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【講話・第六回文字起こし】退屈を静めるための道

今回は、講話の第六回で話した「退屈を静めるための道」を文字起こししたものを掲載します。

退屈を感じている現代人は多いですが、実のところ、それは自分の軸足を頭に置きすぎているからかもしれません。

本編動画はこちら⇓

以下、文字起こしした内容に、読みやすいよう手を加えたものを掲載します。

◎前置き

はい、講話動画の第6回ですかね

テーマとしては「退屈」について話したいんですけど

これを観てる人で、退屈を感じてる人ってどれくらいいます?

退屈を感じたことない人っていうのも、たまーにいるみたいですね

常にやりたいことがあって

日々を活き活きと生きてるっていう感じで

「退屈なんてしたことないわー」っていう人いると思うんですけど

あるいは、いつも何か暇つぶしをしていて

それで、退屈に直面したことがないっていう人もいると思います

でも、だいたいの人は、1回2回はね、すごい退屈を感じたことがあると思うんですよ

今回は、そんな「退屈」について、話してみたいと思います。

◎私がダンスに飽きた時の話

かく言う私もね、過去に退屈を感じたことがあったんです

最初はね、いろんなことをやってたわけですよ

「やりたいこと」がいろいろあったから

例えば、若い頃はダンスやってたんです

10代の頃ダンスやってて

一番最初は、高校生になった時にブレイクダンスを始めたのね

でも、ブレイクダンスをやったら1年ぐらいで飽きちゃったんですよ

なんとなく、だいたい踊れるようになったんで、満足しちゃって飽きたんですよ

「じゃあ、他のジャンルの踊りやろうかな」と思って

ロックダンスとかヒップホップとかハウスとか

他のジャンルの踊りをやり始めたんです

でも、それも結構すぐ飽きちゃって

「なんかつまんないな」ってなっちゃったんですよね

そこから高校卒業して、ダンスの専門学校へ行ったんですよね

そしたら、そこではクラシックバレエが必修だったんですよ

それまで、背中を丸めてブレイクダンスをやってたのに

そんな人が「アン・ドゥ・トロワ」みたいなことをやりだしたわけですよ

それで、やることが全然違ったんで、新鮮だったから「面白い」と思って

もう毎日朝から晩まで稽古したんですね

でも、結局それも1年ぐらいで飽きちゃったんです

クラシックバレエやって、モダンダンスやって

ジャズダンスやって、コンテンポラリーダンスやって

色々やったんだけど飽きちゃって

ものすごい詰めて稽古したから、1年でだいたい踊れるようになったんで飽きたんです

そういう感じで、「練習する→できるようになる→飽きる」っていうね

そのパターンを繰り返していくうちに、ダンスそのものに飽きちゃったんですよ

「新しいダンスに挑戦する」っていうことそのものに飽きちゃったんです

◎ゲームも映画も、「パターン」が見えて飽きてしまった

その時に感じたのは、「結局同じことの繰り返しじゃないか」ってことでしたね

「飽きない人」っていうのはそういう「パターン」に気づかないのか

あるいは「パターン」をひたすら壊し続けてるのか

そのどっちかだと思うんですけど

やっぱりね、「自分が繰り返しているパターン」を洞察するときに、人は飽きるんですよね

うんざりしちゃうんです

「結局、同じことの繰り返しじゃないか」って思うんですよね

で、そうやってその道が絶たれてしまいます

「もうこれ以上続けてもダメだ」

「これについてはもう分かった」と

「もうこれは飽きた」っていうので、道が絶たれるわけですね

そうなると、もう「それをやりたい」と思わなくなっていくわけですね

既に飽きていることを無理してやると、かえって苦しくなるんで

人は必然的に、同じことはやらなくなるんです

そんな感じで、その後も私はいろんなことにハマっては飽きていきました

例えばゲームにひたすらハマった時期があって

当時は毎日毎日、ひたすらゲームをやってたんですよね

いろんなジャンルのゲームをやって、のめり込んでたんですけど

それも最初のうちだけでしたね

というのも、いろんなゲームをやるうちに

だんだん「パターン」がわかってきてしまったんですよ

「このジャンルのゲームはだいたいこういうシステムが多いよね」とか

「このゲームのこのシステムって、前回やったあのゲームのとほとんど同じじゃん」とかね

