執筆中のKindle本の全体像のご紹介

Kindle本の全体的な構想が決まりました。

何を書いたらいいかは分かったので、あとは地道に書いていくだけです。

今回は、予告編としてその全体像をお示ししたいと思います。

今のところ、考えている流れは以下です。

  1. 「悟り」という概念を捨てて、「深く息をする自由」を選ぶ(ブログ記事に加筆修正)
  2. 「自由とは何か」を筆者自身の即興舞踊の経験から語る(ブログ記事に加筆修正)
  3. 深い呼吸を実現する際の「二つの試練」(書き下ろし)
  4. 呼吸を妨げる「ブロック」と抑圧された感情の関係性(ブログ記事を加筆修正)
  5. 呼吸法の具体的な実践方法(書き下ろし)
  6. 「ブロック」が破壊された時に生じる感情との向き合い方(書き下ろし)
  7. 「呼吸を深めること」と「瞑想的であること」の関連性(ブログ記事を加筆修正)
  8. 深い呼吸と共に、瞑想的に生きるということ(書き下ろし)
  9. 個人が幸福に生きることに反対する社会の中で、あえて幸福を選ぶ意味(ブログ記事を加筆修正)
  10. あなたの「内なる光」を生きてほしい(ブログ記事を加筆修正)

以上のような流れになっています。

少し長くなりますが、ここから各章の中身を簡単に紹介していきます。

◎第一章

まず私自身が真理の探求を追えて、「悟り」を理解した話から始めています。

ですが、結局、「悟り」というのは「ゴール」ではなくて、「新たな始まり」だったのだと、私は気づいたのです。

そして、「日々新たに悟り直す」という生き方は、「自由を生きる」ということだと思いました。

それが、最初の章になっています。

なお、元記事はこちら。

「自由」とは、「深く息ができる」ということ|プロフィールページ刷新のお知らせ

◎第二章

そこから、「では自由って何だろう?」ということを、私自身の即興舞踊の経験から語っていきます。

ちなみにこちらの章の元記事はこちら。

「自由に踊る」ってなんだ?「しなやかでたくましい無垢」へと至るための探求

「自由」というのは決して牧歌的なものではなくて、個人の選択と責任を問う「重さ」も持っています。

それを主体的に引き受けた時、「自由」は内側から花開いていきます。

しかし、そのような「自由」にはパラドクスがあります。

それは、「何をしてもいいはずなのに、そこには『こうとしか在れない』という必然性がある」ということです。

心と身体の声に耳を澄まし、「今の自分が本当に欲していることは何か?」と問い続ける時、人は「自分だけの道」を歩み始めます。

それは、その人だけの「オリジナルな歩み」です。

しかし、その時に当人は「自分はどうしても、こうとしか在れない」とも感じているものです。

つまり、人が本当に「自由」になった時、その人は「自分に課された必然」を知ることになるのです。

◎第三章

そこからしばらくは、呼吸法の話になります。

というのも、この本の最初で「自由とは深く息ができることである」と定義しているからです。

しかし、もしも呼吸を深めようとすると、当人は避けがたく「二つの試練」に遭遇します。

それは、「身体的な試練」と「精神的な試練」の二つです。

まず身体的には体内の酸素量が増えることで過呼吸を起こすということです。

それまで息を浅くして「低酸素状態」で生きていたところから、呼吸を深めることで酸素が身体の組織にたくさん入ってきます。

これに身体がビックリして過呼吸の発作を起こしてしまうわけです。

また、精神的な面では、抑圧していた感情が噴き出してきます。

そもそもなぜ呼吸が浅くなっていたかと言うと、息を押し殺すことで感情を抑制していたからです。

当人が「こんな感情があってはいけない」と思って無意識に抑圧した感情は、身体の中に溜め込まれています。

そのため、もし呼吸を深めて身体を解放していくと、この抑圧されていた感情が、抑えを失って飛び出してくるのです。

これら、「二つの試練」について書いているのが、このセクションです。

◎第四章

次は、身体の各部に存在する「ブロック」と、抑圧されている感情との関連性を書いています。

先ほども書きましたように、私たちは「悪い感情」を抑圧するために、無意識に身体を固めて息を止めます。

そして、このプロセスが繰り返されると、何度も固められた身体の部位は、緩むことができなくなってしまいます。

