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瞑想

ブログ記事

「中道」は「自分のしていること」にうんざりした時、自然と起こる

以前、「父性原理」と「母性原理」について記事を書いたことがあるのですが、このことについて、再度、もう少し具体的に考えてみたいと思います。ちなみに、前に書いた記事はこちらです。【関連記事】「内なる父」と「内なる母」が一つになる時、人は本当の意...
エッセイ

「苦しみと同化すること」こそが、「苦しみ」を苦しまなくなるための道である

瞑想を実践している人の中には、「どんな思考や感情が湧いてきても、それから離れて立っていないといけない」と考えている人もいます。私も過去にはそのように考えていました。ただ、今は少し違う立場を取るようになっています。今回はその話をしたいと思いま...
エッセイ

「全ての答え」は内側に在る|瞑想とは「するもの」ではなく、「起こるもの」である

とある方とメールでやり取りしていて、「本では何度か書いたけど、ブログでは書いたことがなかったトピック」の存在に気づいたので、記事にして共有しておきます。それは、「結局全ての到達点は同じだ」ということです。たとえば、何らかの瞑想の技法を実践し...
ブログ記事

初の瞑想会まであと約一週間|「来る意志」のある人は、万難を排してやって来る

当ブログ開設から初めての瞑想会まで、あと一週間ほどになりました。予定では、岡山で2/22(日)13:00~14:30に開催することになっています。定員は五名に設定していますが、今のところ、二名の方から参加の申し込みを受け取っています。なお、...
エッセイ

「過去の傷」が「思い出」に変わる時|未来と過去という「虚構」からリアリティを剥ぎ取る修行

昨日、五年前から凍結していたフェイスブックの更新を再開したのですが、そっちが今、結構面白くなっています。【関連記事】【個人的な報告】長年閉鎖していたフェイスブックのアカウントを再開しました私は過去に自殺未遂やパニックの発作を繰り返して人に迷...
ブログ記事

「頭の中」だけで瞑想しないこと|「感覚への耽溺」がもたらす「時間」の溶解

ある方とメールでやり取りしていて思ったのですが、「頭で瞑想する」のと「心身で瞑想する」のとを分けて捉えるのはけっこう大事かもしれません。そもそも、「瞑想」というと、私たちは「頭を使ってするものだ」と思い込みがちです。実際、科学的な研究でも、...
エッセイ

「信頼」という名の明け渡し|「蛮勇」と「本当の勇気」の違いについて

最近、お問い合わせなどで複数の方と並行してやり取りをしているのですが、どの方も「勇気」があると思います。なぜなら、私にお便りをすることで、その人はある意味、私の目の前にある「まな板」の上に自分自身を載せているからです。「言葉を書く」というの...
ブログ記事

【新作の第二章の内容公開】「心」と共に生きるための具体的な実践についての解説

現在執筆中の「心と共に生きる幸福論」ですが、第二章まで書き終わりました。二章はかなりボリューミーになったので、現時点で「まえがき」「第一章」「第二章」の全体で約120ページありますが、そのうちの70ページくらいが二章です。なお、二章は「心」...
エッセイ

禅宗における「見性」について|「覚醒」の中で生きる人だけが「生の美しさ」を知っている

新刊の「現成公案げんじょうこうあん・解説本」のkindle版原稿を「ほんわっかぱっぱ」と編集しているのですが、今回の本で、たぶん読者がいちばんつまづくのが、「見性けんしょう」について書いた部分だと思います。「見性」というのは禅宗の言葉で、「...
エッセイ

「自信」の正体|人間にだけ「覚醒」が可能である理由

私は毎日、何の迷いもなく文章を書いているように見えるかもしれませんが、そういうのを外から見ていると、「この人には『絶対的な自信』があるに違いない」と思う人もいるでしょう。でも、「自信」って、いったい何でしょうか?世の中の多くの人は、「自分に...