「呼吸と瞑想の本(仮称)」の第八章が書き終わりました。
この章はブログの記事を元にしたのですが、ほとんど原形をとどめないほどに加筆修正しました。
この章の目的は、「呼吸法の実践」から「瞑想の実践」への橋渡しをすることです。
どうして呼吸法をした後に瞑想をする必要があるのか?
そもそも、呼吸法と瞑想の間にはどんな関係があるのか?
そういったことを解き明かしていきます。
ちなみに、呼吸法を実践して呼吸が深くなっていくと、自然と姿勢が調ってきます。
なぜなら、呼吸を妨げる「身体のブロック」が破壊されることで、身体が自動的に姿勢をアジャストしてくれるようになるからです。
たとえば、肩にずっと力が入っていた人は、その力みが抜けることで、勝手に肩がストンと落ちてきます。
逆に、力みを抜かないまま無理やり肩を落とそうとすると、かえって息が詰まって「生命力」が流れ出さなくなってしまうでしょう。
なので、あくまでも「身体のブロック」を呼吸法によって破壊していき、その結果として自然発生的に起こる姿勢の深まりを大事にするほうが無理がないのです。
また、そうして呼吸が深まり、姿勢が調ってくると、自然と心の波が平坦になってきます。
内側の思考や感情が沈静化し、ちょっとやそっとのことでは動揺しなくなります。
これをもって、禅やヨーガでは「調心・調息・調身」と言っています。
「調心」とは心の波が静まっていること、「調息」とは深くて長い息が自然と起こるようになること、そして、「調身」は姿勢が調って安定していることです。
これらはそれぞれに関係しあっており、どれか一つが深まると、残りの二つも勝手に深まります。
つまり、「調心・調息・調身」は三つで一つの「三位一体構造」をしているのです。
そして、この三位一体が強固に確立されることによって、そこには「快の感覚」が現れてきます。
なぜか?
考えてみれば当然です。
なぜなら、「調心」によって心が静まり、「調息」によってゆったり呼吸ができ、「調身」によってスッキリとした無駄のない在り方ができる時、そこに「快さ」が感じられるのは「生物」として当たり前のことだからです。
それゆえ、当人は三位一体が確立されればされるほど、ますますそれを深めたくなっていきます。
別に「頑張って修行して悟ろう」といったような動機ではなく、単純に「生物として快である」がゆえに、その人は「調心・調息・調身」をより深いものへと育て続けるのです。
そして、この時に自然発生するものこそが、「瞑想状態」です。
清々しい「快の感覚」の中で、思考や感情は沈静化し、迷いと疑いは存在できなくなります。
そこには「覚めた意識」が存在しており、一切を観照しているのです。
この関係を図で示すと下のような形になります。

「調心・調息・調身」の三位一体は、どこの頂点から始めても結果的に三角形全部が自動的に確立していきます。
三つそれぞれの頂点はお互いに支え合っており、互いに自由に行き来ができるわけです(それを三辺の矢印で示しています)。
そして、この三角形が強固に確立されることで、その中心に「快の感覚」と「瞑想状態」が自然発生することになり、「その人の生全体(外側の円)」がより豊かなものとなっていくのです。
というようなことを書いているのが、第八章です。
この章は具体的な実践方法には触れていませんが、理論的な重要性はかなり高いと思います。
ここから、次の第九章で「瞑想的な日常生活」の実践へと入っていきます。
少しずつフィナーレが見えてきました。
あと少しです。

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