そのため、「呼吸が浅い」ということは、「身体の中に固定化した塊がある」ということと同じなのです。

この「固定化した塊」のことを、私は「ブロック」と呼んでいます。

そして、この「ブロック」が身体のどこにできるかということと、当人がどんな感情を抑圧しているかということとの間には関連性があります。

たとえば、怒りを抑圧している人は肩に「ブロック」ができやすいです。

これは、怒りに任せて相手を殴ったりしないように、いわば肩を硬直させることで自分自身を縛っているわけです。

もし呼吸法をおこなっていく場合、それぞれの実践者は「自分自身の中にあるブロック」と向き合うことになります。

なので、呼吸法の具体的な実践方法の説明に入る前に、「どこのブロックを解除したらどんな感情が噴き出すか」という地図を与えようと思ったのです。

これが、このセクションの目的となります。

なお、元記事はこちらです。

「身体のブロック」と「抑圧される感情」との関係|私たちが「生きる力」を失う理由

◎第五章

次は呼吸法の具体的な実践方法ですが、それは今のところは内緒です。

詳しくは完成した本をお手に取って確認してください。

ただ、この章の内容も、そのうちブログで公開しようと思っています。

それによって、誰かの役に立つかもしれないですから。

ただ、今から「タネ」を全部明かしてしまうと、本を買う人の楽しみが減ってしまうと思いますので、今のところは秘密にしておこうと思います。

◎第六章

次は、呼吸法の実践によって噴き出してきた感情と向き合う仕方です。

おそらくこの段階ではまだそこまで深い呼吸ができていないはずです。

そのため、「瞑想によって感情を浄化する」という手が使えません。

世の中の多くの人は知りませんが、本当に瞑想ができる人はみんな呼吸が深いのです。

呼吸が深いからこそ、思考や感情に巻き込まれることなく、それらを冷静に観察できるわけです。

逆に、呼吸が浅いと簡単に思考や感情に取り込まれて我を失ってしまいます。

これでは、落ち着いて観察することなどできません。

なので、まだ呼吸が浅いであろうこの段階では、「観察する」のではなくて「表現する」という方向で、感情を成仏させていきます。

つまり、噴き出してきた感情について、「内側で観察して消滅させる」のではなく、「外側に表現することで成仏させる」わけです。

これも詳しい方法は本をお手に取って確かめてください。

◎第七章

その次は、「呼吸法の実践」から「瞑想の実践」へと移行していきます。

呼吸法はあくまで呼吸を深めるための方便として、家などで一人でおこなうものであり、日常生活の中でずっと実践することができません。

なので、ほっておくと当人はまた感情を抑圧して新たに「ブロック」を作り出してしまいかねないのです。

そこで、生活の中で瞑想的であることによって、「ブロック」の再生を防ぐ方法を取ります。

そもそも、呼吸法に頼っている限り、感情は表現するか抑圧するかしかありません。

それゆえ、社会生活の便宜上、なかなか感情を全部表現するわけにもいかない現代人は、どうしても感情を抑圧することになってしまいがちなのです。

しかし、もしもここに瞑想を持ち込むと、第三の選択肢が取れます。

それが、「観照することで感情を内的に溶かす」という方法です。

呼吸法だけだと、「内向きに抑圧する」か「外向きに表現する」かの二方向だけだったのですが、瞑想によって、その中間に立つことができるようになります。

つまり、内に向かって押し込めもせず、外に向かって放り投げもせず、ただそのまま見つめることによって、自分の感情を溶かすのです。

これなら、社会生活を送りながらでも、感情を内に溜め込まずに生きていけます。

そのためにも、この「呼吸法から瞑想に移行する必然性」について、まずは書く必要があります。

その方向性を示すのがこのセクションの目的です。

ちなみにこのセクションの元記事はこちら。

「生命の秘密」へ続くマスターキー|「快の感覚」に導かれ達成される「調心・調息・調身」

◎第八章

次は、瞑想を日常生活の中でいかに実践するかについての章です。

これについてはまだそこまでイメージがしっかり固まりきっていないので、今の時点での明言は避けようと思います。

また完成版を読んで確認してください。

◎第九章

ここまで、「自由とは深い息と共に生きることである」と定義し、呼吸法によって呼吸を深め、瞑想によってその「自由」を日常へと根付かせてきました。

