当ブログの文章と筆者の著作物は全て著作権フリーですので、どうぞご自由にお使いください。

【講話・第二回文字起こし】依存から抜け出す道について

今回は、講話の第二回『依存から抜け出す道について』の文字起こししたものをお届けします。

「依存症」というほど深刻ではなくても、「やめたいのにやめられない」と感じるものがあって苦しんでいる人は多いものです。

そういう人が、自分の現状を整理するために、私自身の考えをお伝えしました。

本編動画はこちら⇓

以下、文字起こしした内容に、読みやすいよう手を加えたものを掲載します。

◎はじめに、今回の話の前提について

はい、講話の第二回ということで

今回は「依存」についてお話をしたいと思います

ただ、先に断っておくと

医学的な治療が必要なぐらいの、強度の依存症については除外します

それについては医学的な治療が必要だと思うので

こういう話を聞いても、たぶん意味ないんですよ

本人の力でどうしようもできないところまで行っていると思うので

そういう場合は医学的な治療を受けてください

そうではなくて日常的に「ちょっとやめたいことがある」とか

「これって良くないんじゃないかな?」と思ってるんだけど

やめられないっていうことがある人に向けて話をします

という前提ですね

◎動機は外と内のどちらにあるか?

で、まず例えば、「お酒が好きでお酒やめられない」とか

「何かあると暴飲暴食してしまう」とか

何か依存するものがあるとするじゃないですか?

