この一週間ほどかけて執筆をしていた三冊の書籍が、どれもほぼ出版手続きが完了したので、新しい本を書き始めました。
テーマは「身体論と感覚技法」です。
とりあえず、今さっきイントロダクションとなる節を一つ書きました。
その節の内容としてはこんな感じ。
- 「氣」というものは、実在性を証明することはできないけれど、物事を説明する際には使い勝手の良い「便利な概念」である。
- 中国哲学における「気」と日本思想における「氣」の違い。
- 「気」と「氣」の違いを身体で感じるワークの提示。
などなど。
そもそも「氣」というと、それだけで「怪しい…」と感じる人もいますが、私は別に「氣の実在性を信じなさい」とは言いません。
そもそも、私にだって「氣」が本当に在ることを証明することはできません。
しかし、「『氣』というものが存在し、機能している」という風な仮定を置くと、非常に多くの現象に説明がつくようになります。
なぜ呼吸が深い人の身体は重くて持ち上げることができないのか?
どうして心が前を向いている人の身体を押し留めることはできないのか?
なんで背骨に弾力がない人の意志は弱いのか?
これらは全て「氣」という概念を導入することによって、感覚的なレベルで理解が可能になります。
だったら、「説明のための便利な道具」として「氣」という言葉を使っても、それで問題はないと私は考えています。
そして、「氣」という漢字は実のところ日本に特有の思想と関連があり、伝来元の中国では「気」という漢字のほうが一般的のようです。
「気」という漢字の中にある「メ」は「止める」という意味を表しており、つまり「気」というのは一か所に留めて溜めるものと、中国では考えられているのです。
だから、中国の気功師の人は、毎朝早くに起きて気功をします。
そうやって、朝のうちにしっかり「気」を補充しておかないと、患者を治療するための「ストック」がなくなってしまうからです。
このため、中国では「気功師は基本的に短命だ」と考えられています。
自分の中の「気」を患者に与え続けるので、自分の命を長らえることができないと考えるわけです。
逆に、日本の思想の中では、「気」よりも「氣」が大事にされてきました。
「氣」の中にある「米」は、その形の通り「四方八方に伸び広がる」という意味です。
つまり、日本では「氣」をどこかに閉じ込めて溜めたりせず、もっと開放的に出していくのです。
たとえば、心身統一合氣道の創始者である藤平光一師範は、「氣を出す」という表現をよくしていました。
「氣を溜めろ」とは言わず、「むしろ積極的に氣を出していけ」と指導していたわけです。
彼は、「全身をリラックスさせて『臍下の一点』という下腹部の一点に心を沈めることで、心身は統一して『氣』が出るのだ」と述べていました。
つまり、「『氣』を溜めるのではなくあえて出すことで、人は天地とつながることができる」と彼は言っていたわけです。
また、整体創始者の野口晴哉は、「愉氣」という一種の手当法を民間に広める活動を精力的におこなっていました。
気功師のような特別な人だけが「気」を扱えるわけではなく、誰もが「氣」を出すことができると彼は考えていたのです。
また、この「愉氣」という手当法ですが、実はもともとは「輸気」という漢字で受け継がれてきた技法だったようです。
しかし、これだと「気を輸送する」というイメージになってしまい、「治す側」と「治される側」の間に分断を作り出してしまいます。
それを嫌った野口晴哉は、「気を輸送する」という「輸気」から、「愉快な氣を交流させる」という「愉氣」へと字を変えたのです。
ここでもやはり、「『氣』というのは、自分のところに留めるものではなく、出していくものだ」という日本の思想がよく出ています。
そんなわけで、「気」と「氣」は違う概念であり、私としても、「『氣』を外側に開放したほうが日本人の身体性にも精神風土にも合っている」と思いますので、いつも「気」とは書かずにあえて「氣」の字を使っているわけです。
なお、私が「氣」という字を積極的に使っている理由はもう一つありますが、それはまた本書が完成したら読んで確かめてみてください。
ちなみに、それは感覚的なものです。
そして、もしも本書を読んで読者の方の感覚が開いてくれば、たぶん私と同じ感想を持つのではないかと思います。
「それは確かに『気』じゃなくて『氣』の字を使いたくなるわけだわ」と同意してくれるものと思います。
ということで、新作を書き始めました。
このブログには、過去に身体論や感覚技法について扱った記事も多いので、それらを今の私の視点から加筆修正して収録し、書き下ろしも加えて一冊に仕上げていくつもりです。
まだスタートしたばかりなので、いつごろ完成するかは「天」が決めますが、楽しみに待っていてもらえると嬉しいです。
そんなわけで、新作スタートの報告記事でした。
ではでは。

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