当ブログの文章と筆者の著作物は全て著作権フリーですので、どうぞご自由にお使いください。

手印によって、エネルギーの向きを操作する

昨日、とある読者の方から質問のメールをいただきまして、その方は、苦しみの感覚が身体よりも下から湧き上がってくるように感じるのだそうです。

私がこれまで観察した範囲では、人の苦しみというのは、頭や胸で生じることが多く、「身体よりも下から湧き上がってくる」というタイプの人には、あまりお目にかかったことがありませんでした。

身体の上のほうで生じる苦しみについては、「身体の下のほうへ流して地球に向かって放電する」という方策がよいと思うのですが、身体より下から生じる苦しみについて、この方法が使えません。

下から来たものを、すぐに下に押し返そうとすると、おそらく感情的なエネルギーを抑圧することにつながるはずです。

なので、その人には「エネルギーを上に上にあげていって、頭頂部から解放してみてはどうか?」とアドバイスしました。

実際、インドの瞑想法の中には、エネルギーを上に上にあげていって、頭頂部のサハスラーラから「宇宙」に解き放つという技法が存在しています。

日本では、臍下丹田に氣を沈めるのですが、インドだと逆に、氣は上にあげていくのですね。

これは、インド人が腰椎一番を中心とした身体性を持っているためと考えられます。

野口整体においては、腰椎一番は頭のほうへのエネルギーの上昇と関係しており、ここを中心にした身体を持っている人は、頭でいろいろなことを考えて精緻な理論を作る能力が高いです。

日本人の中にもそういう人はいますし、腰椎一番を中心に生きている人は、氣が上にのぼっていくことに「快」を感じます。

ただ、日本人は本来、腰椎四番を中心にした民族であり、こちらは骨盤の開閉をつかさどっています。

私たち日本人は開閉のうちの特に閉じるほうを好む身体性を持っているため、肩回りにたすき掛けをしたり骨盤を帯で締めたりすることで、身体を引き締めることに「快」を感じるのです。

で、この腰椎四番に意識を集中すると、自然と氣が下にさがっていきます。

私は、自分の腰椎の一番から五番まで全部感じ分けることができるのですが、それは、それぞれの腰椎に意識を集めると、氣の流れる向きが変わるからです。

先ほども言いましたように、腰椎一番は上昇方向の性質があるので、「このへんかな?」と思って意識を集中したときに、氣が上にあがったら、そこは腰椎一番です。

逆に、「ここかな?」と思って意識を集中したときに、氣が下にさがったら、そこは腰椎四番なわけです。

そんな感じで、各腰椎にはエネルギーが流れる方向があり、それぞれの腰椎に意識を集中すると、勝手にエネルギーの方向が変わります。

それゆえ、上昇傾向のある腰椎一番に意識を集中したまま、下にしゃがもうとすると、抵抗感があってすごくやりづらくなります。

反対に、下降傾向のある腰椎四番に意識を集中したまま上に飛び跳ねるのは難しいものです。

そんなわけで、もしも氣を下げようと思ったら、本当は腰椎四番に意識を集中すればいいのです。

そして、さっきの質問者のように、氣を上にあげたほうがいいようであれば、腰椎一番に意識を集中することが役に立つでしょう。

とはいえ、そんなことは整体や感覚技法の訓練を受けていない人にはできないと思うので、「どう伝えたらいいかな?」と考えていて、ヨーガの「ムドラー」のことを思い出しました。

「ムドラー」のというのは手印のことで、瞑想中に手で作るポーズのことです。

実は、手印にもエネルギーの向きを操作する働きがあり、中国の気功でも用いられます。

日本の忍者も手印を組みますね。

忍術漫画なんかで、忍者が印を結んで火や水を出したりするのを見たことのある人も多いでしょう。

もちろん、火や水までは出せませんが、手で印を結ぶと体内のエネルギー状態を変化させることが可能です。

なので、特定のエネルギー状態を作り出したい場合には、手で印を結ぶことはかなり有効なのです。

自分の腰椎を一個ずつ感じ分けることはなかなか難しいですが、手で印を結ぶのであれば、たぶん誰でもできるはずです。

それゆえ、上がりっぱなしの氣を下げたりとか、下から突き上げてくるエネルギーを頭頂まで引き上げたりとかする際に、「ムドラー」が使えるのではないかと思ったわけです。

ただ、私自身はあまりこの方面を熱心に勉強してきませんでした。

過去の実践中には、気功の印を一つ二つと、自分で勝手に編み出した印をいくつか使っていただけで、「古来からあるかた」については今もあんまり知りません。

過去の私は、腰椎を意識することでエネルギーの向きをだいたいコントロールできましたし、それについても、一種の「遊び」みたいな感覚しか持っておらず、「本質的なことではない」と感じていたのです。

実際、手印や腰椎への意識でエネルギーの向きを多少変えたところで、それが自分自身の心身にしっかり定着しなければ、深い意味での変化は起こりません。

せいぜい、「お、エネルギーの向きが変わったぞ!おもしれー!」というくらいのことです。

でも、そういった技術を知らない人からすれば、瞑想を深めるきっかけになるかもしれません。

「氣が下がる」というのが、どういう感覚なのかわからない人にとっては、印によって実際に氣が下がる体験は、「最初のとっかかり」になりえます。

また、「自分である程度エネルギーの流れを変えられる」ということがわかれば、それが当人にとって日常的な「お守り」となる可能性もあります。

なぜなら、もし手印の知識があれば、仮にエネルギーが自分の中に大量に流れ込んできて内側で爆発しそうになったとしても、当人はそれを身体の末端に流してアースするために、「はい、こっちですよー」と自分で交通整理ができるようになるからです。

個人的には、あまりエネルギーの向きを人為的に操作するべきではないと思うのですが、ひとまず「氣の交通整理術」くらいに考えておけば、手印は「便利な道具」として使っていけるのではないかと思っています。

ということで、さっきアマゾンで『ムドラー全書』という本をポチりました。

自分の感覚だけを頼りに、ゼロから手印を作っていってもいいのですが、せっかく先人の知恵が本としてまとまっているので、今回はそれの助けを借りようと思います。

それで、本を見ながら実際に自分の身体で試してみて、確かにエネルギーの流れが変わるようであれば、それも必要に応じて、瞑想会の参加者の方に還元していくつもりです。

ただ、さっきも書きましたように、あくまで「ムドラー」は補助にすぎません。

エネルギーには「本来流れていくべき方向」というものがありますから、それを無視して、「自我エゴ」が流したい方向に無理やりエネルギーを流そうとすると、かえって問題を生み出します。

なので、あくまで「本来流れていくべき方向」にエネルギーが流れるのをアシストするような使い方が望ましいでしょう。

逆に、もしも「ムドラー」によってエネルギーを自在に流れさせることができるようになった時、「自分は特別な力に目覚めたのだ!」といったことを考え始めれば、その人は「肥大化したエゴ」に足元をすくわれてしまうはずです。

あくまで「エネルギー操作」は「しかるべき変化のためのアシスト」くらいに考え、「特別な力」というよりも「面白い遊び道具」程度に思っておくほうが、「エゴ」が肥大化しなくて済むと思います。

ということで、今日か明日には『ムドラー全書』が届きます。

自分の身体で一つ一つ実験しつつ、効果的なものは瞑想会の参加者に対して、あくまで「瞑想の補助道具」として、提供していこうと思っています。

コメント