で、その時に「これやめた方がいいのかな?」と

まあ、お金もかかるし、周りからも「やめろ」って言われるし

身体にも悪いんじゃないかっていうんで

「やめた方がいいかな?」って思う人いると思うんですけど

その時に考える順番ですね

最初に考えるべきは、「動機が内側にあるか外側にあるか」っていうことだと思うんですよね

「やめよう」って思った時に

そのやめる理由が、外側にあるのか内側にあるのか

外側にあるっていうのは要するに

周りから「やめろ」って言われたと

「やめないと絶交するぞ」とか「家から追い出すぞ」とか言われたっていう場合ですね

そういう時って外側に動機があるんですよ

逆に内側に動機があるっていう場合は

自分できっぱり「やめよう」と思ったっていうことですね

例えばお酒をたくさん飲むことによって大失敗をしてしまったとか

暴飲暴食することによって身体を壊したとか

お金がすっかりなくなって困窮したとかですね

そういうことがあって自分自身で深く反省したというか

自覚して「これは良くないな」と、自分でも思い始めたと

それで、「じゃあやっぱりやめようかな」っていう風に自分で思い始めたんです

そういう場合は動機が内側にあるんですよ

そういう風にまだ思ってない

段階で外側から「やめろ、やめろ」って言われて

「えー、やだなー」と思いながら、無理やり我慢してやめる場合は

まだ動機が外側にあるんですよ

で、その場合って、たぶんやめらんないんですよね

結局、自分で納得しないのに我慢するしかないから

それって続かないと思うんですよね

どっかで反動が来て爆発すると思うんですよ

逆に、内側に動機があって

自分で納得して「やめるんだ」って決めてる場合は

たぶん、やめるの苦しいとは思うんですけど

その苦しさの中に清々しさというかね

「自分は前に進んでいる」「やるべきことをやってる」っていう感覚があると思うんですよ

◎「食わない」と「食えない」の違い

野口整体の創始者の野口晴哉はるちかっていう人がいるんですけど

その人が面白いこと言ってて

「食わない」と「食えない」の違いっていうのを言ってたんですね

で、「食わない」っていうのは、自分で「食べない」って決めてるんですよ

要するに動機が内側にあるのね

それに対して、「食えない」っていうのは

本当は食べたいんだけど「食べるな」って言われたとか

食べるものが物理的にないとかで、食べたいんだけど食べられない場合で

これは動機が外側にあるのね

それで、「食えない場合は餓死する」っていうふうに、野口晴哉が言ってるんですよね

食べたいんだけど食べられないっていう場合には

人は飢えて苦しむって言うんです

逆に、動機が内側にあって、自発的に自分で「食わないんだ」って決めてる場合には

それは断食になって身体がかえって丈夫になるというふうに野口晴哉が言ってて

私は面白いなと思ったんですけど

でも、そういうことってあると思うんですよ

動機が外側にあると、基本的に私たちの生命力って萎縮するのね

周りに合わせて嫌々我慢してると、私たちの生命力って低下するんですよ

呼吸が浅くなって、迷いや疑いが多くなって

心と身体が固くなって、自由に行動できなくなって

で、どっかで爆発するんですよ

逆に、内側に動機があって

「いや、自分でこれはもうやめるんだ」って自発的に決めた場合には

生命力が高まるんですよね

呼吸が深くなっていって

迷いや疑いがなくなって

心と身体が柔らかくなっていって

行動力と決断力と実行力

そういうものが出てきて

困難を困難とも思わずに突破していけるようになるんですよね

例えば、周りから「やめろ、やめろ」って言われても

「いや、自分でこれをやるんだ」って、決意する人がいるじゃないですか?

「これを自分はやりたいんだ」って、決意して何か行動する人って

逆境をものともせずに突破していくんですよね

それって、生命力が高まってるからなのね

動機が外側になくて

周りが何を言おうと「自分はこれをやるんだ」って決めてる人って

生命力高いんですよ

そうすると、困難に直面しようとも逆境が襲ってこようとも

それ突破していけるんですよね

◎人はとことん失敗するまで、やめることができない

なので、何かをやめようって思った時にも

まず点検するべきは、動機が外側にあるのか内側にあるのか

それが大事なポイントなんです

それで、今のところまだ動機が外側にあるという場合であれば

たぶん、やめられないんで(笑)

あの、やめようとするだけ、あんま意味ないんじゃないかなと思います(笑)

試してもいいけど、たぶんうまくいかないんじゃないかなと、私は思いますね

我慢するばっかりで、自分が苦しいばっかりで

逆に生命力が低下してしまって

感受性が鈍くなって、心と身体が固くなって、呼吸が浅くなって

「もう生きてるの嫌だな」ってなっちゃうと思うんで

それだったら、多少折り合いつけて

やりたいことをやったらいいんじゃないかなと思いますね

それで、そうやっていくうちに

遅かれ早かれ身体を壊す人は身体を壊したりとか

何か大失敗する人は大失敗したりするんですよ

それって避けられないんですよね

「どうしてもやめられない」っていう人、いるじゃないですか?

そういう人って遅かれ早かれ、そういう状況に直面するんですよ

それって誰にも止められないんですよね

周りから止めようと思っても、止めたところでどうせ爆発するんだから

遅かれ早かれ、同じ結果になるんですよ

それで、そこまで至った時にようやく

動機が内側に戻ってくるんですよね

「これはもう本当にやめるしかないな」という風に本人が思うようになったら

それが「やめ時」です

そこまでいったら、きっとやめることができるだろうと思います

◎依存は量に走っている状態である

その時に具体的にどういう風にやめていったらいいかということなんですけど

依存というものの病理は、基本的に量に向かって走っていくことなんですよね

たくさん取らないと満足できなくなる

最初は1時間で済んでたものが2時間になるとか、3時間になるとか

YouTubeのショート動画もそうじゃないですか?

あれって依存性高いんですよ

私も切り抜き動画でショート動画上げてるから言えないんだけど

ショート動画って依存性が高いんですよね

ひたすら機械的にスースーとスワイプすれば、いくらでも見れるじゃないですか?

