「痛みが出る部位」は、実は一番頑張っている|「犯人探し」をやめて「本当の原因」を探す道

これは、武道とか武術を稽古している人にとっては「あるある」なのですが、このブログの読者層にはあまりそういう人はいなさそうなので、念のため共有しておこうと思います。

それは、「身体の中で痛みが出る場所」というのは、実のところ「悪い場所」ではなくて、「他の場所の問題を肩代わりしている部位」であるということです。

たとえば、私は昔、合氣道を稽古していたのですが、稽古量が増えると決まって右膝が痛くなりました。

普通に考えれば、「この膝はなんてダメな奴だ!もっと頑張れ!」と言いたくなるところですが、実は話は逆であって、私の右膝はあまりにも優秀なので痛みが出てしまっていたのです。

実際、私の右膝は左膝よりも可動域が広くて柔軟に動くことができます。

そして、だからこそ、他の「動きが悪い部分」の肩代わりをして働き過ぎてしまうのです。

結果、「動きの悪い部分」はそのままの状態を維持し、「動きの良い右膝」が孤軍奮闘して潰れるわけです。

こういったことは、私たちの身体ではよく起こることです。

何か「問題」があった時、私たちの心身は往々にしてそれを先送りして他所よそにパスします。

そして、「これ以上もうパスする先がない」という末端の部位に負担が集中して爆発するのです。

ですから、当人の中で「痛み」として自覚症状が出ている部位というのは、実は「一番頑張っている部分」なのです。

それにもかかわらず、多くの人は、「こいつはとんだ出来損ないだ!すぐに痛みを訴えてきたりして!」と言ってその部位を責めます。

でも、それはあんまりではないでしょうか?

だって、その部位は他の部位が働かない分を受け持って、必死に働いてきたのですから。

このような理解を持てるようになると、自分の身体と敵対しなくて済むようになっていきます。

もしも「痛み」が生じたとするなら、それはどこかで「問題の先送り」が生じたということです。

そして、「その問題をこれ以上先送りにできなくなってしまった部位」が、「痛み」というサインを出して、「今、身体のどこかで問題が起こってます!」と教えてくれているわけです。

なので、「痛みのある場所」だけを何とかしても、「本当の問題」は解決しません。

整形外科に行って痛み止めをもらったり、「痛みのある部位」だけに施術をして調整したりしても、それはあくまで「対症療法」であって、「本当の原因」はわからないままなのです。

そして、「必死に頑張ってきた部位」は痛み止めを打たれてさらに酷使されることになっていきます。

うーん、なんだか、現場の声を聞かないで無理ばかり押し付ける「無能な会社経営者」みたいな話ですね。

ともかく、「痛みを訴えている部位」というのは、「問題のある部位」ではなくて、むしろ「必死に問題を何とかして受け止めようとしてきた部位」です。

だから、責めるのではなく、労わってあげてほしいと思います。

そして、その部位の苦労に報いるためにも、「本当の原因」をこそ究明するのです。

呼吸を身体に通す時、どこに「詰まり」や「強張り」があるのか?
それらはどんなふうにつながり合っていて、どこで「問題の先送り」が起こっているのか?

呼吸法の実践を通じて、それを理解するのです。

そうして、「本当の原因」がわかったら、それを取り除いていきます。

たとえば、ある人の右の腰が痛いのは、実は左の腰がちゃんと上半身の重さを受け止めていないからかもしれません。

左の腰がサボっている分、右の腰が頑張って一人で上半身全部の重さを受け止めてしまって「痛み」を訴えているのです。

また、左の腰がそんな風にサボっているのは、実は、左の肩が吊り上がっているからかもしれません。

左の肩に力が入って強張っているので、その重さが真下にある左の腰に流れて行かず、回り回って右の腰に行ってしまっているわけです。

そして、左の肩がそうして強張ってしまっているのは、当人が無意識に怒りを抑圧しているからかもしれません。

怒りに駆られて他人を殴ったりしないように、その人は肩を固めて耐えているわけです。

それによって当人は息が浅くなり十分に生きていけなくなりますが、それでも「怒りを爆発させて社会から排除されるよりはましだ」と考えて、その人は必死で怒りを抑え込んでいるのです。

となると、いったい誰が加害者で誰が被害者なのでしょうか?

そうです、ある意味では誰もが被害者なんです。

みんなで「苦しみ」を受け止めながら、それでもなんとか「生きていこう」として、こういった「痛みの構造」が作り出されてくるわけです。

なので、身体の中に「痛み」がある時には、「犯人探し」はやめたほうがいいです。

なぜなら、どこかに単一の「悪いヤツ」がいるわけではないからです。

誰もが必死に「自分の持ち場」で「自分のやるべきこと」をやっています。

でも、ちょっとした行き違いから、「全体」がうまくいかなくなることがあります。

そして「全体」がうまくいかなくなった時、真っ先に悲鳴を上げるのは、実は「一番感受性の鋭いヤツ」だったりします。

社会全体でも話は同じです。

社会全体がうまくいかなくなった時、「感受性の鋭い人」が真っ先のその「気配」を感じ取って声を上げ始めます。

そうして精神的に失調して、鬱病になったり引きこもりになったりするわけです。

「社会的なシステム」はそういう人たちのことを「悪い奴らだ」と見なして圧殺しようとしますが、そうして彼らの声を握りつぶすことで、社会は自浄作用が働かなくなり、もっと問題の根が深くなってしまい、ますます「本当の原因」が見えなくなってしまうのです。

ということで、自分の身体をあまりいじめないであげてください。

身体は既に十分頑張っています。

だから、どうか責めるのではなく、その声を聞いてあげてほしいと思います。

それが、身体という一つの社会(コミュニティ)全体を救うことに繋がると、私は思っています。

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