先月末から書いていた、道元禅師の「現成公案」についての解説本がAmazonに入稿できたので、ブログ内に特設ページを設置しました。

「自己」を忘れて、「未知」を生きる
いつも通り、今回も「目次」と「冒頭の原稿」を公開していますので、興味のある人はのぞいてみてください。
しかし、今回の本はなかなかの「難産」でした。
書いている途中で私自身の認識が大幅に書き換わってしまったので、それに合わせて、最後まで完成していた原稿を再び頭からリライトしました。
そのため、本書の中には、「過去の私」と「今の私」が混在しています。
結果的に、いくぶん「スッキリしない話」になってしまったかもしれませんが、「スッキリし過ぎた話」というのも、それはそれで「引っかかる部分」がなくて、読んでいて面白くないのではないかと思います。
私としては、読んだ人の喉に「魚の小骨」のように引っかかって残り、自然と内省を促すような本になったように感じています。
ちなみに、特設ページにも書いていますが、私は仏教徒ではありませんし、仏教の学者でもありません。
仏教の正当的な教義についてはほぼ何も知りませんし、道元についてもそれほど詳しく知っているわけではありません。
そんな「門外漢」が、なぜ「道元思想の核」とも言える「現成公案」について解説を試みるなどという「無謀なこと」をしたかというと、私にとっては「事実」より「真実」のほうが重要だったからです。
私が書いたこの本の中には、「事実」はあまり書かれていないかもしれません。
私は仏教について体系的に学んだことはありませんし、道元の生涯についても、文献的な裏はほとんど取りませんでした。
ですが、私は私自身の目から見た「道元」という一人の人間について語ることで、そこに一つの「物語」を描き出したつもりです。
そこには「事実」はそれほど含まれていないかもしれませんが、読んだ人の世界を揺り動かすような「真実」は含まれていると思っています。
結局のところ、私は道元の「現成公案」という文献を一種の「方便」として利用して、読者の世界観や価値観を揺さぶりたかっただけです。
そもそも、人々が無意識に握りしめているものを手放す助けになるなら、私は「事実」はそれほど気にしなくてもいいと思っています。
大事なことは、読んだ人自身の心がいくらかでも「自由」になるかどうかです。
いずれせよ、本書は「正当的な解釈を述べた解説書」ではありません。
だから、これを読んで「勉強」する必要はありませんし、それはたぶん逆効果でしょう。
むしろ、読み終わったら、そこに書いてあったことはさっぱり忘れてしまっていいので、ただ目の前に広がっている「日々の生活=現成」を、深く生きていってほしいと思っています。
私はどの本でも言っていますが、別に私の言葉は憶えていなくていいのです。
ただ、「読むことによって動いた心」を、その人自身が表現することだけが大事なのです。
本書では、まず道元自身の探求の旅路を辿り、彼の問題意識の「原点」に触れていきます。
彼は、仏道について学んでいく中で、迷いや疑いに囚われて苦悩することになるのです。
そして、私は彼がそういった「苦悩」をどのように乗り越えていったかを描写することで、彼の思想的な「核」である「現成公案」についての読者の理解を深めるというプランを採用しました。
要は、「道元自身の問題意識」を補助線として活用することで、読者が「現成公案」を理解しやすくなるようにしようと思ったわけです。
また、途中では、「現成公案」に書かれていることを、「道元とは違う仕方」で表現した古今東西の哲人たちの思想や生き様も紹介しています。
そもそも、「現成公案」というのは「日常の中に現れている真理」という意味なのですが、これは非常に「当たり前」のものであるがゆえに、多くの人が「道元と同じ結論」に至っているのです。
そうして本書では、道元自身や古今東西の哲人たちの思想に触れながら、「人間精神の成熟」についての「一つの流れ」を提示しています。
よって、探求の過程で「道」に迷ってしまった人たちには、本書は「道標」として活用してもらえるのではないかと思います。
ただ、最終的なメッセージは、私が書いた他の本と同じです。
それはつまり、「あなたの『内なる光』を生きてほしい」ということです。
これについて、もう私の「病気」かもしれません。
本当に、私には他に「言いたいこと」がないのです。
ということで、今回も「読み終わったら、後ろは振り返らないで前へと進め」というメッセージと共に、本書を世に送り出します。
販売開始は2/10になる予定です。
いつもと同様、本書もペーパーバック版・kindle版の同時出版を予定していますので、興味のある人は、続報を今しばしお待ちください。
ではでは。

コメント