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【メルマガ記事の共有】悟りという名の「聖火」を絶やさないために

いつもはメルマガを会員だけの限定公開にしているのですが、今朝書いた記事は試しに全面公開に設定してみました。

こちらの記事です。

練習は本番のように、本番は練習のように

今回の記事では、瞑想の実践の中で「自分の中心」にしっかり軸足を定めることの重要性について書いています。

そもそも、瞑想の実践において最初は「自分の中心」というものがわかりません。

たぶん多くの人は、「『不動の中心』なんてものが本当にあるのだろうか?」と半信半疑で実践をしていくのではないかと思います。

ですが、内側が静かになっていくと、どこかの段階で「不動の中心ってこれか!」という気づきが起こります。

「自分は元から仏だったんだ」ということを自覚する瞬間ですね。

もちろん、すぐにはそのことがわからないかもしれません。

でも、後になって振り返ってみると、「あの瞬間に『決定的な気づき』が起こっていたんだ」とわかるはずです。

ただ、往々にして実践者は、「これでもう自分は悟った」と思ってしまいがちです。

「自分は元から仏だったんだ」ということを、一瞬感じただけで「ゴールした」と思ってしまうのです。

でも、実際にはここからが「本当の修行」です。

なぜなら、ほんの一瞬体験しただけの「悟り」では、現実の前で無力だからです。

おそらく、「自分は仏だったのだ」ということに気づいた後も、生活の中で仕事や家事に追われていれば、簡単にそれを忘れてしまうはずです。

「内側の静けさ」は吹き飛んでしまい、心は千々に乱れるでしょう。

そうして、「不動の中心」も見失われ、まるで瞑想をしていなかった頃と変わらない自分を発見するはずです。

でもまあ、そういうものです。

別に落ち込む必要はありません。

大事なことは、そこで「自分は悟った人間のはずだ」という思い込みにすがらないことです。

簡単に心を揺さぶられてしまう現実を前にして、「こんなはずはない!」と言ってそれを否認しようとするのではなく、むしろ「自分の仏性を一瞬悟っただけじゃ役に立たないんだな」ということを誠実に認めることが大事です。

そして、そのうえで、「仏性に留まっている感覚」を日常の中で地道に練りこんでいく必要があるのです。

逆に、もしそこで「自分は仏性を悟ったはずだ!」と言い張って、「社会の中にいたら悟りを維持できない!」と考えて山の中に引きこもってしまうと、その人はもうそれ以上成長できなくなります。

確かに、「内側の磁力」を育てることに集中するために、「期間限定」で山の中に引きこもることも時には役に立ちますが、そうやって育てた「磁力」は日常の中でこそ試されるものです。

トラブルに巻き込まれたり、他人から絡まれたりする中で、それでも「自分の仏性」を忘れずにいられるかどうか?

それこそが大事なことであり、日常生活の中で簡単に「化けの皮」が剥がれてしまうような「悟り」には、たいした意味がありません。

でも、人によっては「悟りの一瞥いちべつ」を体験すると、「自分はもう特別な人間になったのだ」と思い上がってしまい、そのエゴを守るために社会から引きこもってしまうこともあります。

確かに、社会から引きこもっていれば「悟り」を守り抜くことも容易でしょうけれど、それでは何のために悟ったのだかわかりません。

そもそも、「悟り」というのは、「悟ったら終わり」というものではないのです。

それは「内側に灯った火」のようなものです。

その「火」は、何千年と続く瞑想の伝統の中で受け渡されてきた「聖火」であり、次の世代に向かって受け渡される必要があります。

「自分の内側に灯った火」を、社会の中で周りの人々の内側にも受け渡していく。

そうして初めて、「悟った意味」というものが芽生えます。

とはいっても、別に「他人を感化しよう」と意識する必要はありません。

なぜなら、もしもあなたが覚醒していれば、あなたの一挙手一投足が、勝手に周りの人を変え始めるからです。

そうして、「自由」というものは感染していき、いつの日か(たぶん数万年後くらいに)この地球全体を覆うでしょう。

でも、そのためには、「自分一人だけの悟り」に固執して引きこもったりせず、それを他人に受け渡せるくらいの「大きな火」へと育てていくことが必要です。

そもそも「悟りの一瞥」を体験したての頃は、まだ「火」が小さすぎるので、日常生活の中で何かあると、すぐに吹き消されてしまいます。

しかし、それでは他人に影響を与えることは不可能です。

むしろ、他人がその人に影響を与え続けるでしょう。

他人から影響を受けなくなって初めて、他人へ自然と影響が波及し始めます。

そうしてあなたは、「他人に影響を与えよう」という意図も作為もないままに、この世界を少しずつ変え始めます。

でも、そのためには、「自分の内側に灯った火」を少しずつでも育てていく努力が欠かせません。

「一瞥体験」は大きな転換点ではありますが、それは決して「終わり」ではなく、むしろそこからこそ、「本当の修行」は始まるわけです。


というわけで、今回はメルマガの内容を公開して、そのエッセンスを共有しました。

今後も、メルマガの記事を一般公開したときは、ブログやYouTubeコミュニティでもアナウンスしていこうと思います。

メルマガも、せっかく毎日書いているので会員を増やしたいですし、メルマガを投稿しているOFUSEのほうにも、人がもう少し出入りしたら活動全体が盛り上がるように感じています。

OFUSEでのラジオ配信も復活してみようか考え中です。

まあ、その辺はおいおい決めようと思います。

以上、メルマガの記事を共有しました。

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