あれをずっと見てると

最初は1時間で満足できたんだけど

気づくと2時間3時間とか見続けるようなモードになってくるんです

それは感受性が鈍るからなんですよ

機械的に惰性でダラダラと行為し続けて

受動的に刺激を摂取し続けると、私たちの感覚って鈍麻するんですよ

感覚が鋭かったうちは少ない量で満足できたんだけど

感覚が鈍ってくると、神経が慣れちゃうんですね

耐性がついてくる

そうするとたくさんの量を摂取しないと、満足感が得られなくなるんですよ

最終的にはどれだけ摂取しても満足できなくなります

これがもう病的な依存症ね

そうなると医学的な治療が必要になる

どちらにしても依存があるっていう場合には

量がたくさんないと満足できないという状態が、まずあるんですよね

◎依存をどうにかするには、量ではなくて質を大事にする

なので、それをどうにかする必要があって

必要なこととしては、量を質に転換するってことですね

量をたくさん取るという方向に行くと感覚が鈍くなるんで

逆に質を高めていく

感受性を育てていくってことをするんですよ

その時に重要になるのが、意識的に味わうってことなんですね

例えば酒を飲むとするじゃないですか?

飲むときに、その辺で買ってきた安酒を機械的に飲む

例えば、安くて何リットルも入ってるような、ボトルみたいなのあるじゃないですか?

