あなたは、何か精神的なトラブルを抱えていますか?
私自身は、過去に数々の精神的なトラブルを抱えて苦しんでいたことがあります。
たとえば、自殺未遂をして精神科に強制入院することになった経験が二度ありますし、街中でひどいパニックの発作を起こし、通行人に救急車を呼ばれて近くの精神病院に搬送されたこともあります。
それゆえ、「もっと強い心を手に入れたい」と思って、必死で瞑想法を実践していた時期もかつてはありました。
当時の私には生きていることがあまりにも辛すぎたため、藁にもすがるような想いで瞑想法を実践していたのです。
おそらく、私のようにメンタルの問題を抱えて瞑想法を実践している人は、少なくないと思います。
ひょっとすると、探求者の中にも「この弱い心をどうにかしたい」と切実に思っている人がいるかもしれません。
ということで、今回は「メンタルの問題を抱えながら探求はできるのか?」ということについて書いてみたいと思います。
私自身の結論としては、「それは十分可能である」と考えています。
以下、どうしてそのように思うかを書いていこうと思います。
「メンタルの問題を抱えながら探求に踏み出そうか迷っている人」は、ぜひ最後まで読んでみてください。
◎「精神疾患」は気合では治せない
まず、「メンタルの不調」についてなのですが、多少の上がり下がりくらいは誰にでもあるので、気にする必要はないと思います。
誰しも気分の良い日もあれば、気分が下がり気味の日だってあるものです。
問題は、気分が長期的にずっと下がっている場合です。
たとえば、数週間から数か月にわたって、継続的に気分が下がっているようであれば、「メンタル疾患」になっていないかどうかを確認してみたほうがよいです。
私は、個人的に「メンタル疾患」というものの存在については肯定的です。
「そんなものはただの気の持ちように過ぎない」とは私は思いません。
おそらく、人が深刻なメンタルの問題を抱え込む時というのは、物理化学的に脳に変化が起こっているはずです。
実際、メンタル疾患は「脳の病気」とも言われます。
脳の組成そのものが物理的に変性してしまうことによって、思考や感情が偏ったり、認知が歪んだりするわけです。
なので、「気の持ちよう」でメンタル疾患を何とかするのは無理だと思っています。
それは、「腕の骨が折れた時に気の持ちようで骨折を治す」ということが無理なのと同じ理屈です。
「物理化学的な脳の変性」は、気合では治せません。
なので、骨折をした人が整形外科に行くのと同じように、脳が変性してしまっている人は精神科に行くほうが良いと思っています。
実際、精神科では「薬物療法」というものがおこなわれます。
そのため、精神科に通院することで、「これを投与すれば、脳へ物理化学的に影響を与えられる」ということが動物実験や治験によって立証済みの薬物を、受け取ることが可能になります。
脳の組成が変性してしまっている場合には、こういったアプローチもいくらかは有効だろうと個人的には思っています。
◎「死にたい」という思考は「バグった脳」が吐くエラー
もしも長期間にわたってメンタルが著しく損なわれている場合には、精神科に通うことを検討してもいいでしょう。
逆に、無理して「気合」で治そうとすると、余計に悪化することになりかねません。
まあ、そんなことは私が言うまでもなく、多くの人が既に言っていることでもあります。
なので、ここから「探求との兼ね合い」について話をしましょう。
人によっては「探求をすると決めた以上、絶対に精神科にかかったりするわけにはいかない!」と思うかもしれませんが、もしもメンタルの不調が激しい場合には、別に精神科に通っても構わないと私は思っています。
なぜなら、「精神科に通院すること」と「探求をおこなうこと」とは、問題なく両立できると私自身は思っているからです。
たとえば、もしも毎日死ぬことばかり考えて苦しくなってしまっているのであれば、それは「考え方の問題」というよりも、「脳のバグ」の可能性が高いです。
そもそも、生物というのは基本的に生きようとする本能を持っています。
それにもかかわらず、「死にたい」という思考が毎日去来するのであれば、それは脳が「機能不全」を起こしているのです。
私自身も、過去に毎日「死にたい」と思っていた経験があるのでわかるのですが、苦しみを抜け出した後になって振り返ると、なんであんなに死にたかったのかが、自分でもよくわからなくなったりするものです。
苦しかった当時は「死ぬこと」以外に考えられなかったのに、そのように思い詰めるに至った理由というものが、状態が持ち直した後になってみると、自分にさえわからないわけです。
となると、これは「脳が一時的にバグっている」と捉えたほうがいいと思います。
実際、私たちの脳というのは、過度のストレスがかかると「機能不全」を起こします。
そして、「死にたい」という生物であれば本来抱くはずのない思考を量産するようになるのです。
それは「バグった脳」が繰り返し吐き出すエラーです。
