【もう一度 注意喚起】読者には、「追従者」ではなく「自分自身」になってほしい

はい、定期的に投稿している「注意喚起」の記事です。

何に関する注意喚起かと言うと、毎度言っていることですが、「私の書いた記事をあまり読み過ぎないようにしましょう」ということです。

なので、「別にまだそんなにたくさん記事を読んでないよ」という方は対象ではないのですが、「これから読むかもしれない」と思われる場合には、念のため、今回の記事にもできれば一度目を通しておいてください。

ちなみに、過去に書いた注意喚起の記事はこちらのカテゴリーでまとめています(でも、今回の記事を読んでいただければ、別に読まなくても構いません)。

注意喚起記事カテゴリー

なんでこうした記事を書こうと思ったかと言いますと、アクセス解析の結果によって、けっこう熱心に読んでくださっている読者の方がいるらしいことがわかったからです。

人によっては、毎日いくつも記事を続けて読んでくれたりもしているようです。

もちろん、私としては読んでほしいから記事を書いています。

ただ、私は別に自己顕示欲を満たしたいから記事を書いているわけではなく、記事を読んだ人に行動を起こしてほしくて書いています。

たとえば、「自分にはこれが欠けていることが分かった。じゃあ、今度はこういうことをしてみよう」という感じで、読者には、記事を読んだら「次のステップ」に行ってほしいわけです。

私の記事は、あくまでもそのための「きっかけ」であるとか、「次の一歩」を踏む方法を知るための「道しるべ」みたいなものとして使ってもらいたいと思っています。

逆に、「私の書いた記事をたくさん読むだけで読者が何も行動を起こさない」ということになってしまうと、それは私の意図するところではありません。

むしろ、そうなってほしくないと思っています。

たとえば、これがもし誰かが描いた絵を見るような場合であれば、ある人の描いた絵のファンになったことで、「この人の描いた他の絵をもっとたくさん見てみたい!」と思うようになるのも、それはそれで自然な流れだと思います。

ですが、こと真理の探求においては、覚者の話をいくら聞いても、それによって悟れるようにはなりません。

自分自身の「苦しみ」を終わらせるためには、他でもない当人が自分自身で地道に実践を積み重ねるしかないのです。

なので、「もしも覚者から一つ教えを受け取ったら、それについて十の実践と熟考を重ねる」というくらいのバランスがちょうどよいのではないかと、私自身は思っています。

以前にどこかの記事で書いた表現を使うなら、「少しだけ学んでたくさん実践する」という方針ですね。

それは、先ほどの絵描きの例で言うと、「ある人の絵を見ていたら無性に自分でも描いてみたくなったので、その人の絵を一枚見るたびに自分で十枚は描くようにしてました」というようなバランスにしてもらいたいわけです。

実際、絵を見るだけで終わっている限り、その人は「絵の目利き」にはなるかもしれませんが、自分自身で絵を描けるようには決してならないでしょう。

同じように、私の話をたくさん聞いて、それについて実践も熟考もしないなら、当人は「頭の中の情報」は多くなるかもしれませんが、一歩も前進することができません。

そして、実践をしないまま「頭の中の情報」だけが多くなると、当人はかえって「何をしたらいいか」がわからなくなってしまいます。

なまじっか多くの情報を知っているために、選択肢が増えすぎてしまうことで、優先順位がつけられなくなって思考回路がフリーズしてしまうのです。

そうなってほしくないので、「なるべく続けて読まないでください」ということを、これまで「注意喚起の記事」で繰り返し書いていたという経緯がありました。

ただ、私も「悪かったなぁ」と思って反省しているところがあります。

それは、書きたいことをひたすら書くことによって、記事の更新ペースがかなり速くなっていたことです。

実は、ブログを開設してからというもの「どういう記事を書いたら人の役に立つだろう」ということを、寝ても覚めても考えるようになっていました。

そうすると、「こういうことで困っている人には、こんな記事を書いたら役に立つかもしれないな」とか、「ひょっとすると、こんなことで困っている人がいるかもしれないから、こういう記事も役に立つかもしれない」とかいった具合で、アイデアがどんどん湧いてきたのです。

