが、あなたの世界を開き、あなたを「果てしない生」へと導くのです。

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