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自由

エッセイ

「自由な生」とは義務ではなく、その人自身の命が導く必然である

私はブログや書籍の中でよく「身体の声を聴きましょう」ということを言います。たとえば、「今、何を食べるべきなのか」は身体が知っているので、頭で栄養素を考えたりせず、身体が欲しているものをこそ食べたら健やかになれると、私としては思うのです。でも...
エッセイ

【新刊執筆中】「命の声」に耳を澄ませるための入門書として

昨日から書き始めた新刊の「身体論と感覚技法の書」が、既にA5サイズの原稿で140ページほど書けました。イメージとしては、「心と身体の声を聴くための入門書」という位置づけを考えており、ボリュームとしても200~250ページに収めて、サクッと読...
Q&A

「自我」と「魂」の間で生じる綱引き|苦しみと向き合うことで、自動的に理想は放棄される

先ほど、読者の方とメールでやり取りをする中で、非常に重要な論点について触れたので、ブログでも共有しておこうと思います。このところは「身体論」の記事が多かったですが、今回は久々に「真理の探求」についての話です。そのメールでやり取りをした方は、...
エッセイ

あと一年間、書き続けます

最近、折に触れて考えていたことなのですが、せっかくなのでブログで言葉にしておこうと思います。現在、私は特に生活のための仕事というものをしていません。それは、過去に働いていた時に貯めたお金と、縁あってまとまって入ってきたお金があるおかげです。...
エッセイ

「内側の牢獄」の鍵の在り処

技法の解説書の原稿がとりあえず最後まで書けたので、一休み中です。やはり、こういう「手ぶらの時間」がないといけません。読者の方の中には、私が休みなしでずっと書いてばかりいると思っている人もいるかもしれないですが、全然そんなことはなくて、私は「...
エッセイ

「快」に従う生き方についてのエッセイ|「自分の魂」に従った者は決して悔いることがない

私たちは「自分は今何をするべきなのか?」と、いつも頭で考えています。タイパやコスパを優先する考え方は、その現れでしょう。もちろん、頭を使って考えることが必要な場面もあります。ですが、頭を使って考えてしまうことで、かえって見失うこともあるもの...
エッセイ

坐禅やヨーガのアーサナなどの「形」を、「自由な人」は「快」と感じる

この数日、時間が空くと坐禅を楽しんでいるのですが、坐禅の「形(かた)」というのは、本当に気持ち良いです。たぶん、坐禅に限らず、ヨーガのアーサナ(ポーズ)なんかも、もともとは「気持ちの良いもの」だったのだと思います。私は想像するんですが、きっ...
ブログ記事

「自由」とは、「深く息ができる」ということ|プロフィールページ刷新のお知らせ

最近、認識に大きな変化があったため、プロフィールを一から書き直しました。筆者プロフィールその認識の変化とは、「悟りを絶対視しなくなったこと」です。以前は、「人が苦しみから救われるには、絶対に悟りという『ゴール』まで辿り着かないといけない」と...
ブログ記事

「あなたの光明」を表現してほしい|「真理」という概念を追わず、「自由」という感覚を問う

◎「サット・チット・アーナンダ」は探求を助ける「概念」に過ぎない最近、認識にかなり大きな変化がありました。読者の方と質疑応答をする中で、「悟りとは何なのだろう?」と改めて問い直したことが、きっかけとして大きかった気がします。詳しくは、こちら...
Q&A

【Q&A】どうやって欲望と向き合ったらいいのか?

今回もQ&A記事となります。今回の質問のテーマは「欲望と快楽」です。《警告》今回の記事には一部、「性的な欲望」について言及する部分が出てきます。ただ、筆者の意図は、あくまでも「欲望と向き合うことで自己と和解し、自由に至るための道筋を示すこと...