しかし、それらを全部文章化していたら、えらい量になってしまいました。

ザっと集計したところ、今の時点で30万文字以上あります。

それを、ブログ開設からの約3週間で書いているので、単純計算で一週間に10万文字くらい書いていたことになります。

これだけたくさん書いておきながら、「あまり読まないように」と言っていても、その言葉にはあんまり説得力がないかもしれません。

なので、これからしばらくは、あえて更新ペースを落とすことにしました。

「これを書いたらこういう人の役に立つかも」と思って温めていたアイデアはまだあったのですが、それはまだ書かずに置いておこうと思います。

なぜなら、私が「よかれ」と思ってたくさん書き過ぎることによって、読者の方の歩みをかえって阻害してしまう可能性もあると思ったからです。

とはいえ、もともと「単なる暇つぶし」でこのブログを読んでいた方は、私の記事を読まなくなる代わりに、他の人のブログや動画サイトなどで「別な情報」を頭の中に入れることになるだけでしょう。

そういう人に関しては、私が何を言おうが言うまいが、どちらにしろ意に介さないと思いますので、今回の記事の読者としてそもそも想定していません。

私が今回の記事の読者として想定しているのは、私の言うことに対して、既に何か個人的に感じるものがあった人です。

具体的には、私に対して「この人についていってみてもいいかもしれない」と思っていたり、「この人の言うことを信じてみてもいいかもしれない」と思っていたりする人です。

そういう風に思ったことのある人たちには、私の言葉を一つ受け入れたら、十の実践と熟考をしてほしいと思います。

私は決して「追従者」が欲しいとは思いません。

私はあくまで読者の方には「証人」になってほしいと思っています。

私の言うことを信じてついてきてほしいのではなく、あくまで読者一人一人には、私の言っていることの「真偽」について自分で検証してほしいのです。

言い換えれば、「本当にこの人の言っている通りなのだろうか?」と記事を読みながら絶えず問いかけて、自分自身でそれを確かめてほしいと私は思っています。

その結果、「私と同じ結論」になったなら、その時その人は私の「証人」になります。

そうなれば、私の言っていたことが「個人的な妄言」ではなく、「普遍的で再現性のある真実」だったのだと、読者が自身の存在によって「証明」してくれたことになるわけです

また、もし仮に「私とは違う結論」になったとしても、少なくともその人は「自分自身」になることができます。

そうなれば、その人は(私を含めた)他人がたとえ何を言おうとも、「自分自身」に定まって生きていくことができるでしょう。

でも、もしも読者が私の「追従者」になってしまったら、その人は自分の足で歩むことをやめてしまい、私に寄りかかり続けることになるはずです。

そうなると、当人は決して私の「証人」になることもなければ、「自分自身」になることさえもできません。

結果的に、その人はいつまでも「誰かの教え」や「何らかの情報」に寄りかかることになってしまい、道に迷い続けることになるでしょう。

ですが、私としては、読者をそのような状態にしたくないと思っています。

私は、あくまでも読者の方には、自分自身の足で立って、自分自身で考えて、自分自身で実践を積み重ねていってほしいです。

もちろん、寄りかかるものがないと不安なのは重々承知しています。

だから、もしも道に迷ってしまった時は、このブログに帰ってきてください。

でも、「一つ読んだら十の実践と熟考を重ねる」というバランスだけは、できる限り守るようにしてほしいと願います。

なぜなら、そうしないときっと、その人は私の言葉を支えにするばかりで、自分の足で前に進むことができなくなってしまうと思うからです。

ということで、しばらくあえて更新ペースを落とします。

具体的には、今まで毎日更新していたところから、一週間に記事1~2本くらいのペースにすることを考えています。

それでも多そうだったら、もっと落とすかもしれません。

ただ、もし更新がなくなっても、既に現時点でかなりの領域について網羅する記事を書けているはずです。

なので、このブログは「困った時にちょっとだけ開く字引」のようなものとして活用してもらえればと思っています。

もしも「困ったこと」が出てきた時は、ほんのちょっとだけブログを開いて、記事の内容を参照してみてください。

そういうわけで、しばらく意図的に黙ります。

「伝えたいこと」はまだまだありますが、あえて伝えないほうがいい場合もあると思うので、黙っておこうと思います。

現時点で私からお伝えできることは以上です。

それでは、またそのうちお会いいたしましょう。

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