だからこそ、「バグった脳」が正常に戻れば、「死にたい」という思考は勝手に消えていくのです。
そして、精神科に通って薬物療法を受けることは、「脳のバグ取り」をすることのようなものだと私は思っています。
それによって、徐々に脳は「正常な状態」に戻っていきます。
そうしたら、「死にたい」という思考に苛まれることもなくなりますし、やがては「なんであんなに死にたかったのだろう?」と疑問に思うようになるでしょう。
それが、精神科に通うことのメリットです。
◎「症状」を治す西洋医学と「原因」まで捉える東洋医学
ただ、もし仮に薬物療法で症状が落ち着いたとしても、「そもそもなんで自分の脳はバグったのか?」という問いは、そのまま残り続けています。
実際、全ての人の脳がバグるわけではありません。
「死にたい」という想いを抱えることなく生きていける人もいるわけです。
なので、「死にたい」というエラーを吐き出すまでに脳がバグってしまった原因が、その人の中には何か存在するはずなのです。
そして、その原因を取り除かない限り、当人はいずれ同じように脳をバグらせてしまう可能性が高いでしょう。
そうなると、いつまで経っても精神科に通って薬を飲み続けなければなりませんし、再発を恐れてビクビクしながら生きていかなければならなくなります。
一般的な精神科医療の限界はここにあります。
そもそも、精神科の治療というのは、基本的に「病の原因を取り除くこと」を目指していません。
世の中のほとんどの精神科医は「症状がある程度治まったらそれでよい」と考えています。
たとえば、精神科の治療においては、「寛解」という言葉がしばしば使われます。
「寛解」というのは、「完治には至っていないけれど、とりあえず生活に問題ない範囲までは症状が治まっていること」を指します。
そして、精神科治療における「ゴール」には、基本的にこの「寛解」が設定されています。
つまり、「原因はよくわからないけど、とりあえず症状は小さくなったし、これでよしとしましょう」というのが、多くの精神科医の間で共有されている治療観なわけです。
もちろん、例外的な精神科医もいます。
たとえば、私が敬愛する泉谷閑示さんという精神科医は、薬物療法を一切おこなわず、対話だけでクライアントを治療するセッションをおこなっています。
泉谷さんは著書の中で「自立すること」や「自分を愛すること」の重要性を説き、「病というのは、その人が自分について知るために贈られてきたメッセージなのだ」と語っているような人物です。
なので、私は泉谷さんのセッションを受けたことはありませんけれど、おそらく彼は「本当の原因」を取り除くことで、「完治」を目指している治療家であると私は思っています。
このように、「寛解」ではなく「完治」を目指している精神科医もいるにはいます。
ですが、その数はかなり少ないと思っておいたほうがいいです。
ほとんどの精神科医は「本当の原因」を探ることに、そもそも興味を持っていないでしょう。
多くの精神科医は「原因」ではなく「症状」をどうにかすることを優先しており、「症状」さえ治まったらそれで「よし」とします。
でも、西洋医学の医師というのは、そもそもそういうものかもしれません。
東洋医学においては、人間をホリスティック(全体的)に診ますから、「なぜこの人にこのような病が生じたのか?」というところまで掘り下げて観察しますけれど、西洋医学はどちらかというと人間の生命を機械論的に考えています。
たとえば、「壊れた臓器」を移植によって取り換えるように、人体がどこか「壊れた」時には、パーツを組み替えてそれを治そうとするのです。
また、身体だけでなく、心にアプローチする時も、西洋医学はあくまで物理化学的な観点から脳というパーツを操作しようとします。
ですが、心と身体はつながっており、脳だけを見ていても、何がどこで関連し合っているのかは、なかなか理解できないものです。
もちろん、人体を一個の機械として見る西洋医学の「生命観」によって、医学は飛躍的に進歩しました。
実際、「苦しい症状」から解放された人々も世界中にたくさんいるでしょう。
それは確実に「西洋医学の功績」です。
ですが、「病それ自体を生み出す原因」にアプローチしようとする視点が、しばしば西洋医学には欠けています。
それゆえ、自分自身の中に埋め込まれた「病の原因」を究明するためには、多くの場合、患者自身が自分の内側を探求していくしか道がありません。
つまり、「本当の原因」を知るためには、「自分の脳はなぜ『死にたい』などというエラーを生み出すようになってしまったのか?」と当事者自身が問い、自分の足で進んでいく必要があるのです。
◎メンタルの問題を終わらせるための「二段構え」の戦略について
しかし、そのような「自己探求」のプロセスは、精神科医に手伝ってもらうことができません。
もちろん、泉谷さんのような精神科医と巡り合えれば、「本当の原因を究明すること」を手伝ってもらうこともできるでしょうけれど、そのようなケースはむしろかなりレアでしょう。
