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「坐禅の形」は心地よい|動くことを不快にさえ感じる「姿勢の黄金比」

昨日は久しぶりに1時間続けて坐禅をしました。

以前は毎日のように1時間通して坐っていたのですが、日常生活の中で瞑想をするようになってから、坐って瞑想することはほとんどなくなっていたんです。

ただ、久々にじっくり坐ってみると、いろいろ変化を感じました。

昔は、1時間坐っていると、途中で腰や足が痛くなってしまい、途中で何度か姿勢を変えていたのですが、昨日は一度も姿勢を変えず、1時間坐り通すことができました。

むしろ、「姿勢を変えたくない」という感覚さえあったほどです。

それはたぶん、私自身が「自分の核」に定まっていられるようになったからだと思います。

以前は、意識の表層で動いている思考や感情と同化してしまうことが多くて、一緒に身体の中も微妙に動いていました。

外側では身動きせずにジッと坐っているようでも、内側では「氣」が動いていて、それがあっちこっちで詰まったり滞ったりしていたわけです。

でも、「自分の核」に定まっていると、「氣」の流れがとても穏やかになって、自分の身体に合わせてピターっと留まっているような感覚が出てきます。

そうなると、「氣」が身体の中で暴れてあちこちにぶつかることがなくなるので、身体が痛くならないんです。

「氣」も身体も、「同じところ」にそのまま留まっていられるわけですね。

こうなってくると、むしろ姿勢を変えることのほうが「不自然」に感じられてきたりします。

「坐禅のかた」を取ることによって、ある種の「黄金比」が既に成立しているので、その均衡を崩したくなくなるんです。

心と身体と「氣」が、収まるべきところに収まっていることで、動くほうがかえって不快に感じる。

昨日はそんな感じでした。

それで、1時間の坐禅を終えてから、YouTubeで雑談ライブをおこなったのですが、いつもより静かに言葉が出てきて、一言一言が重く響くように感じられました。

こういう感覚でライブ配信をするのも、また面白いですね。

しかし、「坐禅の形」というのはやはり強力です。

まあ、何千年も残り続けてきたのですから、それも当然でしょう。

結跏趺坐を組むのは人によっては厳しいかもしれませんが、股関節や足首の柔軟性に自信がある人は、挑戦してみてもいいかもしれません。

もちろん、あぐらでも瞑想はできますが、結跏趺坐の気持ちよさは、一度味わうと忘れられないところがあります。

ただし、結跏趺坐は無理をすると股関節や足の筋を痛めることもあるので、きついように感じたら、まず半跏趺坐から練習するといいと思います。

ということで、坐禅の現場からは以上です。

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