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『老子』の「太上」に学ぶ教育論|「親しまれ称賛される教師」が陥るピット・フォール

◎『老子』淳風第十七において語られている「君主像」について私は昔、自分で教室を開いて、武道や瞑想について教えていたことがありました。とはいえ、その頃はまだ真理の探求をしていなかったので、「自我」と完全に自己同一化していて、「エゴ」丸出しの教...
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武道における「不動心」とは何か?瞑想の実践が深まることで、「戦う理由」は消滅する

私は過去に武道の道場で7~8年くらい稽古をしていたことがあります。その時の「失敗談」について、前に一つ記事を書きました。【筆者の失敗談】探求で出会う「よくある罠」|「霊的な覚醒」は悟りに必要なのか?その道場では、瞑想法や呼吸法が指導されてい...
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金銭や名声の追求は「悪」なのか?真の「無執着」は、逃避ではなく理解によってのみ起こる

あなたは、「金銭や名声を求めること」を「悪いこと」だと思ってはいませんか?熱心に真理を探求している人の中には、「金銭や名声をいくら求めても、真理を悟ることはできない」と考えている人もいるのではないかと思います。確かに、金銭や名声を追い求め続...
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【哲学的考察】他者に「意識」は存在するのか?「哲学的独我論」と「真我探求」の接点について

今回は、「実践の手引き」とか「探求のヒント」とかいったものではなく、ちょっとした「哲学的な考察」を書いてみたいと思います。その考察とは、「他者にも『意識』はあるのだろうか?」というものです。なお、私の中にも別に「明確な答え」があるわけではあ...
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【自分の呼吸を感じられない人へ】感覚を深め、感情を解放する二つのステップ

今回は、呼吸を深める方法について解説したいと思います。私は過去に、「呼吸に集中する瞑想」について解説したことがありました。【第9.5回】「瞑想」の第一段階《実践編》|「無思考の味わい」を知るための呼吸瞑想これは、「呼吸に伴って発生する身体の...
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思考における「三つの層」|瞑想をすると、本当に考えることができなくなるのか?

瞑想の実践を始めたばかりの頃には、「瞑想をすると思考が無くなると言うけど、本当だろうか?」と疑問に思う人がいるかもしれません。もちろん、それは本当のことです。でも、私がそのように答えると、「じゃあ、瞑想をするとものを考えることができなくなっ...
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「善」と「悪」の鎖を断ち切る方法|「無分別」に至るために「事実」に留まることの意味

◎「わかった気」になりたがる私たち今回の記事では「分別(ふんべつ)」という言葉について考えてみたいと思います。「分別」というのは、もともとは仏教の言葉で、物事を二元的に分割して考えることを意味します。たとえば、「善」と「悪」、「自分」と「他...
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【瞑想の実践における壁】思考や「自我」を切り分ける、「識別(ヴィヴェーカ)」の段階的成長

探求の世界に「識別(ヴィヴェーカ)」という言葉があります。いったい何を「識別」するのかというと、「意識」と「意識でないもの」とを切り分けます。なお、「意識」については、以下の記事が参考になります。【第7回】世界はなぜ「この自分」からしか見え...
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【筆者の失敗談】探求で出会う「よくある罠」|「霊的な覚醒」は悟りに必要なのか?

あなたは「霊的な力」の向上に興味がありますか?たとえば、予知やテレパシー、波動や氣を操ったりするような能力です。真理を探求をしている人の中には、ひょっとすると「霊的な能力をひたすら高めていけば、その先に悟りがあるのではないか?」と思っている...
カルマ

「無執着」は実践できない|「カルマ」が浄化される時と、「カルマ」が積み増しされる時

◎「無執着」は「至福へ至るための手段」ではなく、「至福の定義」そのものである「真理の探求」についての連載が終わって一発目の記事ということで、今回は「執着」について掘り下げていこうと思います。「執着」については、連載の中でも何度か言及したこと...