なので、「メンタルの問題」を抱える人が探求をする場合、戦略としては「二段構え」になります。
まず「脳のバグ」を精神科の薬物によって治していきます。
それによって、「余計な苦しみ」が生まれてこなくなるので、当人は探求に集中することができるようになっていくでしょう。
おそらく、薬の作用でネガティブな思考や感情が一時的に沈静化することで、自分の内側を観察しやすくなるはずです。
そうしたら、今度は当人が自分の力で「本当の原因」を探っていきます。
「なぜ病が生まれてきてしまったのか?」と改めて問い、自分で自分を治療するのです。
そして、それこそがその人にとっての「探求」となります。
なお、主治医である精神科医に対しては、別に「探求」のことを言う必要はないと思います。
というのも、精神科医とはあくまでも「脳のバグを終息させるための協力者」として付き合うのが、お互いに与えられた役割を考えた際に「適切なスタンス」であると思うからです。
むしろ、精神科医によっては「探求」の話をしたりすると、「何か怪しい宗教にでも首を突っ込んでいるんじゃないか?」と不審に思われる可能性があります。
もしそれで「余計な薬」を足されてしまったら、薬の副作用でかえって「探求」が阻害される可能性も出てきます。
なので、精神科医とはあくまで「最低限の脳のバグ取り」を目的として付き合っていき、「探求」は個人的におこなっていくほうがいいと思います。
精神科医と協力してまず「症状」を弱めていき、それとは別に個人的に「原因」を究明していく。
そういうバランスを、私個人は推奨します。
そして、もしも「探求」が進んでいったら、やがて「苦しみの原因」がわかるようになりますし、理解することができれば「原因」というのは消滅します。
そうしたらもう再発の可能性もなくなるので、精神科にそのまま通い続ける理由も特になくなるはずです(ただ、もしも薬を多めに処方されていた場合、いきなり断薬すると離脱症状が出る可能性があるので、通院をやめるタイミングは主治医とよく相談するようにしてください)。
このように、「探求」というのは、「自分自身の苦の根源」を理解するためにおこなうものです。
それゆえ、もしも「探求」が終わったら、精神的な問題は消滅します。
しかし、一般的に精神科医はそんなことを目指していませんし、たぶん理解も示さないでしょう。
むしろ、「そんなことできるわけがない」と考えている精神科医のほうが多いのではないかと思います。
ですが、私は自分で経験したので断言しますが、精神的な問題というのは「完治」させることが可能です。
そのための方法は「原因そのものを取り除くこと」です。
そして、実際に原因を根本から取り除くためには、一切を観察し尽くすことが大事になります。
自分の内側に生起する思考や感情を観察し、そこで蠢く欲望を自覚し、自分が無意識に抱えている恐怖を認めて受け入れることで、当人は「苦しみの原因」を理解します。
その時、「苦しみ」は根本から破壊され、もはや生まれてくることがありません。
仮に、生活の中で「精神的な波」がいくらか生じることがあったとしても、当人はそれを冷静に観察していることができるようになっていくでしょう。
なお、観察の基本技術については、下記の記事で詳述しています。
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「自分の恐れ」を恐れない|「確認できること」と「確認できないこと」を区別する瞑想的観察法
◎終わりに
ということで、今回は「メンタルの問題を抱えていても探求は可能なのか?」という問いについて、私の考えを書きました。
精神的に本当に苦しい時には、無理をしないで医療機関を頼るのは大いにありだと私は思っています。
しかし、ほとんどの場合、精神科は「対症療法」しかおこなってはくれません。
「本当の原因」を取り除いて、真の意味での「完治」に辿り着こうと思った場合、多くの人は自分の意志で「探求」をしなければならなくなるでしょう。
そういう意味では、「メンタルの問題を抱えている人」というのは、「探求ができない」どころか、むしろ「積極的に探求すべき」とさえ言えるかもしれません。
もしもあなたが今、何らかの「精神的なトラブル」を抱えて苦しんでいるのであるならば、まずは精神科や心療内科などに行ってみるのも一つの手だと思います。
しかし、それと同時に、自分自身の内側もよく観察するようにしてみてください。
きっとそこには、あなたを苦しめている「本当の原因」が在るはずです。
あなたが「それ」を取り除いた時、「病」は終わりを迎えるでしょう。
逆に、再発に絶えず怯えながら薬を飲み続ける生活は、決して「健康的」とは言えないと私自身は思っています。
このブログの存在が、「あなたの探求」の助けとなることを祈っています。

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