読者にとっての「帰ってくる場所」を創るため|池田晶子さんが著した「現代の古典」を目指して

今回は、解説や論考といったわけではなく、「このブログが目指したいと思っている方向性」について書きたいと思います。

◎集まってくれた100人以上の読者たち

このブログが開設してから、約1か月が経ちました。

ただ最初の半月は、私の個人的な友人たった一人を除いて、訪れる人は全くありませんでした。

アクセス解析を見る限り、サイトの情報を確認しに巡回してきたボットは数件存在していましたが、生身の人間は、ほぼ私の個人的な友人一人だけという状態だったのです。

まあ、無名の一般人が勝手に始めた個人ブログですから、それも当然です。

しかし、2025年12月15日に、私の師である山家直生なおさんが自身のブログで私の活動を宣伝してくださいました。

それを機に、毎日10人~20人くらいの生身の読者が継続して訪れるようになっています。

山家さんが宣伝してくださらなかったら、このような状態になるまでにどれくらいかかったか、全く想像できません。

本当に感謝しています。

それで、山家さん経由で人が来るようになってからのデータによると、この半月で私のブログに出入りしたユーザーの数はだいたい200人くらいのようです。

ただ、同じユーザーの二重カウントや、ボットの巡回も含まれているでしょうから、実質的には150人くらいではないかと思っています。

いずれにせよ、名も知らぬ一個人のブログに興味を持ってくれた人がこれだけいたことに対し、私としてはとても驚いています。

そして、その推定150人の訪問者のうち70%近い人が、サイトにアクセスした後に直帰せず、何かしらリンクをクリックしたりページを開いたりしているようです。

つまり、最初の画面を開いた後に、かなりの割合の人が「何かしらのアクション」を起こしているわけです。

アクセス解析について知らない人は「そんなことまでわかるの!?」と驚くかもしれないですが、そうなんです。

私も今のブログを始めてから知ったのですが、意外と細かいことまでわかるんです。

さらに、各ユーザーがブログに留まった累積時間の平均は、約40分というデータが出ています。

平均で40分なので、中には10~15分くらいの人もいれば、1時間とか2時間かけて読み込んでいる人もいるはずです。

いずれにせよ、100人以上の人たちが、既に私のブログを読むためにかなりの時間を使ってくれていることになります。

そう考えると、これはなかなかすごいことかもしれません。

また、一度の訪問で40分も読み込む人ばかりではないはずです。

おそらく、ほとんどの人は何度も繰り返しブログを訪問し、滞在時間を少しずつ積み重ねているはずです。

たとえば、一度の訪問で10分読むのだとしても、平均値である40分に到達するには、この半月で4回以上訪問する必要があったはずです。

ここまでくると、私のブログに来ることが習慣化しつつあると言えるかもしれません。

私としても、「一度読まれるだけで終わり」ということになるよりも、「繰り返し戻ってくる場所」として、このブログには機能してほしいと思っています。

実際、私は「一過性のブーム」や「バズり」のようなものは求めていません。

それよりも、このブログを「人々が定期的に参照する知のアーカイブ」のようなものに育てていきたいと考えています。

「娯楽として消費されること」は望んでおらず、あくまでも「探求の変わらぬ伴走者でありたい」と思っているのです。

◎池田晶子さんが体現した「現代の古典」という在り方

まあ、まだ始まってたったの一ヶ月なのですが、いちおう「目指したい方向性」はそのような感じです。

そう言えば、私の敬愛する哲学者である池田晶子さんは、自身の著作の売れ方について、編集者から「古典のようだ」と言われたことがあったそうです。

「古典」というのは、「出版したら一気に売れる」というものではなく、長い期間を通じて一定のペースで売れ続けます。

「世間の流行」に左右されることなく、一定期間毎に必ず誰かが買っていくわけです。

それはたぶん、「古典」というものが、人間の抱える「普遍的な問題」を扱っているからではないかと思います。

複雑な現代社会においては、とにかく目の前の問題をすぐに解決するための「具体的なハウツー」を人は求めるものですが、それだけでは満たせない欲求というものがあるはずです。

「古典」というのは、そのような「人間の普遍的で潜在的な欲求」に応えるものなのだろうと思います。

「目の前の問題」を解決しても満たされない心。
「欲しかったもの」を手に入れても埋まらない空虚感。

そういった根源的な「渇き」に対して、「古典」は真正面から向かい合います。

実際、「ハウツー」によって表面的な部分を取り繕っても、納得できない人というのは、どうしたって納得できないものなのです。

そして、「そういう人たち」がいつの時代のどの場所においても「一定数」いたからこそ、「古典」というのは失われることなく残り続けてきたのではないかと思います。

これから、私のブログが池田さんの著作と同じような「現代の古典」となるかどうかはわかりません。

でも、そういう方向性も、私には合っているように思っています。

そもそも、「ハウツー本」は一度読んだら終わりですが、「古典」というのは、人が生きていく過程で何度も立ち返っていく場所となります。

壁にぶつかる度に読み直し、そこで「新たな発見」をし、「次の一歩」を踏み出していく。

そのような自己変革のプロセスを、当人のすぐそばで伴走をするのが「古典」なのではないかと思います。

私のブログもまた、そのようなものとなれれば本望です。

◎終わりに

これから先、私のブログの読者がもっと増えていくかどうかは、私にもなんとも言えません。

ですが、既に100人以上の人たちが、平均で40分もの時間を私のために預けてくれました。

もちろん、私の言葉に寄りかかって欲しくはないのですが、きっと熱心な読者の方は、私のそういう意図をちゃんと汲んで読んでくれていると思います。

そんな読者の人たちにとって、このブログが「折に触れて帰ってくる場所」として機能してくれたら、私としてはとても嬉しいです。

私の書いた文章を読み、そこから何かを受け取ってくれた人たちには、感謝しています。

あなたが受け取ってくれたものが、あなた自身の苦しみを終わらせ、あなたを自由へと導いてくれることを、私は切に願っています。

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