そんな風に思うようになってしまって

で、物語を観ていても、「このストーリーなんか見覚えあるな」とか

「この後の展開はどうせこうなるんだろう」とかね

先読みし始めちゃって、純粋に楽しめなくなったんですよ

そんな感じで、とうとうゲームにものめり込むことができなくなって

ゲームも飽きたんですよ

新しいゲームをやっても、「新鮮な気分」がしなくなったんですよね

「パターン」がもう見えちゃってるから、「面白い」って思わないんですよ

「結局同じことの繰り返しだ」っていう風に感じ始めて

それで、ゲームをやめたんですよね

他にも、アマゾンプライムビデオとかに入って

「いろんな映画を観よう」みたいなことをしたこともあるんですけど

やっぱりそれも、何本か映画を観てる間は楽しいんだけど、だんだん飽きてくるんですよね

まだ観てない作品がいくらでもあるにも関わらず

「結局どれを観ても、『映画を観る』っていう体験は同じじゃないか」っていう気がしてきて

うんざりしてきてしまったんです

やっぱり「パターン」が見えてくるんですよね

◎退屈には逃げ場がない

そんな感じで「パターン化して把握する能力」がある人は、物事に飽きやすいと思うんです

で、そうやって一つ一つ「やりたいこと」が潰れていった果てに

「もう一個もやりたいことないです」ってなると

人は「手ぶらな時間」が来た時に、退屈するんです

そういう時に、人によっては仕事に依存したりするんですよね

仕事に依存したり、恋愛に依存したり

とにかく、何かに依存するんですよ

そうやってワーカホリックになる人は、仕事に熱中している間は退屈しなくて済むから

しかも「何か生産している」「貢献している」という気分にもなれるんで

「自分の内側の虚無感」を直視しなくて済むんですよね

それで、そうして仕事をしていると

「自分の人生には意味がある」「自分の人生は空虚ではない」という風に感じられるんです

まあ、確かに仕事中はそう思えるんですけど

実際にはそれって、「自分からの逃避」なんですよね

「自分の内側にある退屈」からの逃避なんですよ

「自分にはやりたいことがない」ということ

そして、「自分にとって人生は空虚である」ってことが、その人の「真実」なんだけど

そこから目を逸らすために仕事に依存してしまったりするんですね

でも、そういう人って

遅かれ早かれバーンアウトしてで働けなくなってしまうと思います

「空虚さ」から必死で逃げるために働いてるから、限界を超えて走り続けちゃうんです

それで、結局仕事ができなくなって

避けようもなく「自分の内側の空虚さ」と向き合うしかなくなるんですけど

まあ、それはまた別の話として

今している話のテーマは退屈ですよね

とにかく、「やりたいこと」をやり尽くすと、人は退屈するんですよ

もう「やりたいこと」がなくなって

その上、「退屈をごまかすためのもの」さえもがなくなったときに

人は避けようもなく、退屈に直面するわけです

仕事であれ何であれ、何かに依存することで

いつまでもそこから逃げ続けるわけにはいかないということですね

◎頭に軸足を置く人は、一時も落ち着くことができない

それで、「退屈って、いったい何なのかな?」っていうと

やっぱり、頭に軸足を置いてるから、退屈って感じるんだと思うんですよ

人間のエネルギーのセンターっていくつかあるんですけど

大まかに分けると、3つあるのね

「頭のセンター」と、「胸のセンター」と、「下っ腹のセンター」の3つあって

「頭のセンター」に軸足を置いていると、自我が活発に働くようになるので

常に何か目標を追い求めるようになるんです

何か目標を追い求めて、行為をして、達成して

それによって「達成感」を得ることによって幸福になろうとするのが

「頭のセンター」に軸足を置いている人の考え方なんですよね

だからそういう人って、常に行為に駆り立てられているんですよ

「何かし続けなければならない」

「何者かにならなければならない」

「絶えず達成し続けなければならない」っていう風な脅迫観念を持ってるんですね

だから、無意識に常に動き回っていて、ずっと落ち着くことができないんです

でも、落ち着けないっていうのは裏を返すと

何もすることがなくなった時に、退屈するってことなんですよ

そもそも退屈って何かっていうと

「早く何かしろ」っていう「頭のセンターからの命令」みたいなもので

「何かせずにいられないっていう焦燥感」として実感されるものですよね?

