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【新作の進捗報告】古今東西の哲人たちとの「答え合わせ」|「賢さの形」はみんな似ている

現在執筆中の「現成公案・解説本」が第四章まで書けました。

今の時点で約五万文字です。

思い返してみると、だいたい「一日一万文字」くらいのペースでのんびり書いていますね。

自伝の時は、ラストの一日だけで一気に五万文字とか書いていたので、それと比べるとだいぶゆっくりです。

ただ、その分だけ濃度がかなり高くなっている気がします。

特に、第一章と第二章は、「多くの探求者が目を背けている事実」をばんばん指摘しているので、人によっては読んでいて辛くなるかもしれません。

そういう意味で、これは一種の「濃縮された劇薬」です。

安易な気持ちで手に取ると、「自分がやってきたことの虚しさ」を自覚して茫然自失するかもしれません。

ただ、本当に真剣に「道」を求めている人は、逆に「やっぱり自分は間違っていなかった」と納得できるのではないかと思います。

特に第二章では、多くの探求者が陥りがちなピット・フォール(落とし穴)について指摘しているので、そこを「自力」で越えた人々にとっては、一種の「答え合わせ」になるでしょう。

「やっぱりあそこに『罠』があったんだ!」とわかって、きっと膝を打つはずです。

それはそれとして、今さっき書き終えた第四章では、その「劇薬」としての「苦味」はいくぶん薄まっています。

この章では、古今東西の哲人たちの思想や生き様を紹介し、道元が「現成公案」の中で書いた「自己をわするる」という境地について「パラフレーズ(言い換え)」することを試みました。

具体的には、ニーチェの説いた「精神の三段の変化」、夏目漱石の「則天去私」、野口晴哉の「天心」、そして合氣道における「不動心」について紹介し、これらが道元の書いた「自己をわするる」という境地と、実は「同じ性質」のものであると主張したわけです。

この章は、たぶん読者にとっても一番心躍るような、読んでいてワクワクする章になったのではないかと感じています。

多くの学者が、それぞれの宗派や学派の「相違点」に着目する中で、私はあえて「同質性」にフォーカスしました。

まあ、もともと私は学者ではなく「一般人」なので、「正統的な解釈」というものは知りません。

私はただ、自分自身が探求の果てに到達した境地が、道元たち古今東西の哲人たちによっても、既に語られていたことを、後になってから発見して驚いただけです。

そういう意味で、これは私自身にとっての「探求の答え合わせ」だったのです。

そもそも、私は別に、誰かの真似をしていたわけではありませんでした、

それは道元たちだってそうでしょう。

誰もが、ただ「自分の道」を徹底的に突き詰めただけです。

しかし、それにもかかわらず、「最終的に到達した場所から見えた景色」は、なぜかみんな似通っていたのです。

昔、「愚かさの種類には限りがないが、賢さの形はみんな似ている」という言葉を聞いたことがあります。

実際、そういうものなのだと思います。

徹底的に「道」を突き詰めていくと、なぜか「言っていることの本質」が似てくるのです。

もちろん、表現する仕方には、それぞれの哲人の「個人性」が反映されます。

だから、「表面」だけを見ると全然違って見えるのですが、その奥に在る「本質」はみんな同じです。

それはきっと、この世に遍満している「法則」が、もともと「一つ」だからでしょう。

それゆえ、その「法則」に突き当たるまで掘り進んだ人は、みんな「同じようなこと」を語るようになってしまうのです。


ともあれ、執筆は順調に進行しています。

この分なら、あと一週間くらいで刊行できるかもしれません(保証はできませんが)。

ということで、ぼちぼちと執筆していますので、興味のある方は販売開始を楽しみにお待ちください。

それでは。

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