しかし、ここでその人に「最後の試練」が訪れます。

それは、「社会からの敵意」です。

もしも息が深まると、当人は自分の中を一本の「息の軸」が通るかのような「快い感覚」と共に生きて行けるようになります。

そこには穏やかさと明晰さがあり、当人は「内なる幸福」が花開くのを感じるはずです。

しかし、私たちの社会は基本的に「幸福な人間」に反対します。

理由は二つあります。

一つは、「幸福に生きている人」を見ていると自分を惨めに感じる人がいることです。

現に自己嫌悪や罪悪感で苦しんでいる人は、自分のことを罪悪視せず、あるがままに生きている「幸福な人」のことが許容できません。

そのため、無意識に敵意を持って、「幸福な人」を攻撃しようとするのです。

また、社会システム自体も、「幸福な人」を許容しません。

なぜなら、「幸福な人」のことは外側から操作することができないからです。

これが、社会が「幸福な人」に反対する二つ目の理由です。

そもそも、「幸福な人」はあくまでも「自分の幸福」を優先します。

それゆえ、言うべきことはきちんと言いますし、理屈の通っていない話にも乗ったりしません。

また、「幸福な人」は内側に劣等感や罪悪感を抱えていないため、そういった感情を刺激して右往左往させるという手が使えません。

「幸福な人」は「自分の軸」を持ちながらどっしり構えており、簡単には動じることがないのです。

しかし、そのような人間が社会に存在することは、「他人を思い通りに操作したい」と考えている社会の上位者層にとって都合が悪いです。

そのため、「幸福な人」はここで、「自分の幸福」を守るために、「社会からの敵意」と向かい合わなければなりません。

しかし、もしも「幸福な人」が相手に屈することなく、また過剰に反応して対立することもなく、あくまで「自分自身」に留まったなら、その時その人は、本当の意味で確立した「自由」を体現するようになります。

そして、そんな「自由の香り」に誘われて、遅かれ早かれ、その人のことを理解してくれる「仲間」が集まり始めます。

「幸福な人」は、「自分の内側にある幸福」を振りまきながら、この暗闇のような社会で輝く「灯火」のような存在になっていくのです。

なお、元記事はこちらです。

「個人の幸福」に敵対する社会|「幸福」を選び取る勇気と、やがて巡り合う仲間たち

◎第十章

次が最終章ですが、これはあとがきのようなものです。

ここまで「自由とは何か?」「幸福に生きるとはどういうことか?」ということを述べてきて、最後に私から言いたいことは一つです。

それは、「あなたの『内なる光』を生きてほしい」ということです。

私たちは誰もが「オリジナル」で「ユニーク」です。

たとえ「世界的なスター」であろうと「市井の一般人」であろうと、その内側にある「輝き」は同じなのです。

だから、「それをただ生きてほしい」と私は心から思っています。

その私からのメッセージを送ることで、この本は終わりを迎えます。

なお、最終章の元記事はこちらです。

「心」を動かす人

◎現在、鋭意執筆中

ということで、ブログの記事も加筆修正して取り込みつつ、全体として一つの流れになるように構成しています。

今後の執筆過程で、章がいくつか前後する可能性はありますが、全体の構成はこのままいくつもりです。

最初から最後まで通して読むと、ブログで単発記事を個別に読むのとはまた違った読書体験ができるのではないかと思います。

なお、ボリュームとしては、おそらく全体で5万~6万字ほどになるものと思われます。

ペーパーバックにする場合、6万字だとちょっと分厚くて重たい感じになってしまうようなのですが、これ以上削れるものがないので、仮に6万字になったとしてもそれは仕方がありません。

言い換えれば、それだけ「純度の高いエッセンス」をこれでもかと詰め込んでいるのだとも言えます。

ちなみに、今は第五章にあたる「呼吸法の具体的な実践方法」を書いている途中です。

まだ全体の半分くらいですね。

でも、昨日の朝から書き始めてもうこれだけ進んでいますから、思っていたより早く完成するかもしれません。

まあ、私は「書きたい時」以外は無理して書いたりしないので、保証はできないですけれどね。

ということで、今回はKindle本の全体像のお知らせでした。

興味のある人は、完成の報告を今しばしお待ちいただけると幸いです。

ではでは。

コメント