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エッセイ

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読者とのやり取りは私にとって「良い修行」です|お問い合わせをお待ちしています

最近は、嬉しいことに読者の方からのメッセージが増えてきて、楽しくやり取りをしています。また、読者の方からは様々な視点をもらえていて、やり取りをする中でブログに書くことを思いついたりもします。メッセージを送っている人たちの中には、「こんなこと...
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「信頼」という名の明け渡し|「蛮勇」と「本当の勇気」の違いについて

最近、お問い合わせなどで複数の方と並行してやり取りをしているのですが、どの方も「勇気」があると思います。なぜなら、私にお便りをすることで、その人はある意味、私の目の前にある「まな板」の上に自分自身を載せているからです。「言葉を書く」というの...
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「いかなる主義も持たない」という主義|「自由教」の信者として、誰もがただ独り生きる道

ここ数日、立て続けに複数の読者の方とネット上でやり取りする機会があり、読者の温度感がなんとなく伝わってきました。私が思っていた以上に、「温度の高い読者」が多かったようです。つまり、かなり「熱意」を持って読んでいる人が実際に存在することがわか...
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「悟り」に「自分の欲求」を投影する人々|自分の中の「最も根源的な欲求」を理解する

先ほど、また読者の方とメールでやり取りをしていたのですが、あらためて「悟り」というのは、「罪な言葉」だと思いました。そもそも、「悟り」という言葉には、何千年にもわたって非常に多くの手垢がついています。たとえば、「悟り」というと、何か「超常的...
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人は生きることを通して「覚醒」し、「覚醒」が人を成長させる

「覚醒」の副産物の一つに、「学習能力」があります。ちなみに、ここで言う「学習能力」というのは、「記憶力」とかのことではありません。たとえば、「学校で教師から言われたことを忠実に憶えていられる」とかいったことではなく、それは純粋に、「失敗から...
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ただ「幸福」になってください|真理の探求の後半戦は「幸福感」によって意志を溶かす旅である

昨日、ある探求者の方とメールでやり取りをしていて、その人から改めて気づかせてもらったことがあったので、ブログでも共有したいと思います。私はこのブログで「別に悟らなくてもいいんですよ」と言うことがありますが、そうはいっても、迷いや疑いを抱えて...
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「理想」を手放す際のジレンマ|「苦しみ」が「敵」ではなく、「客人」になる日まで

私はよく、「苦しみをひたすら見つめ続けると、それはやがて溶けて消える」と言いますが、これがなかなか一筋縄では行きません。おそらく、私の言葉を信じて、実際に「苦しみ」と直面している人もいると思います。もちろん、私は嘘を言ってはいません。実際に...
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「深刻さ」を捨てて、「真剣」になって遊ぶことの意味

私は現在、毎日3つとか4つの記事を投稿し続ける生活を送っています。でも、別に「毎日記事を書かないといけない」と思ってはいません。ただ、なぜかたまたま、毎日「書かずにはいられない必然性」を内側に感じるだけなのです。たとえば、私が部屋でボケーっ...
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人は「透明」になった時、「自分の色」に辿り着く

大人になってから検査をしてわかったのですが、私には発達障害的な特性があります。診断名としてはASD(自閉症スペクトラム症)で、他人の気持ちに共感する能力や、話の文脈を理解する能力の欠如を伴います。同時に、「特定のルーティン」に強いこだわりを...
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禅宗における「見性」について|「覚醒」の中で生きる人だけが「生の美しさ」を知っている

新刊の「現成公案げんじょうこうあん・解説本」のkindle版原稿を「ほんわっかぱっぱ」と編集しているのですが、今回の本で、たぶん読者がいちばんつまづくのが、「見性けんしょう」について書いた部分だと思います。「見性」というのは禅宗の言葉で、「...