ブログ記事

「覚者」を見分ける二つの基準|「雄弁な無知者」と「口ごもる知者」のパラドクス

「真理」を悟るということを、「賢くなること」だと思っている人はいませんか?つまり、「『真理』を悟ると、常人には計り知れない叡智をその身に宿すようになるに違いない」とイメージするわけです。でも、本当のところはどうなんでしょうか?実のところ、「...
ブログ記事

人々が探している「自分」とは何か?「自分探し」と「自己理解」が、真理の探求とすれ違う時

「自分探し」という言葉が、一昔前に流行りました。いえ、もう二昔くらい前の話かもしれませんね。いずれにせよ、かなり多くの若者たちが、「自分」というものを探していたわけです。しかしそれは、探求者が「自己(セルフ)」について探求するのと、何か違っ...
ブログ記事

「怒り」は探求のための燃料になる|「怒り」を罪悪視せず、「自己理解の力」へと変える方法論

「この怒りっぽい性格をなんとかしたい」そんな風に思っている人はいませんか?いつもなんとなくイライラしていて、他人のちょっとした言動につい腹が立ってしまう。それで、時には相手にきつく当たってしまうこともあり、後で一人で自己嫌悪に陥る…。「怒り...
ブログ記事

「孤独」は避けるべきものなのか?「孤独」と「孤立」の違いについて

「孤独」というのは「苦しいもの」なのでしょうか?たとえば、世の中には、常に人とつながっていないと不安で、メールやSNSのやり取りがやめられない人たちがいます。また、「『孤独』は『悪いもの』だから、積極的に人とかかわらないといけない」と思って...
ブログ記事

「真理」を理解するのに努力は必要なのか?努力が意味を持つ人と、努力が障害になってしまう人

あなたは、努力することに意味を感じる人ですか?それとも、「努力しよう」という意志やモチベーションがあまり湧かない人でしょうか?今回の記事では、「真理を理解するのに技法の実践は必要なのか?」ということを考えたいと思います。かく言う私自身は、合...
ブログ記事

感覚の深化は身体との同化を強めるのか?|「生きている実感」こそが「本当の理解」をもたらす

最近、「身体的な感受性」を育てる技法について、いくつか記事を書きました。【自分の呼吸を感じられない人へ】感覚を深め、感情を解放する二つのステップ「身体的な快楽」に依存しないために|「目」を通じて内側へと潜る「内観法」これらの記事中で私は、身...
ブログ記事

【再考】「存在する喜び」について|「相対的な幸福論」と「絶対的な幸福論」に関する論考

今回は、「幸福とは何だろう?」ということを考えてみたいと思います。いわゆる「幸福論」というものですね。「人はどうすれば幸福になれるのか?」「真の幸福とは何なのか?」そういったことを考えるのが、「幸福論」なのではないかと思います。これまで、古...
ブログ記事

【注意喚起・再び】「技法の森」の中で迷子にならないために|技法はしょせん「道具」と心得る

◎「ある教え」と「別の教え」の間で引き裂かれた経験連載記事以外の単発記事もいくらか数がそろってきたので、そろそろ注意喚起も兼ねて記事を書いておこうと思います。連載記事の中でも一度書きましたが、私の記事はあんまりたくさん読み過ぎないほうがよい...
ブログ記事

「身体的な快楽」に依存しないために|「目」を通じて内側へと潜る「内観法」

私は以前、「自分の苦しみを深く味わえば、その苦しみから解放される」と書いたことがあります。この技法は、もともと私の師である山家直生さんから学んだものでした。そして、「苦しみを味わう時には、苦しみについて考えるのではなく、その感覚に意識を集中...
ブログ記事

『老子』の「太上」に学ぶ教育論|「親しまれ称賛される教師」が陥るピット・フォール

◎『老子』淳風第十七において語られている「君主像」について私は昔、自分で教室を開いて、武道や瞑想について教えていたことがありました。とはいえ、その頃はまだ真理の探求をしていなかったので、「自我」と完全に自己同一化していて、「エゴ」丸出しの教...