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悟り

エッセイ

「深刻さ」を捨てて、「真剣」になって遊ぶことの意味

私は現在、毎日3つとか4つの記事を投稿し続ける生活を送っています。でも、別に「毎日記事を書かないといけない」と思ってはいません。ただ、なぜかたまたま、毎日「書かずにはいられない必然性」を内側に感じるだけなのです。たとえば、私が部屋でボケーっ...
エッセイ

禅宗における「見性」について|「覚醒」の中で生きる人だけが「生の美しさ」を知っている

新刊の「現成公案げんじょうこうあん・解説本」のkindle版原稿を「ほんわっかぱっぱ」と編集しているのですが、今回の本で、たぶん読者がいちばんつまづくのが、「見性けんしょう」について書いた部分だと思います。「見性」というのは禅宗の言葉で、「...
エッセイ

「自信」の正体|人間にだけ「覚醒」が可能である理由

私は毎日、何の迷いもなく文章を書いているように見えるかもしれませんが、そういうのを外から見ていると、「この人には『絶対的な自信』があるに違いない」と思う人もいるでしょう。でも、「自信」って、いったい何でしょうか?世の中の多くの人は、「自分に...
エッセイ

「自分にはわかった」と思った瞬間から、その人の「堕落」は始まっていく

先月末から書き始めた、道元の現成公案げんじょうこうあんについての解説本ですが、一昨日くらいに最後まで書き終わっていました。ただ、ここ数日で、認識が大きく書き換わったので、それに合わせて頭からリライト作業をおこないました。前は「悟り」という「...
エッセイ

あえて「天」に逆らう|無意識に「罪人」を作り上げる「心の隙」と私自身の「弱さ」について

私は最近、「天」という言葉を多用しており、どこか発言内容が「宗教」っぽくなってきていました。別に「宗教」そのものは悪くないのですが、そうしてどこか私の言葉は浮世離れし始めていたようにも思います。このところ何度か言っていることですが、「深い呼...
エッセイ

「世界」は実在しないのだから、ただ「無意味さ」の中で踊ればいいだけ

私は時々、「世界は実在しない」と言いますが、人によっては「それなら、どうしてお前はこんな風に世の中の他人に向かって文章を書いているのだ」と言いたくなるかもしれません。これについて私は、「半分遊び」で、「半分本気」です。まず、私の言う「世界は...
エッセイ

人は「自由」であるがゆえに、いかなる「選択権」も持っていない

現在執筆中の「現成公案げんじょうこうあん・解説本」が第五章まで書き終わりました。今の時点で六万文字弱なので、当初予定していた新書サイズでの出版は無理そうです。これはまた四六判かな。紙で読む人は、ちょっと「持った時の感覚」がずっしりしてくるか...
エッセイ

【新作の進捗報告】古今東西の哲人たちとの「答え合わせ」|「賢さの形」はみんな似ている

現在執筆中の「現成公案・解説本」が第四章まで書けました。今の時点で約五万文字です。思い返してみると、だいたい「一日一万文字」くらいのペースでのんびり書いていますね。自伝の時は、ラストの一日だけで一気に五万文字とか書いていたので、それと比べる...
エッセイ

知者には「無知」を突きつけて、無知者には「智慧」を思い出させる

私の文章を読むことで、かえって精神的に不安定になる人も、結構いるのではないかと思います。理由はたぶん二つあります。一つは、私が「人々の知りたがっていない真実」をあえて書いているから。もう一つは、私が「人々が無意識に寄りかかっているもの」を積...
エッセイ

「覚醒」から逃げ出す人々|「覚醒」とは「責任の自覚」の別名である

「現成公案」の解説本、第二章が書き終わりました。この章は、「現成公案」の中の有名なフレーズである「仏道をならふといふは、自己をならふ也」を解説する章です。道元は「仏道」と言っていますが、これは彼が仏教徒だからであって、現代風に解釈するなら、...