現在、Kindle本の書き下ろし原稿を執筆しているのですが、思っていた以上にスケールの大きい話になりそうです。
最初は呼吸法の話だけで終わろうと思ったのですが、どうも瞑想についても触れざるを得なそうです。
というのも、「呼吸が深くなる」ということと「瞑想的になる」ということとは、お互いに相関しているからです。
たとえば、坐禅などのように「何もせずただジッとしている」という実践をする際、呼吸の浅い人は落ち着いて坐っていることができません。
なぜなら、呼吸の浅い人は「感情のキャパシティ」が小さいからです。
想像しやすいと思いますけれど、深くてゆったりした呼吸をしている人はキレ散らかしたりしません。
これは、呼吸が深い人の「感情のキャパシティ」が大きいためですね。
実際、そういう人はどっしりしていて、いかにも安定しています。
これは、身体が深くリラックスしていて、筋肉が緩んでいることから来る余裕です。
逆に、呼吸が浅い人は基本的に身体が常時強張っていますが、これは筋肉が既に収縮してしまっている状態です。
そして、筋肉というのは「緩んだ状態から収縮すること」によって働きます。
つまり、「既に収縮し切ってしまっている筋肉」というのは、これ以上働くことができないのです。
それゆえ、身体がガチガチに固まっていて呼吸が浅い人は、筋肉はまともに働けない上に、身体の酸素も足りていません。
これで「精神的に落ち着いていろ」と言われても、それは無理というものです。
なので、実は「瞑想的に在る」ためには、「深い呼吸」がほぼ必須です。
もし呼吸が浅いまま、「落ち着いて自分の思考や感情を観察するのだ」と言われても、そんなことは誰にもできません。
当人は内側で次々に湧き起こる思考や感情に深く巻き込まれてしまい、それらに翻弄されてしまうでしょう。
逆に、深い呼吸ができている人は「胆力がある」という言葉がぴったりします。
少しのことでは決して動じず、他人の言動に振り回されることもなく「自分の軸」を保てます。
それは、呼吸の深い人の身体がリラックスしていて、「いつでも筋肉が収縮できる状態」にあるからです。
それゆえ、こういった人は「動くこと」も「あえて動かないこと」も両方選べます。
その時々の状況を冷静に見渡したうえで、「動くべき時」には機敏に動きますし、「動く必要のない時」には動かずジッとしていられるのです。
この「手札の多さ」と、深く呼吸することで全身に備給される「豊富な酸素」とによって、呼吸の深い人は安定した精神状態を保つことができるわけです。
なので、「呼吸が深い」ということは、そのまま「瞑想的である」ということと同義です。
そして、呼吸法によって息が深くなったら、そこからは瞑想的な実践にバトンタッチしていきます。
当人は深くなった呼吸によって得た安定感を足場にして、自分の内なる欲望や恐れと向かい合っていくことになります。
そして、それこそが「自由」に至る道なのです。
ということで、Kindle本をぼちぼち書いています。
たぶん今の時点で20~30%くらいの完成度かと思いますので、まだまだかかります。
あと、Xのほうでペーパーバック版のリクエストがあったので、Kindle版が完成したら、ペーパーバック版も作成する予定です。
せっかくのご要望なので、私としても「やってみたい」と思っていましたし、ペーパーバック化に取り組んでいきます。
「紙でほしい」という方は、ぜひ楽しみにお待ちいただけたらと思います。
ではでは、また。

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