たぶんね、アルコール依存症になる人って

ああいうのをガブ飲みすると思うんですよね

安くてあんまうまくもない酒を、とにかく安くて量を買えるっていうんで

そういうの買ってきてガブガブ飲むみたいな

そうすると量は増えてくるんだけど、満足感はないのね

質が低いから

「別にこの酒じゃなくてもいいよな」って思いながら機械的にダラダラ飲むんで

そうすると満足感得られないから、量が増えてくるんですよ

で、そういう場には

「この酒をこそ飲みたいんだ」っていうのを

ちょっと高くても、多少手間がかかっても

そういうものを手に入れて買ってきて

それを一口ずつ味わいながら飲む

機械的にガブ飲みするんじゃなくて

一口ずつ味わいながら飲むっていうことですね

味わう、耽溺たんできする

あえて味わっていくってことですね

で、たくさん食べすぎてしまう、暴食してしまうっていう人も同じで

なんでもいいからジャンクフードたくさん買ってきて

それをガーッと食べるんじゃなくて

「これを食べたいんだ」「これをこそ今自分は食べたいんだ」っていうものを用意する

買ってくるのでもいいし、自分で作るのでもいいんですけど

そうやって「これを食べたいんだ」っていうものをちゃんと用意した上で

それを一口ずつ味わいながら食べる

これ、やれば分かると思うんですけど

丁寧に味わうようになると、少ない量でも満足できるようになるんですよ

一口ずつ味わって「美味しいな、美味しいな」って

その美味しさを瞬間瞬間、確認しながら

確かめながら、感じながら食べると

少ない量しか食べてないんだけど、満足感が得られるんですよね

逆に量ばっかりどんどん増えて

ジャンクフードとか…

ジャンクフードじゃなくても、何でもいいんだけど

とにかく「食べたいと別に思ってないもの」を

「何でもいいんだけど、たくさん食べたい」っていう感じで

機械的にダーッて胃に入れると

「お腹がパンパンになってるのに、満足感がない」っていうことになるんですよ

満腹中枢ごとおかしくなっちゃってるのね

お腹いっぱいになって、腹がパンパンになってるのに満足感がないんですよ

そういう時ってね

それはもう量に走っちゃってるんです

そんな具合で、質が低いと量が必要になるんですよ

逆に、質が高くなると量は減っていきます

量が少なくても満足できるんですね

これが大事で

とにかく意識的に味わうってことですね

お酒を飲むんであれば

「これを飲みたいんだ」っていうもの

美味しいお酒を買ってきて

もう一口ずつ味わうように飲んで

食べるときも、「これが食べたいんだ」っていうものを用意して

それを楽しみながら、味わいながら

「あぁ、美味しいな、美味しいな」って思いながら

味わいながら食べると

そうすると少ない量で満足できるから

結果的にやめやすくなるというかね

依存状態、中毒状態から抜け出していくっていうことが起こるんですよね

◎丁寧に味わうと感受性が育ち、その手前にある欲求が自覚できてくる

それで、そんな感じでやっていくと、やめやすくなると思うんですよね

たくさん摂取していた

もう酒をガンガン飲んでいたとか

腹がパンクするほど食っていた

吐いて戻すほど食っていたみたいな状況が

徐々に改善していくと思うんですよ

で、その上で

その前にある欲求も見てほしいんです

例えば、何か暴食したくなるとか、酒をガンガン飲みたくなるときって

その前に欲求が起こるのね

「あ、酒飲みたいな」とか

「あ、爆食いしたいな」っていう欲求が起こる瞬間ってあるじゃないですか?

その欲求が起こる瞬間を捉えてほしいんですよ

実際に行為をしている最中

酒飲むとか食べてるとか

そういう行為をしている最中も意識的に味わってほしいんですけど

その一歩手前の段階で

欲求が起こった瞬間にも、意識的であってほしいんです

例えば、日常生活の中でたぶんね、ストレスがかかったりしてるんだと思うんですよ

あるいは人生そのものに虚しさを感じるとか

過去の傷を抱えていて、それが思い出された時に

そこから逃げたくて

酒を飲みたくなるとか暴食したくなるとか

そういう感じで何か原因があるんですよね

本当はね

もしも、ただ単に酒が好きなんだとかね

ただ単に食べることが好きなんだっていう人だったらね

そんなに依存しないんですよ

そういう人って自然と楽しむようになるから、少ない量でも満足できるんで

依存には至らないんですよね

本当に酒が好きな人、本当に食べることが好きな人って少ない量で満足できるから

依存にはならないのね

依存してる人って、その前の欲求がね

何か原因があって依存してるんですよね

なので、まず欲求の出どころを押さえる

欲求が生じた瞬間に

「今、欲求が生じたな」っていう気づきを向けるんですよ

それで、その欲求を観察しながら

「今、酒を飲みたくなってる」「暴食したくなってる」っていう風に

自覚しながら飲んだり食べたりする

そういう感じで意識的に欲求を見つめて

その欲求を意識的に見つめたまま

丁寧に食べる、酒を飲むっていうことをするわけですね

そういうことを続けていくと

さっきも言ったみたいに、感受性が育っていくんです

自分で意識的に味わうと感受性って育つんですよ

ソムリエの人とかもそうじゃないですか?

一口一口丁寧に味わって飲むんで

感受性が豊かになって

舌が鈍感にならず、敏感になっていくっていうね

逆に、味の濃いものを機械的にどんどん食べると

舌ってバカになるじゃないですか?

