自由

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武道における「自立」について|コントロール欲求を手放したとき、初めて相手は動き出す

今回は、久しぶりに「武道論」を書いてみたいと思います。武道については過去に二つ記事を書いています。武道における「不動心」とは何か?瞑想の実践が深まることで、「戦う理由」は消滅する【筆者の失敗談】探求で出会う「よくある罠」|「霊的な覚醒」は悟...
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「戒律」を守らないと悟れないのか?「自律」は、「観察」と「理解」に根差している

仏教には「戒律」というものがあります。「戒律」というのは「修行者が守るべき掟」のようなもので、専門的には「戒」が「修行者自身が個人的に守るべきこと」で、「律」が「集団生活のためのルール」なのだそうです。ちなみに、最も基本的な「戒律」は「五戒...
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「倫理的」とはどういうことか?哲学者と探求者それぞれの「倫理」に関する向き合い方

かつて、池田晶子さんという哲学者がいました。もう亡くなられてしまったのですが、彼女は「哲学エッセイ」というジャンルを作った草分け的存在と言われています。そんな池田さんは、ある著書の中で「道徳」と「倫理」という言葉について、自分の中で明確に使...
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武道における「不動心」とは何か?瞑想の実践が深まることで、「戦う理由」は消滅する

私は過去に武道の道場で7~8年くらい稽古をしていたことがあります。その時の「失敗談」について、前に一つ記事を書きました。【筆者の失敗談】探求で出会う「よくある罠」|「霊的な覚醒」は悟りに必要なのか?その道場では、瞑想法や呼吸法が指導されてい...
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金銭や名声の追求は「悪」なのか?真の「無執着」は、逃避ではなく理解によってのみ起こる

あなたは、「金銭や名声を求めること」を「悪いこと」だと思ってはいませんか?熱心に真理を探求している人の中には、「金銭や名声をいくら求めても、真理を悟ることはできない」と考えている人もいるのではないかと思います。確かに、金銭や名声を追い求め続...
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「善」と「悪」の鎖を断ち切る方法|「無分別」に至るために「事実」に留まることの意味

◎「わかった気」になりたがる私たち今回の記事では「分別(ふんべつ)」という言葉について考えてみたいと思います。「分別」というのは、もともとは仏教の言葉で、物事を二元的に分割して考えることを意味します。たとえば、「善」と「悪」、「自分」と「他...
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「無執着」は実践できない|「カルマ」が浄化される時と、「カルマ」が積み増しされる時

◎「無執着」は「至福へ至るための手段」ではなく、「至福の定義」そのものである「真理の探求」についての連載が終わって一発目の記事ということで、今回は「執着」について掘り下げていこうと思います。「執着」については、連載の中でも何度か言及したこと...