2月22日に初めての開催となる瞑想会まで、ちょうど一ヶ月となりました。
今のところ、参加申し込みが一件来ており、残り四席の参加枠が残っています。
当日は、呼吸法や整体の感覚技法などもおこなって身体を開き、その感覚と遊びながら瞑想に入っていけるようにリードする予定です。
瞑想の経験がなくても問題ありませんし、むしろ余計な先入観がないほうが、かえって純粋に瞑想を楽しめるかもしれません。
初心者にも一からやり方をレクチャーしますので、もし「参加してみたい」と思われる方は、ぜひ気軽に参加の申し込みをしてみてください。
しかし、私としては「最初の半年くらいはずっと参加者ゼロで、会場まで行って一人で瞑想をして帰るだけ」という状態になると思っていました。
それが、初回から既に申し込みが一件来ているので、幸先の良さに驚いています。
このブログにしたって、「最初の半年くらいは誰も訪れる人がいなくて、自分一人で書き続けることになるだろう」と覚悟していました。
しかし、開設から一ヶ月半ほど経った今の時点で、毎日20~30人ほどの読者が訪れる場所になっています。
まさかこんなに順調に行くと思っていなかったので、これは嬉しい誤算です。
ただ、私としては、たとえ人数が何人であっても、やることは変わりません。
一人一人と向き合って、「自分の心の声」を表現していく。
それが私のやり方です。
もちろん、人の数が増えていけば、一人ずつに丁寧に対応するのは難しくなるかもしれません。
そうなったら、将来的にはあえて規模を縮小するかもしれませんが、できることなら、人と人とのつながりを大事にしつつ、活動を広げていきたいです。
いつも書いていることですが、今の日本は、人々が「身体性」を失っている時代の中にあります。
人々は「生きている実感」を見失い、業績や年収、SNSのフォロワー数などのような「目に見える数字」を追いかけ続けており、「目標の数字を実現する達成感」にしか興味を持っていません。
しかし、「生きている実感」は私たちの命そのものに属しており、命には「数字」がわからないのです。
「数字」を達成して喜ぶのは、あくまでも私たちの頭(自我)であって、私たちの心と身体は、「数字を達成する」という結果より、「現に生きている」というプロセスのほうに意味を見出すものです。
でも、「結果こそが全てなのだ」と人は言います。
「結果が出せなければ、その過程において何をしたとしても意味はないのだ」と知識人や言論人は言うのです。
しかし、「生きていることの最終的な結果」は「死」だけです。
たとえ何を達成しようとも、「最期の瞬間」にはそれらを全て手離さなければなりません。
そういう意味では、私たちが普段「結果」だと思っているものも、人生全体から見れば、まだ「プロセス」の一部なのです。
「自分の人生はここで終わりだ」と思って絶望しても、案外まだ先まで道は続いているものです。
そして、そのような絶望の経験さえもが、当人にとって「生きられたプロセス」となった時、その人は前を向いて「次の一歩」を踏み出せるのです。
しかし、そんな風に「生きている」というプロセスそのものに深く根付くためには、「身体性」が必要不可欠です。
感じること無しには、私たちは「深く生きる」ということができません。
頭は水平方向に動き続け、「より大きな数字」にしか興味を持たないからです。
だから、「高さ」や「深さ」といった垂直方向に動くためには、「身体の感覚」に根付いている必要があります。
「生の高み」に触れ、「生きることの深み」を理解するためには、「身体性」がどうしても必要になるのです。
だからこそ、「感じること」が大事です。
かのブルース・リーも言っています。
「考えるな、感じろ!(Don’t think, feel!)」
本当に、これに尽きるのです。
ということで、「身体を開き、感覚と遊ぶ瞑想会」を来月から主催いたします。
興味のある方は、ぜひ下記案内ページで詳細をご覧いただき、参加をご検討ください。
それではー。

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