何もしないでいることの中に、言いようのない不快感があって

とにかく、何でもいから早く何かをせずにいられなくなる気持ち

それが退屈なんですよね

その時には、頭で「自我」が主導権を握っていて

「絶えず何か行為をして達成感を求め続けろ!」って命令してきているわけです

そして、そういう「行為して達成感を得る」というパターンに慣れきっていると

「何もしないでいる」ということが、人はできなくなってしまうんですね

たとえば、ハムスターがずっと、カラカラカラカラと車輪を回すじゃないですか?

あんな感じで、ずっとクルクルクル何かを回し続けないと

落ち着いていられないっていうのはね

「頭のセンター」に軸足を置いてしまっているからだと思うんです

◎下腹で感じる「静かな幸福感」から切り離されている私たち

逆に、胸は中間地点なんで

頭と下っ腹の「合いの子」みたいな感じなんだけど

じゃあ、その「下の腹のセンター」は何かっていうと

ここは「存在のセンター」なんですよね

「実在のセンター」であって、存在することそのものと繋がっているセンターです

それに対して、頭っていうのは行為によって縛られているんですよ

常に何か行為をして、目標を達成することによって

喜びを得ようとするのが頭なんですよね

それに対して、下っ腹っていうのは、存在しているだけで満たされているんですよね

何もしないで、「手ぶらな状態」の中で、はらの方に気持ちが静まってくると

自然と「静かな幸福感」が溢れてくるんですよね

でも、それを感じられなくなっているのが、現代人なんです

その「手ぶらの状態」になった時に

下っ腹で静かな状態に定まると幸福感が溢れてくるんだけど

現代人は、「頭のセンター」に軸足が移っちゃってるから

何もしないでいい「手ぶらな状態」がやってきて

「何もやるべきことがない」っていう風になった時に

「あぁ、何もかもこれでいいんだ」とは思えないんですよ

そういう「存在そのものの幸福感」に浸ることができなくて

むしろそこで退屈を感じてしまい、「何かしなきゃ」っていう風になるんです

「何かせずにいられない」ってなっちゃうんですね

◎頭をスカスカにして、肚に降りていく重要性について

で、この退屈っていうのは、やっぱり頭が作り出してると思うんです

現代人の多くは、「頭のセンター」に軸足があって

「何か行為して達成する」ということでしか刺激を得ることができないんですね

「自分で行為をすることで、外側から刺激を得る」というパターンに慣れ切っているから

静かに坐って、何の音もない静寂の中で喜びが湧き出してくるまで

ジッとしたまま、待っていられないんですよね

どうしても、何か行為をしたくなってしまう

心が常にかき乱されていて、頭も思考でいっぱいなんで

内側が静かにならないんですよ

それで「行為しなきゃ、何か意味のあることをしなきゃ」って駆り立てられている

それが、多くの人の現状だと思いますね

なので、まず頭をすっきりさせていくことが大事だと思うんです

頭中心じゃなくて、下っ腹中心にしていく

身体の重心を物理的に落としていって

自分が軸足を置くセンターを肚に収めていくのが大事だと思います

頭をスッキリさせる「上丹田の呼吸」っていう呼吸法があるんですけど

you tubeにレクチャー動画で上げてるんで、もしよかったらそれも観てみてください

で、頭が騒がしすぎる人は、生活の中で気が向いたときにでも

その呼吸法を実践して、頭空っぽにするっていうのをやってみるといいかもしれないですね

頭をスカスカにして、その上で静かに呼吸しながら

エネルギーのセンターを下に下に降ろしていく

身体の重さを下に下に流していく

そうすることによって、退屈は消えていくんではないかなと思います

はい、ということで

今回はちょっと短めですけど、これくらいコンパクトな感じでもいいかもしれないですね

では、これで終わります

どうもありがとうございました

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