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エッセイ

【コアなユーザーの方へ】私は皆さんの「補助輪」です|「内なる羅針盤」の目覚めと「仕事」の継承

改めて、当ブログのコアなユーザーの方にお伝えしておきたいことがあります。このブログには「熱心な読者」が多いので、開設から約二か月ほどの時点で、「数時間かけて読み込んでいる」という人がゴロゴロいました。ですが、くれぐれも私の言葉にずっと寄りか...
エッセイ

「心の静止」は「呼吸の静止」|もしも「心の動き」がなくなると、呼吸と共に世界が止まる

私は「『自由』というのは深く息ができていることだ」と常々主張しているので、読者の中には、「きっとこの人自身はさぞかし深く呼吸をしていることだろう」と想像している人がいるかもしれません。しかし、実のところ、もしも「心」が透明になると、呼吸とい...
エッセイ

「こうでないといけない」という想念を持ってはいけない?|「根源的な欲求」に定まって生きる

私はよく「『こうでないといけない』という想念がない状態が『自由』である」と書いています。ひょっとすると、それを読んだ人の中には、「『こうでないといけない』という想念を持ってはいけないんだ」と思う人もいるかもしれません。ですが、実はこれが「罠...
ブログ記事

新刊書『「心」を生きる幸福論』の特設ページを設置しました

最新作の『「心」を生きる幸福論―「知性」を鏡に変え、「身体」を喜びに開く方法』のAmazonへの入稿が完了しましたので、ブログ内に本書の特設ページを設置しました。『「心」を生きる幸福論』特設ページへ詳細情報は以下です。書籍情報(Kindle...
エッセイ

「偽装された心」に惑わない|「自分の心の声」に従うことは、「束縛なく生きる」ということ

私はよく、「自分の幸福を育てるために、味わって食べることを実践してみましょう」とかいったことをよく書きます。【関連記事】「愛を放射する太陽」としての生き方|「幸福」とは、「ゴール」ではなく「原点」であるこうした記事を読んだ人の中には、実際に...
エッセイ

瞑想とは、自己を「寺院」とした「祈り」である|「存在」によって生かされる時、人は「自身の天命」を知る

最近は言わなくなっていましたが、私は一時期、「瞑想」のことを「祈り」と表現していたことがありました。もともと、この表現は、カビールという北インドの神秘家から借りていたものです。カビールは「織工しょっこう」という職業の人で、いわゆる機織はたお...
エッセイ

「覚者」とは「何も書かれていない本」である|「自由」だけが、「全ての覚者」の共通点

あなたは「悟った人」というのは、どういう人のことだと思いますか?「悟った人」のことを、「覚者かくしゃ」と言ったりもしますが、実のところ、「覚者の定義」は人の数だけあります。実際、「極めて高潔な人格を持った人こそが覚者だ」と思っている人もいれ...
ブログ記事

【個人的な報告】「新しい読者層」の流入を促すために、「にほんブログ村」に登録しました

つい先ほど、Xのアカウントのほうで、「にほんブログ村」について投稿をしているアカウントからフォローされました。どうもそのアカウントは他人の書いたブログ記事を紹介して回っているようでしたが、私の投稿もリポストしてくれていたので、感謝です。ただ...
ブログ記事

「新作」の進捗報告と、「既刊書」について整理など|どうかマイペースに読んでください

現在校正作業中の「心を生きる幸福論(仮題)」の校正が、残り1/3くらいになりました。たぶん今日か明日には校正を最後まで終わらせて、Amazonに入稿できると思います。今回は執筆にだいぶ時間がかかりましたが、それでもまだ書き始めてから十日経っ...
ブログ記事

【補足記事】「無努力の受動的な覚醒」を培うスモールステップのご紹介

ひとつ前の記事で、「探求の後半戦」において「無努力を育てる」という方向性を書いたのですが、実践する上で指針となるような、「もう少し具体的なこと」についても付け加えて書いておこうと思います。なお、元記事はこちら。【元記事】探求の後半戦における...