強い刺激を無自覚にどんどん受けてると、舌ってバカになるんだけど

丁寧に一口一口味わっていくと、舌の感受性が鋭敏になってきて

丁寧に味わえるようになるんですよね

◎自分の欲求を生み出している「根本的な原因」を理解する

それで、そんな感じに感受性が育ってくると

欲求の出どころも押さえやすくなると思うんですよ

食べてる時、飲んでる時の手前に

欲求が生じた瞬間を押さえられると思うんですよね

それを押さえるようになると

「自分の問題の根」がどこにあるかっていうのまで

見えるようになってくるはずなんですよ

「自分は日常的にこういうストレスを抱えていたから
暴食したくなったり暴飲したくなったりしてたんだな」とか

「こういう自分の心の傷が暴飲暴食に走らせてたんだな」とか気づくと思うのね

それ気づくっていうのが結構大きな転換点で

それまでは気づいたら食べてる飲んでるだったんですよ

気づいた時にはもう衝動的に食べてる、衝動的に飲んでるっていう状態だったんですね

それをまず、その行為そのものを意識的にする

それで味わうようにしていくと、感受性が豊かになってくるので

少ない量で満足できるようになるんですね

そうするとその手前にある欲求も

余裕を持って観察できるようになるんですよ

そしたら欲求を観察することによって

その欲求を起こしている「根っこ」を探っていくんですね

「自分の欲求の根っこ」ですね

「この仕事が自分にとってストレスになってたからなんだな」とか

「過去のあの記憶が自分にとって辛いからそこから目を逸らしたかったんだな」とかって

分かるようになるんですよね

それが分かるようになると

もっともっと自分のことを見つめられるようになるんですよ

そうすると

例えば今の仕事がストレスになっているのであれば

仕事の仕方を変えるとか、業務の内容を調整してもらったり

それが無理だったら、転職する休職するとかっていうこともできますし

そうすることによってね

欲求自体が生じなくなっていくっていうこともあると思いますね

あるいは、「過去の傷が原因だったんだな」ってわかったんであれば

その欲求を見つめるっていうよりも前に

その手前に「過去の傷」をもう一度見つめてみる

欲求が生じた瞬間って

たぶんね、その紐づいた記憶みたいなのが起こってきて

胸に何か感覚が起こると思うんですよ

胸の痛みが起こったりとか、胸にザワザワする感じがあったりとかすると思うんですけど

「あぁ、そういうものがあるな」っていう風に気づくっていう風に

どんどんどんどん遡っていくと

どんどんどんどん「根っこ」の方に探っていくと

「あぁ、そうか、自分の苦しみっていうのはこういう風に生まれてたんだな」って

理解する段階にどっかで至るんですよね

それが完全に理解されると

「自分ってこういうパターンで行動してたんだな」

「こういうパターンで苦しんで、その苦しみをどうにかするために
こういうパターンで行動したんだな」っていうことが

自分で理解できるようになるんです

その自己理解が得られると

自然と、依存ってなくなっていくんですよね

で、場合によっては、過去の傷を苦しまなくなったりするかもしれませんし

日常的なストレスが軽減するっていうことも起こっていくと思いますね

◎まとめ

はい、という感じで

今回は「依存」についてお話ししました

じゃあ、最後にまとめようと思うんですけど

動機がまず内側にあるのか外側にあるかということですね

外側にある場合にはたぶん、やめようと思ってもやめられないんですよ

自分は本当はまだ「やりたい」と思ってるから

だけど、もし内側に動機があれば

「やめよう」って自分で決意してるんで

やめることは苦しいんだけど

きっとそこに清々しさを感じながらやめられると思います

あと、たとえ動機が内側にあろうと外側にあろうと

どっちにしても味わうってことはやってみた方がいいと思いますね

自分でお酒なり暴飲暴食するときに、それを丁寧に味わう

「体験の質」を高めていくということをすると、少ない量で満足できるようになるので

そうすると周りもあんまりあれこれ言わなくなるかもしれないし

そうなったら周りとの軋轢もなくなるかもしれないですね

なので、動機がたとえ外側にあったとしても

味わうということは役に立つかもしれないですね

それで、そうやって味わっていく中で

「体験の質」が高まってくると、気持ちにも余裕が出てくるので

その前にある欲求が生じた瞬間を自覚できるようになるんですね

「今、欲求が生じた」と遡って自覚することができるようになって

そこから、その欲求を観察していくと

今度はそのさらに手前にある原因に目が向くようになってくるんですよ

「どうしてこの欲求が生じるのか?」ということを理解できるようになってくるんですね

「こういうストレスがあったからなんだ」とか

「こういうものから目を逸らしたかったからなんだ」ってね

職場のストレスがあるとか、過去の傷が疼くとか

人生そのものが虚しくて、そこから目を逸らしたいとか

人によって、いろいろあるんですけど

そういう原因そのものを見つめていくということができるようになるんですね

という感じで

手前に手前に行くという感じで、実践されてはいかがかなと思いますね

依存しているものがあって

それをどうにかしてしたいと思っている場合ですね

という感じで

依存症というレベルではないけれども、依存しているものがあって

「何かできることはないか?」「何かした方がいいんではないか?」
って思っている人に向けてお話ししました

ちょっと参考にしてみてください

それでは、今回はこれで終わろうと思います

ありがとうございました

コメント