当ブログの文章と筆者の著作物は全て著作権フリーですので、どうぞご自由にお使いください。

エッセイ

「自立すること」によって、私たちは「自分より大きなもの」の偉大さを証明することができる

この二、三日で、認識に大きな変化があったので、過去に書いた記事に追記をおこないました。この記事です。どうして人を殺してはいけないのか?|息一つ乱さず人を殺す「鬼」の存在の意味についてこの記事を書いた時点では、私は「人間というのは『天』という...
エッセイ

あえて「天」に逆らう|無意識に「罪人」を作り上げる「心の隙」と私自身の「弱さ」について

私は最近、「天」という言葉を多用しており、どこか発言内容が「宗教」っぽくなってきていました。別に「宗教」そのものは悪くないのですが、そうしてどこか私の言葉は浮世離れし始めていたようにも思います。このところ何度か言っていることですが、「深い呼...
エッセイ

人は「自由」であるがゆえに、いかなる「選択権」も持っていない

現在執筆中の「現成公案げんじょうこうあん・解説本」が第五章まで書き終わりました。今の時点で六万文字弱なので、当初予定していた新書サイズでの出版は無理そうです。これはまた四六判かな。紙で読む人は、ちょっと「持った時の感覚」がずっしりしてくるか...
エッセイ

「天に従う」ということの意味と、世間に広がる「スピリチュアル」に対する批判

私は最近、「天に従う」という表現をよく使います。「もしも天に身を委ねれば、『起こるべきこと』が起こるだろう」とも言います。それゆえ、人によっては、私の言うことをいわゆる「スピリチュアル系の話」として受け取るかもしれません。しかし、これについ...
エッセイ

自分の人生をコントロールしようとしないこと|あえて「馬鹿」になって生きる効用について

ちょっと思ったことがあるので、ブログで文章にしておこうと思います。私は約一週間前に、一気に四冊の本をAmazonで出版し、今日、新しい本の入稿を終えました。おかげさまで、出版済みの四冊の著作はそれなりの販売数を記録しまして、この調子なら今月...
エッセイ

人は、真に「無私」になった時、「天」の導きに従って、ただ「為すべきこと」を為すようになる

私は文章を書く時は、基本的に何も考えないことにしています。多くの人は、文章を書くことを「考えること」だと思っているでしょうけれど、私にとっては違うのです。言葉は「向こう」から勝手にやってきます。それは私に意図してコントロールすることのできな...